第3話才あるものは徳あらず

 才あるものは徳あらず。

 徳あるものは才あらず。


俺は山田の打ちやすい所に球を打ちながら考えていた。俺はなんと優しい人間だろうか。テニスで打ちやすい球を打ち続けたければ、ネットの低いセンターだけに機械のように打っていればいい。壁打ちだと入射角が発生し続けるので走り続けなければならないところだ。テニスの才があるのに徳もある。どういうことだろう。おかしい。


 「トキオカ〜、橋上先生の指示でお前Bコートに移れってさ。お前山田に合わせてるのバレてるぞ」


 正確には登場人物として山田“を”合わせているのだがどうでもいい。俺に声をかけてきたのは内山である。体育のテニスコートは上手い順番にAからDまでのコートに分かれていた。なぜ俺がCコートで遊んでいるかというと真面目にやっていないからだ。しかし俺が抜けるとなると、今度はBコートのヤツがCコートに移ってくることになる。体育なんて適当でいいのに橋上はやる気があって困る。


 「そういうわけでさらばだ山田。新しいヤツによろしくな。それで山田の相手は誰なのだ、内山?」


 「いや、俺だよ。だから呼びに来たんだよ」


 「ほう、なるほど、お前が新しい壁か」


 内山は何かイヤそうな顔をしていた。確かこいつはテニス部である。今そう設定した。これはバツが悪い。俺の部活は未設定であったが、要らぬ恨みを買う予感がする。山田も俺が相手でなければすぐに出番がなくなってしまう。俺はあまり登場人物を増やしたくなかった。


 「内山、ここは一つ勝負といこうじゃないか。お前と組みだったやつと俺と山田でダブルスだ。テニス部のお前のプライドとしてやり合ってもいない相手より下になる、なんてのは嫌だろう。その結果で俺らは白熱して負けてやるから、橋上にコート移されるのをなしにしてもらおう。俺は悪目立ちしたくない」


 「どんだけ山田とつるんでたいんだよ。喧嘩売ってんのトキオカ?主人公のお前とやりたいわけないだろ。そういうのいいから。むしろ勝手に試合始める方が悪目立ちするだろ。変な気を遣うな。どうせ俺もモブにする気しかない癖に。てか気分を悪くした。山田とよろしくやる」


 ……まあいいか。内山を無視して勝手にダブルスを始めよう。三人しか登場していないけど。だいたい学校の授業の目的として、基礎体力をつけてテニスというゲームのルールとやり方をざっくりと知りましょう、という程度以上のことはない筈だ。小説としてもテニスというものに対して教養を得るための一助になればいいということはあるかも知れない。だが俺はカタログ未満にしかテニスを紹介できない。ということを打っている指の力以外まるで体力がなかった。読者諸君は目の筋力を鍛えられ、いや、或いは衰えたことだろう。ともかくBコートだろうとCだろうとDだろうと或いはAだろうとどうでもよかった。読者の健康もどうでもよかった。テニスは三人スポーツだ。秋にはPコートを着たい。


 「トキオカ。俺が言うのもなんだけど、いっくら才能があろうがやる気のない奴は論外だし、外からチャンスを恵んでもらえる資格ねーと思うんだ。いつでも全力を出している奴の元にチャンスってのは巡ってくるべきものだし、セルフハンディキャップっていうのか?そういう感覚を抱えたまま現実を選択し続けたらいつまで経っても自分の人生の選択に対してモヤモヤし続けると思う。橋上の内申も悪いぞお前」


 内山は説教だけでもかましたくなったのか、視線を合わせないが、しごく精神的にまともなサーブを打った。俺はちょっと面くらった。内山が俺と同じ顔を共有していたからだ。というか山田次郎も同じ顔を共有していた。それと相手が準備ができていない内にサーブを打つのは良くない。内山の言うように俺が真面目でないのはいくらでも推敲してやり直しがきくからかもしれないし、真面目だからこそやり直すのだと言い聞かせたいが、果たして俺は今、どれだけ推敲を重ねただろう。内山の言葉には誠実性があると思えたので俺もなんとかレシーブを捻り出してみる。俺に対する説教の誠実性さえ疑わしければこの小説は書く意味がなかった。


 「内山、俺は真剣だからこそ真剣にエネルギーを節約しているんだよ。俺が本当に真剣になるべきものはテニスじゃないからな。いざという時にガス欠したくないんだ」


 ……なんだかはぐらかしたようなレシーブしか出なかった。あまり言い返せた気がしない。そういうわけでここでこれ以上テニスの描写はしたくなかった。ラブフォーティーだ。よくわからないけど。テニスの点数の加算のされ方が60進数なのは何故なのか?山田がやれやれという目をしている。


 「お前にいざという時なんかなくね?もっと今に賭けろよ。今賭けられない奴に賭けられる時なんかこねえよ。もっと熱くなれよ」


 山田は松岡修造と林修の混ざったようなことを適当にボソっと言った。お前は味方じゃなかったのか。テニスが俺より下手な奴に言われてもと思うが、確かに感ずるところはある。教師も周りも誰も自分の納得できる地点は担保してくれないだろうし、むしろ誰よりもそいつらを信用しないというのなら、勝利条件は自らで設定しなければならない。設定しなければ人間は不幸になるばかりだろう。勝利条件が未設定のままだから、いつまでも『俺は本気を出していないんだ』、なんて言って逃げ続けることができる。その辺りでモヤモヤするのは内山の言う通りだ。だが本気をだしたらそれが即ち答えかといったらそれは違うとも思う。たとえばこの小説で俺の勝利条件が恋愛ならあの子の心をゲットすることがゴールかもしれないし、しかしそれもまた一人では解けない愛のパズルの中で自分の弱さを恋愛に逃がしているというか、転嫁しているだけかもしれない……少なくとも一人よがりで全力で当たったら砕けるのが恋愛の定石である。小説を読む貴方も現実逃避をしているのかもしれないし、ここでテニスの描写に本気で傾倒するのだって現実逃避の可能性がある。取り敢えずこの小説の本筋ではないだろう。まず逃避でない現実とは何かとゲシュタルト崩壊してしまいそうだ。果たして人間、どれだけの現実を追いかけた先に現実があるというのか。人間の現実などというもの、ラクして寝て食ってヤリたいだけだ。ステキな恋愛とかいう幻想を成立させようなんていうのはそもそもが贅沢な願望なのである。達成するためには漠然と宝くじで5億円当たればいいよな?、とか芥川賞取れれば印税で生きられるかな?とか、そんなことを仮の答えとして設定して生きてなにが悪いというのか。具体的な『ライフワークバランスを考えた無理のない理想のお洒落な生活のヴィジョン』を現実の答えだか夢の答えとして描くには、俺は仕事というものにも生活というものにも具体的な幻想を持てないでいたし、それらに対する発想も貧困だった。それは俺だけの責任で、俺だけが悪かったことなのだろうか……周りが俺の生活をどれだけ肯定してくれただろうか?時代錯誤の魔術師の観念で生きている俺は、勝手に置いてけぼりになったのかもしれないが、更新されていく時代にすら裏切られていた。もしかしたら、とにかく俺は誰かに肯定して欲しかったのかもしれない。けれどもたぶん俺という生命と生活が肯定される道は、俺によってしかないだろう。結婚して嫁さんが肯定してくれるだなんて事も思えない。女なんて生活の為に自分をヨイショするかどうかすらわからない別個体だ。その生態だけは具体的にイメージできて幻想もない。ヨイショされて嬉しいかどうかもよくわからぬ。だから俺を救うものはもう芥川賞と5億円しかない。5億円あれば俺がどんな生活をしていようとみんなをグーで黙らせることができる。芥川賞はキックだ。肯定されないなら、せめて否定されないだけの力は欲しい。権威も含めて。どうか俺を静かに生かさせてほしい。


 「よし、わかったトキオカよ。お前はまず現実というものをもっと細分化してフォーカスしようか。お前の答えはお前が地道に細分化して積み重ねてきた生活の中にしかないわけだけど、すくなくともテニスが上手ければ、恋愛の結論に至るとは言わないが、取っ掛かりのモテには繋がる可能性はある。小説がテニス小説として完成するかもしれない。そうは考えられないか?それもきっと叶っていい現実だし、すべての現実の中に愛はあると思う」


 テニス描写の解像度を上げろというのか。ここまできて俺のテニスへの興味は上げられないことがわからないとはコイツはとんだトウヘンボクである。モテとしてなら『最強勇者』とか『最強魔王』とか出オチでモテが確定しているなろう小説にでもした方が誤魔化しが効いたかもしれない。魔術師であるのでそのようにこの小説を改変することはできるかもしれないが、今更出したものを引っ込めるのもなんである。最強勇者かつ最強魔王かつ魔術師と属性を盛っていくしかない。引き算を知らない料理だろうか。どうでもいいが最強でないとモテないみたいな観念を醸成するのは青少年の精神によろしくないと思う。モテる根拠の説明部分が最強それだけだというのは、実にモテの答えを出すことに敗北しているというか、人の答えとして敗北している。優しくあるためにはまず強くなければならないというのは真理かもしれないが、その結論に救いはない。そもそもこの小説自体も盛大に言い訳であるし、精神上の毒にも薬にもならないことは明白だった。


 「言っていることはもっともだが、俺はシャラポワがエロいなぁ、という感慨以上のものをテニスに抱いたことはないんだ。なぜこの章でテニスの描写をはじめることになったのか、自分でわからないし責任を持てないでいるんだ」


 「何故俺をテニス部に設定した」


 内山が嘆いた。


 俺は小説を書きたいにも関わらず、環境描写をしたくなかった。読者に無駄な環境描写を読むことにカロリーを消費させるのは気が咎める。環境描写はその環境が伏線として回収される場合においてのみするべきであり、小説の内容の本筋ではない。ただのノイズであり、例えるならこの小説は背景の無い漫画でもよかった。我々はそこに椅子があるとか机があるとかいうことに一々意識して生活しているわけでもないわけだし、ロケーションをイメージとして楽しみたいなら家具のカタログなりPinterestをみるなりアニメを観ればいいだろうだろう。描写のために俺のカロリーを消費するのも勿体がない。筆者である俺が慣れないことをするカロリーは多大だ。テニスが発生したのも完全なる流れであった。我々の不自由な現実と等しく流れであった。願わくば小説以上勝手にイベントが進行する現実に慣れたかった。


 「小説を書き切る事がテーマの小説、なんてものを書いたら、読者を馬鹿にしていると思うか山田?」


 「お前は何か表現したい事があるから小説を書き始めたのではないのか?小説を書く事からもテニスからも逃げ出して。お前は一体読者になにを読ませる気なんだ?お前はまず世の中で自分が信じるに値するもの、好きなものを寄せ集めて明確にする所からはじめた方がいいと思う。そしてそれを作りそれに成れ。フェチなテーマとキャラクターのパターナリズムを再生産しろ。そうしたらまたお前みたいな奴がお前を追って、お前自身を肯定してくれるさ。もっともお前はTwitterで自分の認知を捨てて他人の認識に流されて生き続ける方が楽なんだろうし、共感力と自分の感性への怠惰さは紙一重だと言っておく」


 「どうだろう。小説はそうかもしれないが、人は表現したいことがあるから生まれてくるのだろうか?俺はテーマありきではなく人に立ち返ってみたい。俺は今、生まれてしまってから種々の環境に触れることで仕方なしに反応として心を持っているに過ぎない。これはこれでリアリズムを通しているんだ。好きなものを持ち得ていく過程を描いたって構わないはずだが、それがスクラップブックとしてのTwitterでした、なんて描写で小説が書けると思うか?ドラマがなさすぎるだろう。まあとにかく、俺は小説によって自分に対する世間の評価を変えたいんだ。今俺がものを書くということは、自分を擬装すること以上の意味は持ち得ていないかもしれない。けれどそれがいかに俺の愛になったらよいだろうかという切望は確かだ。信じてくれ山田」


 「Twitter、充分ドラマになると思うぞ。お前がDMやリプライを率先して飛ばしていればな。しかしお前がTwitterで本当に興味あるのって可愛い女の子のイラストばっかだし、女の子の内面にどれだけの興味があるのか気になるところではあるな。現にまだこの小説には女の子が登場していないじゃないか。お前は愛がテーマでギャルも出さない気か?まあいいや、好きにしたらいい」


 言うことは言わせたので、俺は都合の悪いことを言ってきた山田をゴミ箱に捨てた。愛がテーマだなどというのは一話目の法螺話だ。誰にも分かりようもないものにしておけば話がひっぱれる。それだけだ。


 「俺は美少女絵描きか、美少女そのものになるべきではないだろうか?なぜ小説を書いているのだろう、何故この現実は終わらないのだろう」


 解像度が足りないこともさることながらテーマもないからであった。そう、しかし実際の現実にはテーマがない。或いはテーマと共に立ち現れるのが現実である。答えの出せそうもないテーマを持ち続けて生きることは、それだけその間に他人に負債を強いることのような気がする。見えそうもないもの、見えてもいないものに付き合うほど万人はお人好しではない。このままではオチがないことは明白であった。


 「おいお前ら。今は体育でテニスの授業だ。テニスのことだけを考えろ。全力を出せるのは楽しいぞ!全力を出して不和を生まないのはスポーツの中だけだからな!自分が全力を出したことには自分自身が納得できるぞ。とにかくやれ。トキオカはさっさとコート移れ」


 橋上先生に注意された。じつに頼もしい脳筋である。だが再三であるが俺はここでこれ以上テニスの描写をするつもりはない。まずこの世界に於いてのテニスとはなんであろうか?ハリーポッターのクディッチの可能性すらあった。魔術師だけに。ポッターは魔法使いだ?しゃらくせえ。とにかく俺たちのテニスは終了した。橋上に現実を規定させる気もない。橋上もゴミ箱行きだ。


 「何故俺をテニス部に設定した。シャラポワとか一時代前だろう。ザキトワにしておけ」


 内山が泣いた。正直スポーツ選手ならなんでも良かった。

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