チューリップの花弁が落ちて。

 翌日、僕が教室へ入ると彼女は当たり前のようにそこにいた。担任と話していたことからなんとなく察してはいたがやはり転校生だったらしい。

 朝会であの愛らしい笑みを浮かべた後、彼女は教室の隅に座った。

 翌日には初めからこの教室にいたように馴染んだ彼女を見て、どこか寂しさを覚えながら、でも、僕には関係のない話だといつものように本を広げた。

 それから数日が経った。綺麗だった花壇のチューリップたちは植え替えのために掘り返されていた。

 僕はといえば特に代わり映えもなく、かといって彼女と仲良くなったりもしていないし、よっくん以外の友達が増えたりもしてない。もっとも、そのよっくんも最近は彼女に夢中みたいだけど。

「なっ! 今日遊び行こうぜ!」

「ごめんなさい、今日はこの後予定があるの」

「昨日は今日遊んでくれるっていただろ……?」

「そうだったかしら……ふふ、ごめんなさい。また今度、一緒に遊びましょう?」

 今日も今日とて誰かが彼女を誘い、スルスルと逃れるウナギのように手から零れて、それでもたまに彼女を捕まえた誰かが放課後どこかへと消えていく。そんな日々が今日も繰り返されている。

「――……もう帰っちゃうの?」

 ――不意に現れた彼女が、僕の耳元にそっと囁く。後ろからほのかに薫る甘い香りが、僕の心をかき乱す。

「……今日は忙しいんじゃないの?」

「えぇ。だから遊びには行けないの。けど……一緒に帰ることはできるでしょう?」

 スラリと伸びた足が小さく可愛らしい靴に吸い込まれていく。黒色のワンピースが揺れる度に覗く白足しらあしにバクバクとねる心臓を抑えつけながら彼女にうそぶく。

「僕は君と一緒のほうじゃないかも」

「いいえ。貴方のおうちは私の帰り道の途中よ。“よっくん”が教えてくれたわ」

 そんなことはお見通しと言わんばかりにニッコリと微笑んだ彼女がすっと僕の手を取った。

「――一緒に帰りましょう?」

 それ以上、返す言葉を持っていなかった。


 白く細い指が、僕と左手を独占する。ジワジワと濡れる掌が気持ち悪い。夏でもないのに熱い汗が、首筋を溶かしていく。鼻腔に滑り込む甘い薫りが僕の頭をおかしくする。僕はそっとカラカラになった喉にひっそりと唾液を流し込む。

 ちらと彼女を見る。てらてらと光る朱漆あかうるしが風に煌めいて眼に刺さる。瞬きをするたびに揺らめく切れ長な睫毛に目を奪われて、不意にこちらに微笑んだ彼女と目が合い、慌てて目を逸らす。嫌な汗が掌を濡らし、それを彼女に握られる。まるで心臓を握られたみたいに脈拍が早くなる。

「――ひとみさん」

 不意に名前を呼ばれて彼女のほうを向く。返事をしようと口を動かすが、乾ききった喉は引っ付いて動かない。

 そんな僕のことを見てクスクスと愛らしく笑った彼女は僕の頬にそっと手を伸ばして――

「……あなたのおうち、ここよね? 今日はおしまい。また明日、ね」

 ひんやりとした彼女の掌が離れ、その残滓ざんしにすら心奪われる。

 ――……僕が正気を取り戻したのは、すべてが終わり、ベッドに戻った後だった。

 

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白雪に散った紅のように 星美里 蘭 @Ran_Y_1218

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