第24話 差し伸べられし魔の手
「ん……んん……」
クリスが目覚めた場所は森だった。どこの森かはわからないが、見上げた先に世界樹が覗いているからまだアースガルドの中だろう。
森の中だがこの辺りだけは綺麗に伐採されていた。上から見たら円になるように草原が広がっている。草原の中心にわざと残したのか一本の木が生えていて、クリスはその木に縛り付けられていた。立った状態で腕ごと胴体が縄で縛られている。でもそれだけだ。上を見ても何か物騒なものがこちらを捉えているわけでも無く、ちょっとでも動けば縄がさらにきつくなる感じもない。
この程度の拘束天性力でぶち壊してしまおうか。と、クリスが〈ガブリエル〉を使おうとした時、暗闇から二つの人影が現れた。
一人は学院の制服で大鎌を担ぎ左手に五芒星の描かれた手袋をはめている少女。
「ヤッホークリスちゃん。目が覚めたぁ?」
少女はあどけない声を出しながら手を振る。
そしてもう一人が姿を現し――。
「お母、さん……?」
その顔を見るなりクリスがそう零した。
打ち上げを襲撃し、父親を殺した少女の隣を何食わぬ顔で歩いている。何か嫌な予感がした。
でも自分と一緒に連れてこられて今は脅されているだけかもしれない。そうでも無ければ愛する人を殺した犯人のそばにいるわけがない。クリスはそう自分自身に言い聞かせ母親に問いただす。
「何でそこにいるの?」
「……」
クリス母は俯くだけで何も言わない。
「そこは危険、その人はお父さんを殺した張本人」
「……」
「脅されてるの? だったら安心して、私は平気だから」
「……」
「何で黙ってるの?」
「……」
「喋れないならうなずくでもなんでもいい」
「……」
クリス母は微動だにしない。
「……ッ! 何か反応してっ!」
クリスは涙目で叫ぶ。しかし、母親は俯いたままだった。
「えっとぉ、気まずい雰囲気のところ悪いんだけど、ノエルの話聞いてもらってもいいかなぁ? ティミナも疲れてるみたいだしぃ」
少女が二人の間に割って入る。少女が母親の肩をポンポンと叩くと、母親――改めティミナは再び暗闇の中に姿を消した。
「ノエル……?」
クリスはこの単語に聞き覚えがあった。今少女が言った「ノエルの話」というのは自分の話、と言う意味だろう。一人称が自分の名前、そしてノエルという名前に該当する知り合いは一人しかいない。
「やっと気づいたぁ? 誰も気づかないからちょっとへこんでたんだぁ」
少女はわざとらしいセリフを並べフードをどかす。その奥にいたのは、綺麗に切りそろえられた鮮やかなピンクのショートボブに輝かしい金色の瞳、頭の横にピンクのアスターの髪飾りをつけた、
「じゃーん! 魔のスパイこと完璧美少女ノエルちゃんでーす!」
五年間を同じ学院で過ごした少女、ノエルだった。
「魔のスパイ……?」
「あ、聞きたいことはいろいろあると思うけどぉ、一つずつね! それとぉ、今は変な動きしないほうが賢明だよぉ。ここにはクリスが大事に思っている義理の母親がいるからね!」
大鎌の刃が鈍く月明かりを反射する。クリスもさっきの父親の死にざまを思い出し、この場からの脱出の思考を捨てた。しかしクリスの義理の母親だとは、このピンクの少女はいったいどこまで知っているのだろうか。
「それでぇ、まず前提としてノエルが信仰するのは天じゃなくて魔。だから見て、天の証はすべて捨ててあるんだぁ」
ノエルはそう言ってローブと首元をクリスに見せつける。確かにノエルに十字架や羽のバッチは見当たらない。それらを身から放すのは天の信仰を捨てた意思表示なのでノエルが天ではなく魔を信仰しているのは本当だろう。
「じゃあその手袋は何?」
「この手袋は魔の信仰の証。一般市民は着けてないけどナイトメアの軍部に関わる人間はみんなこの手袋を着けてるよぉ」
そう言って左手に着けた五芒星の描かれた指先のない手袋を大事そうになでる。
「それでぇ、ノエルがクリス達を襲撃した理由は分かるぅ?」
「そんなの知らない。心当たりがあっても天性力を持っていることくらい。それよりその大鎌は何?ただの武器じゃないはず」
クリスの堂々としている態度を見て、ノエルは無の表情になり大鎌の先っちょをクリスの首に当てる。
「ねぇ、もしかして立場わかってないの?」
「……」
ノエルの威圧にクリスは負けなかった。ノエルの目を見つめ返し絶対にそらさない。
クリスがあまりにも本気の目で見てくるのでノエルが折れた。少し距離を開けてクリスの質問に答える。
「この大鎌は魔性力、嘘と破壊の悪魔〈メフィストフェレス〉。この大鎌で傷つけた対象に嘘をつくか破壊するかの権能があるの。大きさによって傷の深さとかの条件は変わるけどぉ、人間なら五センチも傷がつけば十分だよぉ!」
ノエルはそう言って大鎌を適当な場所に投げた。大鎌はブーメランのように弧を描き数本の木に大きな傷を刻んで所有者の手元へと戻る。
「〈メフィストフェレス〉――【反神破壊】」
傷のついた木が木っ端微塵に粉砕した。
「どぉ? これがただの武器じゃないってことは信じてくれたかな?」
ノエルは圧倒的な破壊の力を見せつけにんまりと笑みを浮かべた。そしてクリスの強張った顔を見て楽しそうに語りかける。
「それでぇ、今回の襲撃に心当たりはあるぅ?こうしてクリスを連れ去った理由も一緒にどうぞ!」
「さっきも言ったけど私が天性力を持ってるから。アヴァロンの人も言ってたけど四大天使が一度に全部そろった。だから力が定着しないうちに戦力を摘み取りに来た」
「うーん七十点! 戦力を潰しに来たって言うのは正解だけどぉ、ちょっと足りないかなぁ」
ノエルは大鎌を回転させ弄び、再びクリスのもとへ歩み寄り大鎌を水平に薙ぐ。
「そもそもこの騒動の元凶は君だよ? クリス」
クリスの長い前髪が落ちた。そして異質な目、黒の結膜に赤の角膜の、厄魔の目と呼ばれ差別の対象になり、自身が捨てられた理由そのものが露出する。
「元凶が……私……?」
信じられない。そう言った様子で言葉を漏らす。ノエルはその表情にさらに笑みを深めクリスをさらに追い詰める。
「厳密にはその右目、かな? そのあまりにも人間離れした目、本当に生まれ持ったものだとでも思ってるわけないよねぇ?」
「……」
「あれぇ? まさか本当に疑問に思わなかったのぉ? あ、でもそれも仕方ないかぁ! その厄魔の目のお話自体こっちがでっち上げて信じ込ませたんだったぁ!」
「じゃあこの眼は何なの?」
「その目はぁ、クリスが生まれた後すぐに埋め込んだ作りものだよぉ? どうやって埋め込んだかはノエルも知らないから聞かないでねぇ」
ノエルの話が本当なら自分が拒絶され捨てられたことはどうなる?作り話を信じて、作り物の目を埋め込まれて、勝手に厄をもたらすなんて言われ孤立して、あまつさえ必死にこの目を隠してきた。しかしそんなことに何の意味もなかった……?
クリスに先ほどまでの強い意志はもう残っていない。ふつふつと意味のない差別に対する怒りがこみあげてくるだけ。なおノエルの言葉は終わらない。クリスを突き落とそうと次々と真実を明かしていく。
「魔の国としてもぉ、やっぱり敵国の情報は大事なの。上層部でも意見が一致したんだぁ、どうにかして敵の情報をリアルタイムで入手しようって」
クリスの体に嫌な汗が浮かんでいく。
「ノエルの上司はまだ子供なんだけど欲がすごくてね、この敵国の情報もすごく、すごーく欲しがってたのぉ。そこで上司はある提案をしたんだぁ」
もったいぶるようにゆっくりとした言葉が、一言一言クリスの脳裏に焼き付けられる。
「この世の現象を観測する機能は眼にある。だから敵国の情報を盗む目は目に隠そうって。これをノエルより年下の子供が言ったんだよぉ?」
「情報を盗む目……?」
「あははっ! いい顔になってきたねぇ。――そう、クリス、あなたの右目で見たものは全部魔の国も一緒に見てたんだよぉ! どぉ? びっくりしたぁ?」
歯の根がかみ合わず体が震える。この眼で見たもの、生まれてから十七年の記録は全部敵に流れていたというのか?
皆と過ごした楽しい日々も、学院で学んだ数々の魔法や天についても、最終試験の激戦や手に入れた天性力の内容も、ましてや捨てられる前、この国の上層部に食い込むサンティス家にいたときのことも?
クリスは恐怖した。今回の襲撃もタイミングが良すぎた。ピンポイントでクリスの家を襲撃し、しかも一番近くに父親がいる状態。意表を突くのには完璧の状況。それもすべてクリスの右目が原因だとすれば説明がつく。
「いいよ、いいよ! その絶望した顔! でももうちょっと足りないかなぁ。んーそうだねぇ、実はその右目、ちょっとした信号を送れるんだぁ」
「……信号……」
「そう、信号。小さなことであればその後の行動を指定できるのぉ! クリスが自分の家に皆を招き入れたのもノエルがそう指定したからなんだぁ!」
確かにクリスの右目から情報を得ているなら家の形状も分かる。未知の戦場より見知った戦場のほうが有利に立ち回れる。そしてなりより、クリスの家は周りと何ら変わらない一般住居、そして中心部から離れ辺りは暗く静かなのだ。
「全部……私のせい?」
クリスが小さく零す。
「私がこの目を隠して来たからこの国の情報がより多く流れたの?」
「うん、クリスが悪い」
「私がこの目の正体に気づかなかったからレイやリタみたいな同情する人を作ったの?」
「うん、そうだよぉ」
「私がこの目に違和感を感じなったから、みんなを危険な戦場に連れて来たの?」
「うんうん」
「私のせいで、お父さんはあなたに殺されたの?」
「うーん、それはちょっと違うかなぁ」
ノエルが否定するとほぼ同時に暗闇から人影が現れた。
「ノエル、待たせたわね」
「ホントに遅ぉい。それで、持ってきてくれたぁ?」
「もちろん、はら、あなたの戦闘服」
「ありがとぉ! これでこんな汚い制服着なくてすむよぉ!」
「お母さん……?」
敵であるノエルに友好的に話しかけているのは一緒に連れてこられたはずの母親だった。
しかしその恰好は首から上以外を包む体のラインにフィットする戦闘用スーツ。その上から漆黒のローブを羽織り、その左手には、ノエルが言っていた魔を信仰する証、五芒星の描かれた指先のない手袋をはめていた。
「クリス、私はあなたの母親などでは無いわ。ノエルの同僚、強欲の使徒ティミナよ」
「ノエル着替えてくるからぁ、ちょっと相手しててぇ!」
次はノエルが暗闇に消え、一部開けたこの場所は、クリスとティミナの二人のみとなった。
「その顔を見る限り大体のことは知ったようね」
ティミナはまるで他人を相手しているかのように冷たい目をしている。
「なんで……その手袋を……?」
「何でも何も、私も魔のスパイだからに決まっているでしょう? ノエルが学院で、私がそれ以外であなたの目の管理をしていたの。むしり取られたりでもされたら困るからね」
「命令? それじゃあ今まで私にやさしくしてくれたのも……?」
「嘘に決まっているでしょう? それともクリス、あなた私が善意でそうしていたとでも? もし私がこの国の人間だとしても、あなたに救いの手を差し伸べたりなんてしないわ」
ティミナの顔から感情が欠落し、今までの温もり全てを否定するように告げる。
「この国で厄魔の目は信じられているのよ? そうと分かっていて厄をもたらす人間を助けようなんて思う人間はどこにいるのかしらね。あなたと一緒にいたお友達もどうかしら。もしかしたらあなたのことを拒絶しているかも知れないわよ?」
「う、そ……」
クリスの中でなにかがどんどん失われていく。
自分と接しているあの姿は取り繕いで、演技で、嘘で、裏では忌避していたのか。
一方的に友達だと思い込んでいて、実は否定されていたのか。
自分は、誰かと一緒にいてはいけないのだろうか?
「あっははは! ティミナったらひっどぉい!」
高笑いと共にノエルがティミナの後ろから身を乗り出してきた。
ノエルも着替えていたが、それは戦闘服と言うより、魔法少女のような黒とピンクでレースのついたミニスカートのドレスと言う、また趣向の違った衣装を着ていた。
「でも、クリスに同情はしないよぉ! 異物を遠ざけるのは人間の本能だからねぇ!」
「あら、あなたも大概ひどいじゃない。この子には大切な夢があったでしょう?」
ティミナの言葉にノエルは声を上げて大笑いした。
「あっはは! そうだったねぇ! 確か「私のような差別される人がいない国にしたい」だっけ? ほんと、笑っちゃうよねぇ! あっははははははははは!」
ノエルはひとしきり腹を抱え笑った後、滲んだ涙を拭きとりクリスに近づく。そして自身に付けていたピンクのアスターの髪飾りを外す。
「ピンクのアスターの花言葉は「甘い夢」。どう? クリスにピッタリじゃない?」
クリスの頭に髪飾りを着けた。銀色の髪にピンクの花が異様に目立つ。
動けば動くほど情報が洩れる人間が素敵な国を作りたい。自分が掲げた夢も、今ではただの戯言にしか思えなかった。頑張れば頑張るほど敵が有利になり、国が貧困し喧嘩や略奪が起きる。そもそもこの異質な目があるせいで自分の言葉など聞いてくれやしない。クリスは悟った。
「私に……もとから選択肢なんて無かったんだ……」
自覚したことで何もできない悔しさと、周りを巻き込む自分に怒りが込み上げてきた。
涙がこぼれるが、右目からは一滴たりとも出てこない。それは自分が周りと違うことの証明でもあった。
それでも他人事のようにクリスを眺める魔のスパイ。
「このくらい乱れれば十分じゃない?」
「そうだねぇ、そろそろやってみるかぁ。――ねぇクリス、自分は救われたい?」
「私が……救われる……?」
「そう、クリスは他人のために頑張ると言ったけど、自分のためにその力を使ってもいいんじゃないかな? ノエル達が信じる魔なら、クリスに幸せな生活を約束できる」
あえて優しく言葉をかける。
孤立した人間は、優しくされるとそれを過剰に意識し、依存する。今の状況も例外ではない。全てを否定されたクリスにとって、この言葉は溺れそうになった時に下ろされたロープに等しい。
少しでも自分が助かりたいと思えば、そいつは絶対にロープを掴む。
「私は……、私も、幸せになりたい! この目なんか気にしないで、本心で接してくれる友達が欲しい!」
ノエルとティミナは表面では温かい目でクリスのことを見ているが、本心では大爆笑していた。
(何この子ぉ! ノエルがちょっと優しくしただけで寝返ろうとしちゃたぁ! あはははっ)
(やっぱり子供ね。それにしてもこんなのが天性力獲得者なんて、この国はお花畑なのかしら)
「でもねクリス、あなたは天を信じる人、そう簡単に力を貸すわけにはいかないんだぁ」
「私は何をすれば救われるの?」
「ちょっとした試験を受けてもらうよぉ? それに合格すればあなたを幸せにしてあげる」
「私はなんだってやる」
「そっかぁ! それじゃあ――」
ノエルは大鎌の刃をクリスの右目の下に当て、優しくなでる。
五センチ程度の傷がつき、血が頬を伝って流れていく。そしてノエルは大鎌の柄をしっかり握り、権能を発動した。
「〈メフィストフェレス〉――【嘘導誘惑】」
クリスの脳内に焼き付けるように言葉が走った。
――これから来る天の信者を殺せ、そうすればお前は救われる。
クリスは俯き、動きを止める。やがて顔を上げ自分の意志で、こう言った。
「私は、私のために戦う。だから、私を拒絶した天を殺す」
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