第21話 崩れ去る日常をまだ知らない

 クリスの家は、商店街から二十分くらい歩いたところにあった。

 中心部から少し離れ辺りはしんとしているが周りとなんら変わらないレンガ造りの一般住居。クリスの過去を知っているレイからすれば少し今感を感じるまでに普通だった。まあそんなことを何も知らないカロンたちに言うわけにもいかないので口には出さなかったが。

「ここでいいみたいだな」

 レイはもう一度地図を見て確認し、ドアノブを捻りドアを開けた。

 中に入り、リビングを見て手に入った情報は、

 キッチンを中心に広がる水たまり。

 知恵を振り絞って決めたメニューでは絶対使わないであろう調理器具を無心で洗っているリタ。

 そして、椅子の上で膝を抱えうずくまっているセレジア。

 これだけで何があったかはほぼ明確だが、それを決定付けるキッチンから伝わってくる片目を隠した低身長の不のオーラ。

 その光景を見てなんとなく察しがつき苦笑するレイ。セレジアの尊厳を守るためあえてその状況にコメントしなかったが、横に相手を憐れむことの無い、思ったことをそのまま口に出す男がいた。

「セレジア、お前また何かやらかしたのか」

 そう、カロンである。

 セレジアは指名されたのと「また」という言葉に反応して若干涙目になりつつもカロンに反論する。

「なぜわたくしと断定するんですの⁉ それにわたくしがうずくまってる=何かやったって勝手に決めないでもらえません⁉ この状況もただの偶然かもしれませんのに!」

 セレジアはそう言うが、偶然で床が水浸しになったり使わない調理器具を洗うことになんてならず、ましてやキッチンにいる二人がセレジアのことを感情のない目で見るわけがないのである。

 それからもセレジアの言い訳?は止まらず早口で言葉がなだれ込んでくる。永遠に続くのかと思うほど止まない言葉の嵐は、カロンの背後から聞こえてきた謙虚な声で収まった。

「お、お邪魔します……」

「カ、レ、ン、さあぁぁぁぁぁぁぁぁん!」

「ひいっ!」

 セレジアが目を光らせカレンに迫ろうとするが、愛する妹の悲鳴を聞いた兄の行動は速い。

 カロンが妹に迫る危険分子のローブをつかみこれ以上の接近を許さない。

 それでもセレジアは顔色一つ変えずに次は言葉でお近づきになろうとする。

「あなたがカレンさんですわね! あなたのことはお兄さんからよ~く聞いていますわ。洋服作りが好きなんですのね。その今着ている服も自作ですの?」

「え、えっと……」

 いきなりすぎて戸惑うカレン。

 カロンは無言でローブを握っている手を上にあげた。

 セレジアが地から足を放し、ローブと共にブラウスの襟も一緒に掴まれたのか襟が首につっかえて苦しそうに悶えている。

「に、兄さん放してあげてください! 私もちょっとびっくりしただけですから!」

「そうか? お前がそう言うのなら」

 カロンはあっさりと手を放した。

 よほど苦しかったのだろうか、セレジアは肩で息をし、せき込んでいる。

「私はカレン・アロイザーと言います。あなたの名前をお聞きしても?」

「はぁ……はぁ……わたくしは……セレジア・プロア・サンティスですわ……」

「サンティスって、あのサンティス家ですか?」

 セレジアはやっと呼吸が落ち着いたのか深呼吸してから立ち上がった。

「そうですわ。でも家名なんてもの、今はたたの飾りですので、かしこまらずに普通に接していただけるとこちらとしても気が楽ですわ」

「わかりました! よろしくお願いしますね。セレジアさん!」

「ああ……カロンさんの妹に名前を呼ばれましたわ……!」

 セレジアはいったいどこに向かっているのだろうか。

「この洋服は私が作ったんです! 今まで作って来た中での最高傑作なので着て来たのですが、どうでしょうか?」

 カレンはワンピースの裾を摘み、くるっと一回転して見せる。

「ああぁぁぁぁ! いいですわ、最高ですわ、完璧ですわあぁぁ‼」

 セレジアが鼻から赤い液体を噴射し仰向けに倒れた。もはや変態である。

 セレジアが異様なテンションの上りを見せる中、ドアが開く音と共に二人の男女が家に入って生きた。

「あら、あら、いらっしゃい。皆さんクリスのお友達?」

「クリスにも学院生活で得た者がたくさんあるんだなぁ」

 捨てられたクリスの拾い手にして、現クリスの父母であった。

「お邪魔してまーす。あとキッチン使わせてもらってます!」

 リタがキッチンから顔を出し皆を代表してあいさつした。この時セレジアは血をぬぐい既に人の妹で興奮する変態から貴族令嬢へと戻っていた。

 クリス母は今ここにいるメンバーと、今日の学院の行事、そして四人が天人の証をぶら下げているのを見て大体の経緯を察したようだ。

「よし、できた」

 短い言葉が聞こえてくるのと同時に、エプロン姿のクリスが鍋をもってキッチンから出てきた。

「おかえりなさい、そして卒業おめでとうクリス。今日はお友達と一緒に夕ご飯を食べるのね―って、クリス! どうしたの、その恰好は⁉」

 クリス母が声を荒げたのはクリスのエプロン姿がおかしかったからじゃない。そう、彼女は頭から水をかぶったかのようにいたるところが濡れていたのだ。

 クリスは手に持っている鍋をテーブルに置き、自身を濡らした犯人にジト目を向ける。

「このお嬢様にやられた」

「お嬢様……金髪……今年の卒業生……あ、もしかしてサンティス家のご令嬢さん⁉」

 クリス母は驚き声を上げた。まさか名家のお嬢様がクリスの友人を名乗り自宅にいるとは思わないだろう。

「そうですわ! わたくしはセレジア・プロア・サンティス。サンティス家の令嬢でしてよ! でも公務の時以外は一般人のつもりですので、かしこまらずに普通に接してくださいの」

 セレジアはクリスの母に変な印象を与えないようにクリスの視線を無視して自己紹介に全力を注ぐ。

 しかし、

「そのお嬢様がクリスに頭から水をかけた、と……。面白いお嬢様のいるものなのね」

 その努力は無駄だったようだ。変な目で見られなかっただけ良しとしよう。

 そのあと一通り自己紹介をすまし、大人はリビングから出て行った。楽しい時間は子供たちで楽しめるように配慮してくれたのだ。

 テーブルに出来立てほやほやの料理が並ぶ。

 ボルシチ、チキンソテー、カナッペ。

 いざ並べてみると肉が多い気もするがそんなのは気にしない。パーティーに肉は必須である。

 ちなみにレイは鶏肉を見て苦笑いをしていた。この赤髪の少年は死んだ鳥でもダメなのか。

「クチュッ。……寒い、着替える」

 クリスから可愛らしいくしゃみが。火元から離れて水の冷たさが伝わってきたのだろうか。

「……そうだね。この水浸しになった床もどうにかしなきゃ……」

 リタは苦笑してキッチンのほうを見やる。

 セレジアもあたふたと慌てながら、

「わたくしもお手伝いしますわっ!」

「セレジアがやるのは当然。……キッチンにある雑巾適当に使っていいよ。クチュッ」

 そう言ってクリスはいかにも寒そうにまた可愛いくしゃみをし、自身の部屋へと姿を消した。

「私も手伝います!」

「お前がやる必要はない。これは元凶がやるべき仕事だ」

 カレンもお手伝いを申請するがカロンが止めた。

 カロンの過保護すぎる言葉にセレジアが反発する。

「カレンさんがやるって言いだしたんですから別にいいじゃありませんの⁉ 本気で妹さんのことを思ってらっしゃるなら、もっと個人の意思を尊重するべきですわ!」

「その通りです兄さん! 兄さんは少し過保護すぎます! そんなんじゃ妹も成長しませんよ?」

 妹の言葉にカロンは何の異論も立てず折れた。

「わかったわかった、好きにしろ」

 三人が床を拭いている中、何もしていないレイはなんだか落ち着かず、

「なあクリス、他に何かやることあるか――」

 何か仕事をもらおうとクリスがさっき入った扉を、開けた。

「「あ」」

 レイとクリスの目が合う。

 レイはこの時ようやく気付いた。――たったさっき着替えると言って部屋に入ったじゃないか、と。

 しかし時はすでに遅し。

 レイの眼球には予備の制服のスカートを半分まで上げている姿が焼き付けられた。そして、見てしまった。彼女の水色水玉パンツを。

「――ッ!」

 レイは勢いよく開けた扉を閉じ、扉に背を当て開かないようにする。

 目が合った時に感じたのだ、ほんとに殺されるかと思うほどの殺気を。

 レイは嫌な汗を全身に浮かばせ、息を荒くしている。

「〈ガブリエル〉――【神の力】」

 扉越しに小さく声が聞こえたかと思うと、レイの顔の真横を何かが目にもとまらぬスピードで駆け抜けた。そしてその何かは進路上にいたカロンの方へと向かうが、これをカロンは二本の指で止めて見せる。

「ナイフか」

 カロンの口から出てきた単語にレイは恐怖を感じた。あのスピードで放たれたナイフとなると、頭蓋など簡単に貫通してしまうのではないか。

 レイががたがたふるえていると、扉の向こう側からもう一言。

「〈ガブリエル〉――【神の力】」

 次は扉が蹴破られた。もちろん、扉にピッタリと張り付いていたレイは下敷きである。

 扉の奥からクリスが姿を現し、扉ごとレイを踏ん付けた。

「ぐえっ」

 レイが苦しそうに唸るがクリスは気にしない。自分の着替えを覗いた者にかける温情など存在しないのである。その顔にも羞恥心の類は見受けられず、ただ冷酷で殺意のこもった表情でレイを見下しているだけだった。

 ――それにしても、天性力を獲得して最初の使用が覗き魔退治だとは、〈ガブリエル〉もかわいそうである。

 クリスはさっき投げたのと同じナイフをもう一本取り出し、銀色に輝かせレイに問いかける。

「わざと?」

「いいいいいい、いいえ⁉決してわざとじゃございません!」

「じゃあ何で?」

「は、はい! 皆さんが働いているのでわたくしめも何かお役に立ちたいと思って仕事を聞きに行った結果であります!」

 クリスの有無を言わぬ威圧感に気圧され口調がおかしくなった。なお、まだ扉の下敷きである。

「私は着替えるって言ったよね? 聞いてなかったの?」

「もちろん聞いていました! つい開けてしまったのはこの家に詳しいのはクリスであってリタやセレジアに聞くのはなんか違うような気もしなくもなくてそれでクリスに聞こうと思ったんだけどやっぱり話は面と面で向かってするものだしノックすればよかったって話にもなってくるけどその時そんなことは思考の外にあり実行できなかったりしなかったりするかも……………………」

「要約すると?」

「気づいたら開けてました!」

 うわぁ……。レイを除く全員の思考が被る。潔く無意識だと認める彼のメンタルは見上げたものだ。

 お掃除を終えた三人も加わりレイを一斉に攻撃した。

「無意識で着替え中の女の子の部屋を開けたの? ……死ねばいいのに」

 グサッ。レイのココロにダメージ。最後の「無意識」。この単語に一番攻撃力があった。

「あのさレイ、確かに人間の三大欲求に性欲が存在するけどそういうのはTPOを考慮するべきだよ」

 またもやレイのココロにダメージ。きっぱり否定せずちょっと憐れむ感じが地味にきつい。

「貴方クリスを汚すつもりですの⁉ そんなことこのわたくしが許しませんわ!」

 この言葉にダメージは感じなかった。――おそらく、先ほどまで人の妹で興奮していたからだろう。こいつにこの手のことは言われたくない。

「レイさん……。実は凶暴な野獣だったんですね……少し失望しました」

 効果は抜群だ。あって間もない人間に変態の烙印を押された。――正直死にたい。

 レイは希望に満ちた目でカロンを見上げる。

(コイツはマブダチも越した最強の親友。友として、同じ男として、どうかお前だけでも俺にやさしい言葉を! ―さあ、いかに!)

「屑だな」

 即答だった。目が合った瞬間、何のためらいもなしに言い放ちやがった。

「はは……ははは……もうやだいっそのこと殺してくれ……」

 レイのメンタルゲージははち切れたようだ。

 レイの体は、魂が抜けたかのようにフニャフニャとしぼんでいった。

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