第29話 再び来たりし者
「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」
クリスはナイフを引き抜いた。真っ黒な眼球が刃の先端に刺さったまま転がる。そして、全ての元凶であるそれを、踏み潰した。
やわらかくて、弾力性のあるものが潰れる寒気の走る生々しい音。そして、クリスを襲うのは全身を駆け巡る激痛。押さえても止まらない鮮血。でもそこに後悔はない。これは、自分で選んだ選択だから。
痛みに悶え苦しみ、叫ぶクリスをレイは見ることしかできなかった。カロンも表情こそ変わらないが、どこか悲しむ雰囲気を感じ取れる。
(これでいいんだ。これで、全てが丸く収まるのなら)
レイがそう割り切り、クリスが鎮まるのを待った。
――しかし、今回の騒動はこれで終わりではなかった。クリスの後方、森の中から何かがものすごい勢いで回転しながら飛んできた。それはクリスとレイの顔のすぐ横を通り、後ろの木に突き刺さった。
「この武器は……!」
レイは後ろを振り返って驚愕した。木に刺さっていたのは、ノエルが持っていた大鎌だったのだ。
そして大鎌が飛んできた方向から一人の少女―黒とピンクの派手な衣装をまとったノエルが現れた。ノエルはそのまま大鎌の方へと走る。
「させるか! 〈ミカエル〉――【正義断悪】」
カロンが剣に淡い光を宿して走るノエルに斬りかかるが、ノエルはそれを身軽なステップで華麗にかわす。
倒れた木を利用し跳んで、カロンの肩を踏み台に更に大きく跳ぶ。それだけでカロンと距離を放し、さらに大鎌のもとまで到達した。
「何でここにお前がいる! リタはどうした⁉」
レイは腕が動かないので口を一生懸命動かす。ノエルは木に刺さった大鎌を抜き取り、レイに満面の笑みを浮かべる。
「知らなーい。殺されそうになって震えてるんじゃないのぉ? ……そんなことより、後ろにいる子のことを心配したらどうかなぁ?」
ノエルはそう言って上半身を傾けて、覗き込むようにレイの後ろにいる少女を見た。
レイは釣られるように首を後ろに向ける、そこにいるのは激痛に襲われてうずくまっている少女、クリス。少し落ち着いたのか、さっきのように叫んではいない。
右目を押さえる手が真っ赤に染まり見ているだけで痛々しい。
――そんなことよりもレイが注目したのはクリスの首、彼女の天性力〈ガブリエル〉の印が刻まれたその場所に、五センチ程度の傷がついていた。クリスが自らの右目を潰すときに、その傷はなかった。だとするとこの傷がついたのはその後、そして唯一傷が付く可能性があったのは、ノエルの大鎌が飛んできたとき。クリスの家で父親を無残な死体に変えたあの大鎌が、クリスに傷をつけた。
レイの顔がみるみる青ざめる。ノエルはその顔を見て、さらに笑みを深めた。
「気づいちゃったぁ? あっははぁ! なら説明はいらないよねぇ。いやーでもちょっと焦ったぁ。こっちの映像が急に途切れたんだもん。クリスが殺されたかと思ったよぉ」
ノエルは気楽な感じで言うが、レイはその言葉に反応する余裕がなかった。クリスも彼女の父親と同じことになるのかと、ましてやその刃が自分にも向かってくるかと思うと震えが止まらない。対抗しようにも両腕が使えないし、逃げようにも足が言うことを聞きそうにもない。
クリスは痛みで今の状況がよく理解できていないのか、ずっと右目を押さえてうずくまっているだけ。カロンでさえ剣を構えているだけで一向に動き出す気配がない。それほどまでに今の状況は最悪なのである。
ノエルはこの状況を楽しむように、あるいは何か希望を見出したように笑い、レイ達の精神をさらに追い詰める。
「あっはは! そっちに戻ったクリスの処遇はどうしよっかなぁ! こっちに来たりそっちに戻ったりの手のひらにモーター付いてる人だしぃ、それはもう重い罰を与えるべきだと思うんだよねぇ」
「お前が操っておいて何言ってやがる!」
「あれぇ? もしかして勘違いさん?」
「……勘違い?」
「ノエルは救いの手を差し伸べただけ。それを掴んだのはクリスでぇ、ノエルが操ったわけじゃないんだけどなぁ? ……まぁ、その前に絶望はさせたけどねぇ!」
「お前は最凶の悪だな」
「え、最強? やっだなぁカロン。まだノエルの事諦めてなかったのぉ?」
「なるほど、お前は脳に花が咲いているのか」
カロンは嫌味や皮肉を並べていく。だが、言い換えればこのくらいしかできる事が無いのだ。ノエルの意識をこちらに向けてクリスに対して権能を使わせないようにすることしか。
レイとカロンは何とか時間を稼ごうと試みるが、それは助ける対象の言葉によって打ち消された。
「ノ、エル…」
クリスは右目を押さえたまま、ふらつきながらも立ち上がる。そして、片方しかない透き通った碧眼でノエルを睨みつける。
「あなたみたいなゴミ虫に、私は負けない。……あなたみたいな人を利用し騙すことしかできない人間に、私はもう屈しない。私の大切な人を傷つけるあなたは、私が倒す!」
左手に持つ大切なナイフをノエルに向け、そう宣言した。
クリスの強い意志の籠った決意に、ノエルは笑顔のまま固まった。そして、表情は笑顔のまま冷酷な声でクリスに告げる。
「そっかぁ。それじゃあ、クリスが死ぬこと以上に辛い思いをみんなにあげよう。〈メフィストフェレス〉――【反神破壊】」
ノエルが権能を発動した。
まず、天性力が壊れた。印に付いた傷からヒビが広がり、そのままバラバラになるようにクリスの首から〈ガブリエル〉が消えた。
そして、クリスの頭の中で何かが壊れた。
生まれてから十七年の記憶が全部無くなった。
周りの状況を確認する方法が分からなくなった。目の前から光が無くなっていく。
コミュニケーション能力――言語そのものが何だったの分からなくなった。
どうやって立つのかが分からなくなった。体の動かし方が分からなくなった。
感情の感じ方、表し方が分からなくなった。――そもそも感情とは何だ?
(私って、誰? ……私? 何のこと――――――――)
クリスの動きが止まった。瞳から光が消え、右目を押さえていた右手がだらんと下がり、立ち方を忘れたかのようにその場に崩れる。
「チッ」
一番近くにいたカロンがすぐさまクリスのそばに駆け寄りクリスの体を調べ始めた。
「……脈はある。呼吸も正常。体温も普通だ。……何かが足りない。だがそれは何だ? 見当もつかん……」
「おいノエル! お前何をした⁉」
カロンの呟きを聞いてレイが問うが、当のノエルは両手を広げ空を仰ぎ、高笑いをして自分の世界に入っていた。
「あはははははははははは! ノエルはやっと命令を達成できたぁ! やっとΔ様に認めてもらえる! これでやっと! これで――」
その時、
「〈ウリエル〉――【神の炎】!」
ノエルを超高温の炎が包み込んだ。
「ギャアァァァァァァァァァァァァ‼」
「ははっ。戦場の素人さんからも一つアドバイスだよ。いかなる時でも周りに気を配れ」
暗闇から、ボロボロになった制服にスカートを千切って髪を結ぶと言う大胆な行動に出て、金と赤の杖を担いだ少女―リタが満足そうな声を出しながら現れた。
「リタ! 無事だったのか!」
ずっとクリスの対処やら突然現れたノエルやらで完全に忘れてた、くらいのニュアンスでレイは声を上げた。それを感じ取ったリタは半場呆れて返す。
「私があんなのに殺られるわけないじゃん。あ、もういいかな」
炎の中から何も声がしなくなったのでリタは炎を消した。炎が消えると同時に中にいた少女が勢いよく倒れる。
「ん? ……んん?」
リタは倒れた少女を見て違和感を覚えた。完全に殺すつもりで放った炎はかなりの高温なはずなのだ。なのに、普通に髪が残っているし、洋服もさっきの戦闘で焦げた部分しか無くなっていない。でも今見えている肌はほとんど火傷の跡がついているので生きているという可能性は低いだろう。
全身が火傷しているので脈は測れなかったが、呼吸は確かに止まっていた。少し疑問は残るがそうゆう死体だと強引に納得させる。
と、その時。
クリスのそばにいたカロンが急に立ち上がり、レイとリタの襟首をつかんで横たわるクリスから距離を取った。
「ちょっとカロンいきなりなにすんの⁉」
「痛ってーな!俺は負傷してんだぞ⁉少しは気づかいってものを――」
レイはそこで言葉を止めた。カロンの顔が、今までにない以上に険しくなっていたのだ。
「……カロン?」
「何かがおかしい」
カロンは視線を前――クリスに固定したまま言った。
「クリスは生きている。死んでいるような目をしていたが瞳孔は開いていた。なのにいくら呼び掛けても反応がない」
「それって植物状態ってやつじゃないの? ……ていうか、何でクリスはあそこで横たわってるの? さっき来たばっかだからいまいち状況理解できてないんだけど」
カロンは無視しようとしたがリタの視線がそれを許してくれなかったので、簡単にこれまでの過程を放した。
「――話を戻すが植物状態になっただけなら俺もここまで困惑しない。クリスの中に別の意識があった」
「はぁ⁉ ちょちょ、ちょっと待て、カロン、お前今なんつった?」
レイは見事に動揺していた。クリスが二重人格だとは聞いたことも無いしそう言ったそぶりも見たことが無い。
「意識と言っても鼓動だけだったがな。……だが、その鼓動を感じた場所がとても不可解だ」
「場所って……?」
カロンは呼吸を挟み、意を決したように告げる。
「クリスの首、ノエルが権能を使う前までは天性力、〈ガブリエル〉があった場所だ」
カロンが言い切ると同時にクリスの体が浮き上がった。糸で吊るされたように力なく浮いていくクリスの体は、ある程度上昇したところで静止した。
そして、体を起こしたかと思うと、その背中から二対四枚の純白の翼が生えた。
さっきまでの痛々しい血痕と血みどろの制服は綺麗に消え去り、その裸体を隠すのは純潔さを強調する白一色のぺプロス。布のつなぎ目には綺麗に咲き誇る白百合が使用されていた。
その姿はあまりにも神々しく、それを見た者の頭に強くこう刻まれた。
――《智天使》ガブリエル。
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