第7話黒蓮寺の修行

 三好高校の屋上は普段閉鎖されている。それは学校生活における安全のためらしい。まあ、はっきりと言ってしまえば余計なトラブルを招かないためだろう。そんなことを言ってしまえば、谷原先生辺りに鉄拳制裁されるのは目に見えているので、口には出さない。


 しかし閉鎖されていると言っても、鍵で施錠されているだけである。だから鍵を入手してしまえば好き勝手に出入り可能だ。だから昼休みに俺は屋上で学級委員の松田から聞いた話を進藤と秋草に話せていた。


「正直、感心しないな。余計なトラブルに首を突っ込むなんて。それに私たちが動くよりも警察が見つけるほうが早いと思うけど」


 やや困った表情で苦言を呈してきたのは秋草である。言っていることは真っ当で間違ってはいない。この件は警察に任せておけばいいと思うのも無理はない。


「そうなんだけどよ。でも松田が言った『煙のように消えた』ってのが引っかかったんだ」


 聞いた当初は俺も眉唾だったが、昼休みまでに集めた情報によると、本当にそう表現するしかないみたいに消えたらしい。集団で幻覚でも見たか、クスリでもやっていれば話は別だが、現場にいたのは主婦やサラリーマン、小学生などで考えづらかった。


「蒸発の比喩表現じゃないの? それならますます関わりたくないんだけど」

「俺だってオカルト染みた出来事だと思うさ。神仏を信仰している身でも信じられない」


 まあ俺は仏教徒なだけで、化け物とか妖怪とか、幽霊を信じているわけではない。

 でも言葉で表現するのは難しいが……とにかく気にかかるのだ。


「僕もあまり関わるのは良くないと思いますな。黒蓮寺殿には悪いですが」


 それまで黙って話を聞いていた進藤がメガネを直しながら言う。

 二人は臆病というわけではない。むしろ度胸があるほうだ。そんな二人が乗り気ではないのは――


「いなくなったのが野原だからか?」


 俺たちと違った意味で問題児の不良、野原勝利。

 厄介者で嫌われ者、そういうレッテルを貼られている。


「彼はいなくなっていい人間ではありませんが、彼ならどこかで遊んでいるように思えてならないのです」

「ああ。煙のように消えたのも、何らかのトリックがあったのかもしれないし」


 二人の意見はもっともだった。行方不明になって一日も経っていない。だったら俺たちが必死になって探すこともないと思う。

 しかし、俺にも探さなければいけない理由があるのだ。


「黒蓮寺殿が思い煩うことはありませんよ」

「うん。それに私たちには部活があるし」

「そうだよな……しかたねえ、俺だけでも探すか」


 俺は二人に「悪かったな」と言って謝った。

 進藤は不思議そうな顔で「変にこだわりますな」と疑念を向けている。


「どうしてそこまで――ああ、松田さんのためですか」


 進藤の言葉に秋草は「なるほどね」と頷いた。

 俺は面倒臭そうに「そんなんじゃねえよ」と否定した。


「五月の乱で松田に迷惑をかけちまった反省だ。ただそれだけだよ。勘違いするな」

「ふひひ。男のツンデレは見飽きていますぞ」

「素直に松田さんのために探すと言えばいいのに」

「うるせえ。とにかく俺ぁ一人で探す。何か情報入ったら教えてくれよ」


 別に俺は松田に恋しているわけではない。

 ただいなくなってしまったクラスメイトと、それが原因で元気のない学級委員をなんとかしてやりたい。

 純粋なおせっかいなだけだ、きっかけは。



◆◇◆◇



 頼りになる二人から協力を得られなかったのは痛かったが、それでもできることはあるので、めげずに情報を集めることにする――と考えていたのだが、師匠からラインが来た。

 なんでもエルマの日用品を買うように言われたのだ。ついでに久しぶりに『修行』をつけてくれるらしい。


 そんな暇はなかったのだが、買わないとエルマが苦労するし、スマホの文面によるとエルマは日本での買い物になれていないようだ。ましてや師匠の手を煩わせるわけにもいかない。寺を留守にするのも良くないしな。


 というわけで日用品をドラッグストアで買った後、俺は黒蓮寺に帰った。

 てっきり家の中にいると思っていたが、エルマは寺の賽銭箱を物珍しげに眺めていた。

 昨日のダークスーツではなく、赤と黒を基調としたカジュアルな服装だった。


「よう、エルマ。買ってきたぜ」


 声をかけると、エルマは賽銭箱から目を離して俺のほうを見た。


「ああ、信念。ありがとう。手間を取らせてしまったね」

「構わねえよ……そんなことより、師匠はどこだ?」


 昨日の出来事を思い出して、きつい態度になってしまう。

 エルマは俺から買い物袋を受け取ると「道場にいる」と短く答えた。


「そうか。じゃあすぐに行かないとな」

「私も行く」

「……はあ? なんで? 関係ないだろう?」

「思念の体術は凄いと知り合いが言っていた」


 どうやら『修行』のことを理解しているらしい。

 見られると気が散るんだけどなあ……


「思念から許可をもらっている。さっさと準備しろ」

「師匠が許可を? ……分かったよ」


 これまた珍しいこともあるものだ。

 いまいち師匠とエルマの関係が分からないまま、俺は自室に戻ってジャージに着替えた。

 道場に行くと、エルマと道場着姿の師匠が何やら話していた。会話の内容を聞く前に「おう信念」と師匠が俺に気づく。


「そんじゃ始めるか。まずは準備運動からだ」

「はい、分かりました」


 師匠に言われるまま、準備運動と柔軟をこなした。エルマはそんな俺を興味深そうに眺めていた。けっ。見世物じゃねえよ。


「組手すっか。ほれ、どこからでもかかって来い」


 師匠が構えもせず、自然体で俺の攻撃を待っている。

 今日こそ一本取りたい――俺は師匠に襲い掛かった。


 師匠の顔目がけて右の拳で打撃を放つ。いわゆる右ストレートだ。それを師匠は難なく首の動きだけで避けた。続けて左と右でリズム良く殴るものの、まるで柳のようにするすると避けられる。


 その場から一歩も動かない師匠に対して、俺は不意を突くようにローキック――足払いだ――を放つが、師匠は予想していたようにぴょんと飛び上がって避けた。慌てて上体を起こそうとした俺の頭を掴んで、そのまま押さえ込んでくる。強い力ではないのに、まったく動けない――


「うぐぐぐ……」

「どうした信念。お前からは見えないだろうが、徐々に指を放しているぞ」


 頭の感覚でそれは分かるが、どういう原理で押さえているのか分からない。

 中指だけで押さえられても微動だに動けない。


「ほらよっと」


 師匠が指を少し動かすと、急に力が弱まって、勢い良く飛び上がってしまった――無防備になった腹に前蹴りされる!


「うぼああああ!?」


 これまた大した威力でもないのに、道場の壁に叩きつけられた!

 どたん! という音と共に背中に衝撃が走る!


「痛てええええええ!? ちくしょう、なにしやがる!」


 すぐさま起き上がって師匠に襲い掛かるが、またも柳のように攻撃を受け流され、手痛い反撃を受けることとなった。

 ボロボロになるまで師匠に挑んだが、結局一撃も当てられなかった。

 そんな情けない俺を、エルマは興味深そうにじっと眺めていた。まるで先ほどの賽銭箱のように。


「今日の修行はここまでな」

「はい、ありがとうございました……」


 疲労困憊になりながらも、俺は師匠に深々と頭を下げた。

 終わって道場の掃除をしていると「仏教徒の修行は大変だな」とエルマが話しかけてきた。


「これは仏教の修行じゃねえよ。ただの護身術だ」

「ふうん……思念は相当な実力者だが、君もできるな」

「さっきの光景見ていて、どうしてそう思えるんだ? 俺なんか大したことねえよ」


 何も鍛えていない不良程度なら何人相手でも倒せるが、未だに師匠は倒せない。それどころかあの人の本気を引き出していない。


「今日、ちょっと用事があるから、師匠と先にご飯食べててくれ」

「ご飯を作ってくれるんじゃないのか?」

「昨日の残りがまだあるしな。それを片付けてくれ」


 ここで言う用事とは野原の情報を集めることである。

 シャワーを浴びて着替え直して、夜の街に出かけよう。

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吸血鬼はお経で成仏する 橋本洋一 @hashimotoyoichi

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