第11話女性のモノ化という今更の陳腐
森井夜鶴は切り出した。
「貴方ね?自分の社会的体裁の為、精神の安定のために女性を男性に再分配しろとか、トロフィーワイフが欲しいとか、女性をモノ化しろという猫は?」
「欲望に忠実でナニが悪いんだよッ!(碇シンジ風)にゃー。
それに女性のモノ化なんていうにゃが、有史以来、とっくに人間なんて施政者の都合でモノ化されてきているにゃ。元から一夫一妻制なんていうキリスト教式結婚制度そのものが正しく男女の再分配だし、それを制度が先にあったのを、お前ら純愛だのなんだのと頭の中で自己洗脳できている時点で、人のモノ化に抗うような今更の自我があるなんておかしな話もないんだにゃ。男女共同参画だってそうにゃ。経団連の目論見にゃ。標語だけで全国民を労働単位でモノ化できるという甘い目論見があっただけで、そこに平等だとかいういかにもな理念が都合よくマッチして乗っかっただけなのにゃ。ところが理念が先行して情報化社会の中で内情の格差の方が視覚化されてしまったから内ゲバがはじまって、グローバリズムも広まって、外国人差別もダメだってことになったにゃ。いやダメなことには違いないにゃが、男女一致団結して倒すべき仮想敵もなくなってしまい、お互いの粗ばかりが近親憎悪で目立ってしまってガス抜きのガスが内向化して腐ってお互いの為に働こうなどと思わなくなってしまったにゃ。これは経団連が人の心を勘定に入れていなかった誤算にゃ。今となっては税金さえ取れれば国力が衰えようがどうでもいい、外国人労働者の方をコキ使えという風になったにゃ。国という奴らはその時々の欲望で動いているだけで、まるで自分たちのやったことには責任を取らないにゃ。この事実にまず目を向けるにゃ。国を定規する範囲ももはやわからないにゃがね。多様性という言葉の中で人間を満遍なく薄くボヤかすことが正解だなんていうバカな錯覚が起こっているにゃ」
俺は毛を逆立てながら一息に吐き出した。
「猫の癖によく喋るわね。そういえば観たわよ?貴方の好きなエヴァンゲリオン。あれこそ碇ユイをエヴァンゲリオンというものに閉じ込めてモノ化しているわ」
「いやもうそれ女性のモノ化というか魂のモノ化であるからして正鵠を射ているのだにゃ!碇ゲンドウみたいな男は、女性というものが本当にわからないにゃ。女性がモノではないとわかりきっているからこそモノ化せざる得ないことがあるにゃ。男というのは碇ユイみたいに唐突に現れて消えていくような存在があることが不安なのにゃ……それは人情として許される範囲のセンチメンタリズムとして認めて欲しいにゃよ……というか統計上の数字として人間をマクロで扱うことを、個人に対して配慮が欠けるとか、人を数字としてしか見ていないとか難癖つけるのは、何かフィルターを混同しているような気がしてならないにゃ。そのセンチメンタリズムも返す刃で切り返されて黙らせられるべきだと思うにゃ。政治は人間の瑣末、枝葉末節に配慮するものではなく大枠を決めるものでなくてはならないにゃ。その辺り理解しないで政治家の人間としての失礼さという瑣末にとらわれていたのでは何も話が進まないにゃね。政治家も政治とプライベートを分けたいはずだと思うにゃよ。マクロで考えるべきこととミクロで考えるべきことを一様に捉えてしまうのは悪にゃ。それがお前らにはわかっとらんにゃ。セカイ系はお前らにゃ」
「それはそうと貴方、女の子を作り出そうとして、けっこうな偏見をグダグダと並べてくれたじゃない?童貞の貴方に何がわかるというの?政治を語れたとしても貴方の私生活のお粗末さ、主観の範囲なんて誤魔化せないのよ?女の子を語る時、貴方は貴方自身を誤魔化せないわ。今更言うことでもないけれど、異性と付き合う、向き合うということは自分を知っていくことなんじゃないかしら?貴方にそれだけの経験があって?」
「人の劣等感を突くなにゃ。精神科医と話している気分にゃ。にゃーは精神科医に話が抽象的すぎると言われることがあるにゃ。普遍性に於いては抽象的であることが至上であるにゃし、具体的なことを語ってその普遍性を意識させるだけの人生エピソードがそもそも無いのにゃ。だいたいにして、にゃーは女性に対して何か平均化して言える真理のようなものを求める心理自体が間違っていることはハナから自覚しているにゃよ。男が千差万別であるように、そんな真理は無いのにゃが、異性に対しては“在る”と思い込みたいのにゃ我々は。それは失恋の言い訳として必要なのであるからしてロジックではないにゃ。センチメンタリズムに対して重箱の隅をつつくのはエチケット違反にゃ。人は誰でも愚かにゃ……」
「おかしいわね?抽象的な話ができないのが統合失調症であるはずよ?統合失調者にとっては具体的固有名詞が何かの暗喩になっているのかとも思ったのだけど、貴方を観ていると処理できないほどの情報を詰め込まれた時に出力全振りで主語が抜けても振り返る余裕のない人間なんだと思うことにした方がよい気がするわ。ストレスに対して吐き出すホースの先が潰れている感じかしら?いつか言葉を吐かなくてよくなるまでストレスがなくなれば良いわね。不治の病だと思うけれど。適切な語彙が選択できるまで日本語を喋らない方がいいのかしらね。それとも逆なのかしら?わからないわ」
「語り得ぬことに人は沈黙しなければならない、なんてにゃーは思わないにゃ。手探りで真理に近づくのがにゃーのやり方にゃ。間違った言葉を使えばそれだけの違和感が収穫としてあるにゃーよ。そして何をどう間違えているのかの無意識の傾向だって、やはり何か意味のあることだと思うにゃよ。人は思っているほど自分で自分を隠せないにゃ。にゃーは裸の猫にゃ。だから私生活では誤解されやすくて生活に困難しているにゃ。普通の人はもっとATフィールドみたいな膜を持って生活しているにゃ。その辺がにゃーは異常にゃ」
「私は貴方というものをわかっているかしら?」
「さあにゃ?バーバルコミュニケーションとノンバーバルコミュニケーションではそもそも伝達するものが違うにゃ。我々が普通人格として認識しているのは声のトーンだとか、言葉の音律、文脈だけで、正確な単語の意味内容として構成が合っているかではないにゃ。なにか誤魔化す感じで言葉を発っすれば内容を捉える前に“ああ誤魔化したな”っていうのはわかるにゃ。賢しらでありながらそういうのが見え透くのが他人にとっては一番のストレスにゃよ。文章であれば行間に現れるものにゃね。リプライの応酬の中ならムーブに現れるにゃ。精神科医が調子の良し悪しを見ているのも内容ではないにゃし、人格でもないにゃ。“なんとなく不穏だ”という感覚、プレコックス感というにゃが、そういったものの方がよほど重要になってくるにゃね。他人は他人の人生の内容を背負えるほどのキャパシティなんて持ってないにゃ。そういったことを想像の外にしてコミュニケーションをとれるなんて思っていることそのものがまずは滑稽にゃ。吐き出されたものに対して他人が背負えるものなんてちょっとにゃ」
「本当に貴方の話すことの内容は抽象的ね。人間の抽象性というべきものについて抽象的に語っているのだから」
「抽象性というキーワードでいうと、フリン効果というものは知っているにゃか?近代においては抽象的な思考の必要性が高まって若者の知能指数が上がっているという話にゃ。これは知能テストに対して適応的になっただけで実質の知能として本当に上がっているのかは疑わしい話ではあるのにゃが、興味があるなら調べてみるといいと思うにゃ。にゃーも勉強中にゃ。それはそうとこの回では森井夜鶴、にゃーと猫魔術バトルする予定だったにゃ。お前のことも猫にしてやろうかと思ったにゃが、語尾に“にゃ”がつく人間が増えるとそれだけで小説では人物の書き分けが出来なくなるにゃ。不都合にゃ。よって逆転させてやるにゃ。というかにゃーを人に戻すにゃよ、森井夜鶴」
ダーンッ!
俺は自分の中の猫要素を凝縮して森井夜鶴に放った。人間としての柔らかい部分をなくしてしまう手前、尖った人間とかマチズモにフレてしまうのではないかと不安がよぎったが、主人公としてはそちらの方が正解であるような気がする。
森井夜鶴「グワァー」
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