10 勇人・後


「君さ、ええと……彩斗の、じゃないよね。友達の?」

「俺は誰のモノでもない。勇人の開発室を抜け出して、それから独りで動いてる」

「抜け出して、って、つまり家出したんだ。なーんか心当たりあるなぁ」


 夫の口から、それらしい情報を聞いたことがあるのだろう。

 彼女はうーんと目を閉じ考えるが「思い出せない」とすぐに諦める。

 頬杖を突き、だらけた格好で食卓の椅子に座る彼女。ボイドはその正面に立ち、彼女の様子をじっと観察した。

「ん? なぁに。何か付いてる?」

「いいや。……ただ、意外に感じていた。俺の存在に気付いたなら、もう少し……」

「怒るとか、嫌がるとかすると思ってた?」

「……ああ。彩斗の話を聞く限り、ディアロイドに良い感情は抱いていないだろう、と」

 嫌悪感を露わに、彩斗との関係を問い質されるのでは。

 そしてその結果によっては、彩斗と遠ざけられてしまうのでは。

 そんな風に懸念していたボイドだが、実際の彼女の対応は違った。

 何を考えているのかまでは分からないが、少なくとも、感情的にボイドを排斥しようとはしていないように見える。

 ただ、彼女はボイドの言葉を聞いて、僅かに顔を曇らせた。

「まぁ、ね。確かに私は君たちのこと、好きじゃないよ」

「そうか。……すまないな。俺がここにいることも不愉快だろう」

 だが、もう少しだけ待っていて欲しい。

 ボイドの懇願を聞き、「いやいや」と彼女は首を振る。

「別に、今すぐ出てって欲しいとか、そこまでじゃないの。ただ私が割り切れてないだけ。……っていうか、それを彩斗に見透かされてるっていうのが、問題かな」

「どういうことだ?」

「あの人が……勇人が、それを望んでないって話。あの人がディアロイドを作ったのって、半分は彩斗の為だし」

 逸次からも聞いた話だった。

 有岡勇人は、彩斗を喜ばせる為にディアロイドを作っていた、と。


(俺が、悠間と過ごしたような時を)


 あの幸福な関係を彩斗にも、と望んでいたのだろう。

 けれど現状、それは叶っていないのだとボイドは思う。

「私が君たちのことを素直に受け入れられてたら、彩斗もきっと、もっと早い内からディアロイドに触れて……お父さんのことを、呑み込めたのかな、って」

「……。彩斗は父親の死を呑み込めてない、と?」

「彩斗、あの人が亡くなってから、様子が変わったから。パソコンで何かの勉強を必死にするようになって、あんまり友達と遊ばなくなった」

「前は違ったのか?」

「性格はそんなに変わってないかな。内向的で、インドア派。でも今よりは活発だし、友達と遊んだ話だってよくしてくれた。今は全然。……だから、嘘だって分かった」

 友達と遊んでいて遅くなった、などという話は、あまりにも不自然で。

 何か親に言えない事をしているのだ、とピンと来たのだと彼女は言う。

「窓も割ってたし。あの子、自分が窓割るような生活してると思ってるのかね」

「その時点で怪しんでたか。……なら、なぜもっと強く問い質さなかった?」

「言いたかったけど、隠してたでしょ。それじゃ、どう言っても聞かない」

 お父さんに似ちゃったから、と彼女はため息を吐く。

 一度こうと決めた事を、容易く曲げはしない。困ったものだ、と彼女は呆れたように口にする。

「それで……結局あの子、何してるの? お父さんの事件を調べてる?」

 問われたボイドは、正直に答えるべきかを迷う。

 言えない、と答えれば退くのだろうか。彩斗は言うつもりは無いと言っていたし、話すなとも言っていたけれど。

「……その通りだ。勇人の遺したSSDをキッカケに、事件の真相に迫りつつある」

「そっか、アレか。……うーん、取り上げとけば良かったかなぁ。でもそんなことしたら、あの子いよいよ目標見失っちゃってただろうし……」

 ボイドの答えを聞き、母親は項垂れた。

 SSDの事は知っていたのか。ボイドが驚くと、「すぐに聞いたよ」と彼女は言う。

「あの人が死んですぐに、相談された。捨てろって言われたけど、捨てたくない。そう言って……まぁ、私は捨てた方が良いって言ったんだけどね」

 彩斗はそれを聞かず、SSDを手にしたまま、プログラムの勉強に熱心になった。

 彩斗にとっては、それが父親との数少ない繋がりなのだ。そう思うと、無理に捨てさせる気にもならず……ずるずると、今日まで彼を見守ってしまった。

「本当は違ったのかも。SSDなんてすぐ捨てて、ディアロイドでも買ってあげたらさ……お父さんのこと、そこから知れたかもしれないのに」

 彩斗が父の死の真相を知ろうとしている要因の一つは、彼が父親についてあまり多くを知らなかったから、なのだろう。

 まだ小学生の彼にとって、それは別段珍しい事ではない。父親の仕事など、ふんわりとしか知らなくても当然だ。けれど死によって父親の実体を失った彼にとっては、知識や認識が父親の全てである。

 父を知らなければ、彩斗にとっての父は次第に希薄化してしまう。

(だから聞いていたのか)

 父親がどんな人物であったのか、彩斗は妙に気にしている様子だった。

 死んだ父を追い求めるその気持ちが、母親の言葉を聞いたことで輪郭を描く。


「……ねぇ。彩斗がやってることって、やっぱり危ない?」


 ボイドが思考を整理していると、母は聞きづらそうな顔でそう問うてきた。

 心配そうなその顔を見て、ボイドは躊躇いを覚えつつも、正直に返答する。

「危険だ。有体に言って、小学生が背負うべき状況じゃない」

「じゃ、止めさせられないかな、なんとか」

「それも、無理だ。分かってるだろ。彩斗は止まらない」

「だよ、ねぇ……あの人に似てるから……」

 目を伏せる。その表情は、心配を通り越して青ざめていた。

 思い出してしまっているのだろう。有岡勇人が、己の意地を張り通した結果どうなってしまったのかを、彼女はよく知っているから。


「……最悪の事態には、俺がさせない。この身に代えても」


 だからボイドは、そう言い切った。

 実際そのつもりだった。彩斗の決意に乗った瞬間から、ボイドは何より彼を守ることを優先すると腹を括っている。

 無論、見知らぬ小さな玩具の宣言などで、彼女の恐れを晴らすことは出来ないだろうが。

 ボイドはそう思って口にしたが、彼女はその言葉を聞き、やや間を置いてから微笑んだ。

「そっか。彩斗にも、そんなこと言ってくれる友達がいるんだね」

「友達? ……まぁ、そうだな。大切な仲間だ」

 その表現にボイドは違和感を覚えたが、否定はしない。ここで首を振った所で、きっと彼女の為にはならないと理解していたから。


「これ以上の事は……彩斗から、直接聞くと良い」

「教えてくれるかな?」

「全部終わったら謝るとは言っていた。……あまり、怒ってやるなよ」

「どうだろう。……無理かも。めちゃくちゃ怒りそう」

「……そうか。まぁそれでもいいか」


 彩斗のわがままで心配を掛けるのだ。

 やはり彼は、がっつり叱られるべきなのだ、とボイドは思う。


「じゃあ、他のことは? 君、開発室から逃げたって言ってたよね」

「それ聞くか。……聞くよな。勇人の話がしたいなら、いくらでも付き合うさ」


 それから夜遅くまで、ボイドは彼女と勇人の話をし続けた。

 研究室での彼がどんな風だったか、何を言ったか。

 彼女もある種、彩斗と同じだった。

 知ることで、自分の中の有岡勇人を更に明確に描けるように。

 ……自分の胸の中で、生かし続けられるように。


(人間は、俺たちとは違うからな)


 ディアロイドと違って、人間の記憶は劣化する。

 思い出は次第に曖昧な概念と化し、姿と形を変えていく。

 だから、語り刻むのだろう。ボイドはそう理解して、思い出を言葉に乗せて送り出す。

 自分の知る有岡勇人を、彼を大切に思う人間に届けるために。


 *


「それでボイド。なんで公園なんか行くんだよ」

「データの解凍はあと一日。作戦会議もその後なら、今日は一日自由だろ」

「だけどさ。……あ、人目のあるとこの方が良いから?」


 翌日、ボイドは彩斗を少し遠くの公園へと連れ出した。

 家のPCにデータが無い事は既にバレている。狙われるなら彩斗本人だろうから、人目のある場所で過ごすことで襲撃を牽制するというのは理に適っているだろう。

「それもあるが、目的は別だ。多分この時間なら……よし、いるな」

 ボイドは公園で遊ぶ子どもたちに目を遣って、その中に目的の人物がいることに気づく。

「いるって誰が。もしかして、助っ人か?」

「まぁ待て。……光汰、コウラス! 元気にしてたか」

 ボイドが声を掛けると、遊ぶ子どもたちの中から、一人の児童とディアロイドが反応を示した。それから彼らは顔を見合わせ、急ぎボイドの元へと寄ってくる。

 人間の方は、彩斗とそう変わらない年の男児。

 ディアロイドの方は、のんびりした印象の、カメを思わせる形の機体。

 彼らは、以前にボイドが依頼を受け救出したディアロイドと、その持ち主だ。

「ボイド~! 元気だよ、どうかしたの~!」

「どうという事でもない。今なら居るかと思ってな」

「うん、いつもここで遊んでるから。……その子は?」

「ええと……どういうことだ、ボイド?」

 光汰に目を向けられ、彩斗は戸惑いの表情でボイドを見た。

 ボイドは「依頼人なんだが」と光汰に彩斗を紹介してから、彩斗に向き直る。


「彩斗。今日はこいつらとロイドバトルしてみないか?」


 ボイドが彩斗を公園に連れて来たのは、それが目的だった。

 けれど彩斗には、ボイドの意図が掴めない。困惑を隠さない彼に、けれど金井光汰は無邪気に声を掛ける。

「やろうよ、バトル! 僕、ボイドとやるの初めてだなぁ」

「負けないよ~! 光汰、ボクたちの実力、見せてあげよう!」

「いや、まだやるとは……」

「もちろん、逃げるのは自由だ。俺も無理に負けろとは言えないからな」

 ボイドが煽ると、彩斗はムッとした顔で彼を睨む。

「なんだよそれ。誘導が見え見え過ぎるだろ」

「そう言う割に気にした表情だな。どうする?」

「……分かった。何のつもりか知らないけど……前と同じだよな?」

「ああ。俺はお前の指示に従う。好きにやってくれ、遠慮なくな」

 ボイドが言うと、彩斗はこくりと頷いて、スマホのバトルアプリを起動する。

「お前、名前は?」

「僕? 金井光汰! 君は?」

「有岡彩斗。あのさ、悪いけど、オレ負けるつもりないから」

 憮然とした彩斗の態度に、光汰は一瞬面食らったような顔をしてから、ニヤリと笑う。

 こちらとて負けるつもりはない、という事だろう。「ようし!」と気合を入れて地面を叩くコウラスに、彼は「やろう!」と声を掛ける。


「バトルモード、リンク!」

「バトル……スタート!」


 *


 結論から言えば、彩斗とボイドの圧勝ではあった。

 峰の違法パーツは使用せず、健全なバトルを行った結果の、完勝である。


「あーっ! また負けた! もっかい、もっかいやろう彩斗!」

「ボイド、次は負けないぞ!」

「俺はいいぞ。彩斗、まだいけるか?」

「いける、けど……」


 そうやって再戦を続けることの、十五度。

 悔しがりつつも疲労の色を見せない光汰たちの姿が、彩斗には不思議だった。

「あのさ。……何度も負けてて、楽しいの?」

「うわ、それすげー感じ悪いよ!?」

「え。あ。うん、ごめん。……でも」

「悪いな光汰、コイツ口下手なんだ。……教えてやってくれ」

「えー。ええと、楽しいは楽しいよ。次はどう勝とう! って考えれるし」

「ボクも楽しい!」

 光汰が答えると、コウラスも嬉し気に同意する。

 勝てないのは当然嫌だ。でも戦う事、それ自体が面白いのだと彼らは言う。

 彩斗はそんな彼らの様子を見て、もう一つ質問を口にした。

「光汰たちは、一緒にいて楽しいの?」

「楽しいに決まってるじゃん!」

「光汰と過ごす時間が一番好きだよ、ボク!」

「……そっ、か。そうなんだ」

「彩斗は違うの? ボイドと一緒にいて楽しくない?」

「いや、ボイドはオレのディアロイドじゃないし。……なぁ?」

 彩斗が同意を求めると、「それはそうだ」とボイドも頷いて見せる。

「俺はお前のディアロイドじゃないし、お前は俺の持ち主じゃない。……それはそれとして、お前はどうなんだ、彩斗? このバトル、楽しいか?」

「……正直、かなりヌルくて微妙」

「ヌルいって! やっぱ感じ悪い!」

 どうなってんだよー、と光汰に睨まれて、「悪いな」と再度ボイドが謝る。

 彩斗はそんな様子を横目に見ながら、「はぁ」とため息を一つ吐いてから、続けた。

「光汰はさ。突っ込ませ過ぎだと思う。コウラスって動きは速くないだろ?」

「カメだもん、ボク!」

「……だから、相手の動きをよく見て、引き付けてから動くべきだと思う」

「引き付けて……そっか! 早速試してみる!」

 だからもう一度やろう、と誘われて、彩斗は渋々スマホを構え直す。


 十六度目のバトルは、これまでと少しだけ違った。

 彩斗のアドバイス通り、コウラスの動きを程よく抑制した光汰は、ボイドの攻撃に合わせコウラスにタックルさせることで、これまで以上にゲージを削ることに成功する。

「……ボイド、そこ!」

「了解、っと!」

「あーっ! また負けたぁ!」

 もちろん、それだけで結果が変わったりはしないのだが。

「でも光汰、なんか今の良い感じだったよ!」

「だよね! 引き付けて……か。覚えとこう!」

 今までよりもいい勝負が出来たと、光汰たちは大いにはしゃいで見せる。

 彩斗はそんな彼らの様子を半ば呆れた顔で観ていたが、その口元が僅かに笑みを浮かべていることに、ボイドだけが気が付く。

「今のは楽しかったか?」

「まぁ、うん。やり応えもあったし」

「だろうな。……これがロイドバトルなんだ、彩斗」

「…………」

 彩斗はボイドの言葉を聞き、黙り込む。

 負けても楽しく笑っていられるバトル。

 紙一重の戦いを繰り返していた彩斗にとって、それは新鮮な刺激だった。


「……そういや、牛崎とかも楽しそうだったっけ」

「最初に会った時だな。アイツらも、次は勝つとか息巻いてたな」

「これが、ロイドバトル。……そりゃそうか、本当はボイドたちって、玩具だもんな」

「俺は玩具失格だがな。ディアロイドっていうのは、本来そういうモンだ」


 それから、彩斗は公園に訪れていた他の児童ともロイドバトルに勤しんだ。

 快勝を続けて、気づけば夕刻。ちらほらと帰る者が出始める中で、彩斗とボイドも引き上げる事を決める。


「……。オレさ、迷ってたんだ。強化プログラムなんて解凍して良いのか、って」


 紫に染まる空を見上げ、彩斗は呟くように口にした。

 彼の肩に乗ったボイドは、「分かっている」と首肯する。

「KIDOはディアロイドのこと、金儲けの道具だと思ってて、兵器にしようとしていて」

「腹の立つ話だな」

「NOISEは人間のせいで酷い目に遭って、人間を嫌いになって恨んでる」

「それも腹の立つ話だ」

「……そんな状態で強化プログラムなんて解凍したら、人間もディアロイドも、お互いに不幸になるんじゃないかな、とか思っちゃってさ」

「ああ。有り得なくもない話だ。……それで?」


 決めたんだろう、どうするか。

 ボイドに問われ、彩斗は「決めた」と頷く。


「オレ、強化プログラムも、使えるなら使いたい」

「どうしてそう決めた。……危ないのには変わらないぞ」

「そりゃそうだけどさ。でも今のままじゃ多分、光汰やコウラスみたいに、仲良く過ごしてるディアロイドが割を食うんだよな」

 貴堂豪頼の体制では、ディアロイドは兵器化し、NOISEとの溝も深まる一方だろう。

 そうならない為には。人とディアロイドが、仲良く共にあり続ける為には。


「父さんの死の真相を暴いて、貴堂豪頼を失墜させる必要がある」

「失墜も追加か。良いな、それ。……その為に、力が要るってわけだ」

「要るよ。正直使うのは怖いし、使わなくて済むならそれが一番だけどさ。それでも」


 父さんが守ろうとしていたものを、全力で守りたい。

 有岡彩斗はそう告げて、肩のボイドに目を向けた。


「一緒に戦ってくれるか、ボイド」

「ああ。俺はとっくに、そのつもりだ」


 有岡勇人の理想を守るために。

 有岡彩斗の幸福を守るために。

 命を掛けて戦い抜くことを、ボイドは既に決めていた。


【続く】

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