社会福利厚生士の咲子シリーズ
水原麻以
不老不死の女を看取ってくれ
「不老不死の女を看取ってくれ」と言われて、絶望を味わった。社会福利厚生士の咲子は大手の従業員ではない。ノウハウのない場末に困難事例が飛び込んでくるという事は、塚が出来るほど匙を投げられたのだろう。
「それで彼女は今どこに?」
本人と直接連絡が取りたいという衝動を仲介者がやんわり制止した。
「認可外のケアホームで施設管理者がオフレコにしてくれと…」
冗談ではない。特別法定終末者の看護介護は許認可申請が義務付けられている。フリーの厚生士を雇うなど論外だ。
「お断りします。違法行為しょ」
即断すると仲介者が直球を投げてきた。「あなたを選んだ理由…」
耳に胼胝が出来て膿んでる。明日は我が身、だからだ。1秒後かもしれない。咲子は不可抗力で法の庇護を外れる。
翌朝、みどりの窓口でチケットを買い、西鹿児島港へ飛んだ。
「確率変動誘因防止のため、スカートの着用をお願いします」
大根脚のCAに嫌味ったしく言われて、咲子は緩いドレスに着替えた。搭乗口の更衣室は如何にもな急ごしらえで脱衣かごに長い抜け毛か落ちている。不潔だ。
高校の卒業式以来、人前で晒した事のない素足をCAに鼻で笑われ、睨み返す。壁の黄色い箱も忌々しい。AAAED。Anti-Anomaly-Agile-Equipment-Deployer.
女の人生に死刑を宣告する凶器だ。「貴女は蓋然性擾乱因子陽性者ですね?」
目の前で砂時計を振られ、書類提示を求められるほど侮辱的な事はない。「言われなくてもわかってるわヨッ!」
鬱屈した面持ちで隔離席に座る。本当なら浮ついた場所で纏うために買った一張羅なのに。
「特権者の攻撃が近い」、と同席した陽性者から苦情が漏れるが「ご安心ください」の慇懃無礼に制圧された。
スチルを支えにしたまま、短い微睡みから覚めると、体が軽くなった。
「まもなくヨォプに到着します」
地球近接小惑星2000Ph5。咲子の切符はここが終点だ。
ドッキングハブに仲介者の手配したスペースポニーが泊まっていた。いわゆる棺桶だ。詰め込まれる前に酔い止めを吞まされた。
AIの選んだ往路は乱暴かつ短絡的で宇宙の星がふぶき、地球が天蓋を23周した。
メロメロになった咲子を遠心力の地獄が出迎えた。SF映画にありがちな巨大ドーナツが5つも串刺しになっている。
気閘をスカートにスニーカーといった軽装で通過できるほど科学は進んだが人間工学が追いついてない。
ガラスの床越しに見る付着した街並みは咲子の上下左右感覚を完膚なきまで破壊した。
内耳の囁きに従って孤独な探索をする羽目になった。陽性者の扱いはこんなものだ。
因果律に抗い
彼らは人類の天敵であり、悪意を持って事故や災害の発生確率を増幅する。ゆえにいわゆる雨女や貧乏性は感受性が高い危険人物とみなされる。
不遇に負けて犯罪や自殺に走る者が多い中、咲子は生まれの不幸を呪いたくなくて、福祉職に就いた。
厚生士は社会病理が生み出した自己免疫なのかもしれない。仲介者は音声案内だけで誘導する。先天性方向音痴の咲子にとって地獄だ。
特別法定終末者の病棟はケアホームの三分の一を占めている。そこまで数え切れないほどの検疫をくぐり抜け、ようやく本人の区画へたどり着いた。
「社会福利厚生士の野末咲子さんですね?」
「はい。宙すずらん会病院の野末です」
女医に問われてフリーランスとは言わない。形式上は前職関係者の紹介を装う。違法スレスレの業務だ。
そして、ここの壁にもAAAEDがある。
「お気づきになりましたか。『彼女』もまたあれの犠牲者でしてね…」
視線が女医と黄色い箱を往復する。
「犠牲者だなんてとんでもない! 本気でそう言ってるんですか」
これは重症だと咲子は判断した。仕方がないこととはいえ、誰かが貧乏くじを引かねばならない。彼女でなければ、咲子が、それとも別の女が十万トンクラスの造船ドックに収容されている。
だからAAAEDは受け容れなければならない。基本的人権や倫理綱領をきれいごとに貶めてでも。
頭ではわかっている。わかってはいるけど、万人の承諾は得られていない。
「彼女は本気ですよ。今からでも面会できますが?」
咲子はこくりとうなづいた。
「木星スープラマンディーン浮遊大陸産 人工火山クロノス製」、と言われて呻いた。
「本初始祖原種・直列基幹係累 カルトナーシュ・スペンシオサ株」と念押しされて、すすり泣いた。
「超長距離ダーダネルス級航空戦艦SGVF-TTC-34811Xe-DDG-4」、と確認されて悲鳴をあげた。
「エリサ・スウェンスキー?」
「あたし、そんな名前じゃありません!」
特別法定終末者のヒステリーが乾ドックを震度7の激震で揺らした。
「艦名でなく生前の本名で呼んであげてください」
看護師に注意されて咲子はカルテをめくった。「ええと、菅原祥子さん?」
ワンテンポおいて、構内スピーカーから安堵が漏れた。「はい。菅原です」
自分はいま、鋼鉄の水平線で逆立ちしているのだろうか。そういう錯覚に陥りそうなくらい、大きい。咲子はスウェンスキー号の船底を仰いでいる。
祥子とは吉祥という芳名から取られたのだという。名付け親は徳の高い住職で、流産を繰り返した母親を見かねて贈ったという。
「目に入れても痛くないほどの子か…」
咲子はエリサ・スウェンスキーのドナーと自分を比較検討してみた。
コウノトリがパンドラの箱に入れて運んできた娘といわれ、煙たがられた。生みの親には早々に見捨てられ、乳児院、養育施設が次々と経営難に陥った。
最後に預けられた拘置所で成人式を迎えた。
「何も悪い事をしてないのに」
理不尽な説教や叱責を受ける度に咲子は主張した。そして平手打ちと決まり文句の雨が降ってきた。
「お前は
舎監や寮母はいつも彼女に「生かされている事のありがたみ」を押し付けた。
(それって、生存理由になるのか?あたしってば利用価値があるから、
生み育ててくれた親や社会に恩義を感じ、誰かのために役立ちたい。そう考えるのは自発的な善意の発露だからだ。
奉仕の押し付けなんて、義務じゃないか。
出所時期が近づくにつれ、咲子は反抗心を募らせた。蓋然性擾乱因子は量子通信機を脳に埋め込まれ、居場所とバイタルサインを常時監視される。
そして野末という名字を与えられて、乏しい選択肢から天職をみつける。これも所長と看守が吟味し、あれこれ口出しして二転三転した。
「お国が敷いてくれたレールをただ転がるだけで結構な御身分よね」
職業訓練先の上司は咲子を業務上の支障として扱った。
(列車だって脱線する。横転した車体は修繕されることもなく、安上がりな解体廃棄に処せられるのに)
咲子は不平不満を心にしまって、鍛錬に励んだ。仕事内容は確率変動に汚染された地域の支援だ。
めちゃめちゃに壊れた瓦礫を撤去したり、突然の不具を負った人々を訪問介護する。
被災地に復興の2文字はない。誰もが黙っている。でも、わかりきっている。当たり前すぎて動かしがたい不幸。
それに比べて
「航空戦艦は現代の救世主です。AAAED処置を受け、無敵と不老不死の身体を与えられる」
技術者はエリサ・スウェンスキーが如何に高性能で強力か雄弁していた。本気を出せば七つの先進工業惑星をほぼ同時に石器文明へ退化せしめる。
案の定、咲子はうわの空だ。自分も確率変動攻撃に居合わせたら、その場でAAAED処置を受け、あのような巨大宇宙船に生まれ変わるのだろうか。
姿かたちが変貌するわけではない。菅原祥子という蓋然性擾乱因子はアミノ酸レベルまで溶けて死んだ。素材は莫大な魔力を持つ機動兵器の養分になる。
その代償としてエリサ・スウェンスキーというクローンボディに脳が移植される。彼女とフネは量子通信で主観を共有する。
「あらら、エリサさんに一目惚れですか。美人でしょう?」
挙動に気づいたらしく、技師が茶化す。
「デザイナーズベビーでしょ?ハリウッド女優の」
素っ気なく咲子はカルテを閉じた。心では死んじゃえばいいのに、と呪文を唱えている。
「”彼女”を特別法定終末者に指定する事は心苦しいのですが、精神の病んだ航空戦艦と共存できるほど社会は盤石でないのです」
維持費と安全保障の問題よね、と咲子は施設長を看破した。
「エリサ・スウェンスキーという人間態に主権はないんですか?」
「ご存知でしょう。いつ暴れるか判らない生体航空戦艦と肉体は一心同体です。分離手術で彼女は死ぬ」
「だったら、宇宙の一角で厳重監視のもと、自由に泳がせてあげれば」
「ですから、予算が」
「ほうら、やっぱり厄介者なんだ」
「貴女ねえ!」
施設長は金切り声をあげた。そして機銃の如くまくしたてる。「一隻の艦を一ヵ月稼働させるコストを計算すれば?それも彼女たちが持ち前の超生産能力を活かして電動カートの千台でも造ってくれれば採算があうわよ!愚痴ってふて寝するだけの凶器にどんな価値があって?」
しばらく悪態をついたあと、施設長の電池が切れた。すると、咲子はにっこりとほほ笑んだ。
「言ってる内容は言語道断だと思います。でも、あたし、正直な人って一番信用できるんです」
「ああら、そうかしら」
施設長は腰に手をあてて、そらをあおいだ。
「特別法定終末者の看取りなんて建前でしょ?」
居並ぶスタッフに咲子は感じたことをぶつけた。
「…どうにかしたいという気持ちは一緒。でも、期限を切られてる」
宙すずらん会病院は、初めて宇宙に出た民間医療法人Chrysopeleaに買収され終末期医療を手掛けていた。
蓋然性擾乱因子者活用促進法の一部が改正され「極めて危険かつ自傷他害および社会に回復困難な影響を与えるおそれ」がある場合は「専門家会議の慎重な判断と指導のもと」特別法定終末者に指定可能になった。
対象者は予後不良と見做され、そのケアに大幅なフリーハンドが与えられる。
「航空戦艦を受け入れる施設も人員も無かった。これ、わたしが辞めた後の話よね?」
咲子の問いは言わずもがな。戦略創造軍のバックアップで建設されたものだ。
「病院で働いている
すごぅい、と咲子は感心した。人間でなくなったことを歯牙にもかけず、黙々とものづくりに励む気丈さが羨ましい。
「処遇に不満はないんですか?」
「ええ、資材さえあればもっと良いものが安く作れるとか、それを探す暇をくれとか、たまには火星でレクリエーションしたいとか」
「QOL高すぎる…」
「それなのにエリサはどうして希死念慮を…」
腑に落ちないと施設長はいう。
「エリサの猶予は?」
あまり言いたくない台詞を咲子が代弁した。
「72時間」
「厚生士本来の業務を開始します」
咲子は隣のドックに入渠しているガウリカにヒアリングした。
ガウリカ・クマルは名は体を表すどころか元気溢れる少女だった。
「私が選ばれた理由は何だと思います?」、なんて勿体ぶらない。
「運命を受容した割に軍務を放棄するのね」
敢えて審判的な態度をとる。するとガウリカは軽くいなした。
「気づいたんです。私、不老不死なんだなって。だったら、いずれ終わる実戦より建設という戦略に携わりたい」
創造軍は文字通り、平和創出、つまり任地の復興も国防と考える。
「ストイックなのね。でさ、エリサの事だけど」
するとクマルは衝撃の事実を激白した。
「帰ってください!」
ドックの構内放送がわめいた。
ただただ死を待ち望む航空戦艦は門前払いを試みた。しかし、咲子は怯まず定石に従った。
「平穏な日常を奪われた悔しさと悲しみはわかるけど…」
「陳腐な説得もお持ち帰り下さい。有りのままにとか、自分を大切にとか、孤独じゃないとか、陽はまた昇るとか低俗な励ましも要りません」
拗らせてる。咲子は俄然やる気を出した。
「ガウリカから聞いたわよ。あなたガチガチの決定論者だって…」
菅原祥子がAAAED措置を受けた経緯も月並みな理由だ。シャトルで通学中に確率変動の奇襲を受けた際、その場で防戦できる能力者がおらず、たまたま乗り合わせた祥子が抜擢された。
「その時点で牧場を継ぐ話はパァです。だって私は死んだんですから」
書類上の事とはいえ人間で無くなった者は法定相続人から外れる。その辺りの法整備が現実を追いかけている。
「でも艦隊勤務に目的を見つけたんでしょ?」
「ええ、人に砲口を向ける仕事じゃないですから」
実際、エリサにとって刺激的で充実した任期だったようだ。銀河の星々を巡り、植民星を不可視の敵から防衛する任務。現地人から女神様と崇められたこともある。
「エリサ様ってアイドル扱いですよぉ」
これから死のうという人間が目を輝かせる。
「何なの、この子」
咲子はエコグラムを疑った。と、施設長の言葉が蘇った。(いつ暴れるかわからない)
「貴女、殺されるわよ!」
「死んでもいいんです。私、やっと目が覚めたんです。だって私、蓋然性擾乱因子陽性ですよ。明日の見えない人間が不老不死を貰っても、無限の可能性に埋没しちゃうんじゃないか。死んだも同然でしょ。だったら自分で制御できる死をえらびたい」
燃え尽き症候群なら咲子の得意分野だ。やる気を起こさせる方法は無限にある。しかし戦意となれば別種の大義が必要になる。
「軍は理由をつけて廃艦処分を企んでるの。貴女だけじゃない。と隣のガウリカちゃんもよ!」
「ああ」
エリサ・スウェンスキー号のハッチが開いての人間態が降りて来た。すらりとスレンダーな身体にアーモンドのような瞳と整った鼻筋、透き通った項に流れる黒髪から尖耳が飛び出している。
「菅原さん?」
「人の姿では初めまして咲子さん」
そういうと殺風景な場所に走査線が揺らめいた。たちまち応接セットと軽食が立体印刷された。
「すごおい。超生産能力?」
「そういう褒め言葉が疎ましくなったんですとか、他人や自分磨きに飽きたと言えば何て論破します?」
物憂げに髪をかき上げながら着席を勧める。グラスの氷がカランと溶ける。
「その為の厚生士よ。貴女は真面目すぎるの!軍の要求に応えて達成感を満足して、伸びしろが尽きたと思い込んでる」
フン、と祥子は鼻をならし今度は宝石の山を築いた。「欲しい物は概ね手に入れたの」
「いいえ。貴女は焦ってる。自分はまだ行けると信じて新しい目標を見失い、諦めきれず、何処から手を付けていいか…」
「迷ってない!」
そういうと咲子をスチルさせた。「3番ドックで緊急事態」
警報が鳴り、銃を構えた武装看護婦が雪崩れ込んできた。「
刹那主義や無気力が
「名誉殺人って知ってるわよね?」
訊かれずとも国家試験の出題範囲だ。レイプ被害者を一族の恥だとして私刑する。
「ガウリカ・クマルの村は確率変動の直撃を受けたの。疑心暗鬼が増幅して無実の姉妹まで殺されかけた。それでガウリカは這う這うの体で隣町のAAAEDを…」
施設長の説明は聞くに堪えない。戦争の大義が基本的人権を狭めた結果がこれだ。
「建設癖の何が問題なんです。優秀な工兵でしょ?」
「無能な働き者は殺すしかないの。ゼークトの組織論」
軍は手に余る航空戦艦の扱いに四苦八苦している。
「こんな安っぽいB級SFみたいな処遇、ありえない。退役戦艦にはリハビリが必要です」
すると、施設長が目くばせした。電光石火の早業で咲子が身体拘束される。「病床の回転率を早めないと罰則が科せられるとか、そういう陳腐な恐怖心だと思った?」
看護婦が腕をねじ上げ床に平伏させる。「プレッシャーじゃなきゃ、最初からあたしを始末するか勧誘するつもりだった…」
咲子流の正解が漏れる。
「厚生士ってその程度なの?」
施設長が犬歯を剝いた。他のスタッフも触手や牙を生やす。特権者の攻撃だ。施設がまるごと確率変動攻撃に侵されている。
どうすればいいのか。咲子は案内される際にAAAEDの配置も教えられた。法令に基づく義務だ。ちょうど目の高さにそれがある。
人間の女を捨てる覚悟はとうの昔に決めた。社会が彼女に蓋然性擾乱者の枷を嵌めるなら、持ち前の因子でそれを歪めてやろうじゃないか。
「ウォーッ」
咲子の内部で何かが点火した。火事場の怪力で看護師をなぎ倒し、AAAEDへひた走る。ドレスを掴まれ、ビリビリに裂けるが、襤褸を纏って突進する。
不可視の敵はそれを妨げようとフロアに容赦ない攻撃を加える。スタッフの手刀が肋材を両断する。
社会福利厚生士の咲子シリーズ 水原麻以 @maimizuhara
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます