07 引き金・前


「……だからね、見過ごせなかったんだと思う」


 境川星奈は、そう言って語り終える。

 かつてアッシュと呼ばれたプロトタイプが、ボイドと名乗るまでの道筋。

 彼女の目線から知り得る限りの事を聞いた彩斗は、小さく息を吐いた。


「オレが、幸せになれないと言ったから、ですか」

「多分ね。重ねちゃったんじゃないかな」


 一度は彩斗を危険から遠ざけようとしたボイドが、なぜ彼を手助けしたのか。

 それは、目の前で幸福を失おうとする彼を、かつての相棒と重ねてしまったから。

 星奈の推論に、彩斗は沈黙する。納得のいく話だった。きっとそれが真相なのだろう。けれどそう聞いて、明るく頷ける彼ではない。


「……良かったのかな、これで」

「巻き込んじゃった事、後悔してる?」

「少し。……わがままじゃないですか、オレの」


 嘘を吐いたわけではない。本心から、彩斗はそうしなければ納得して生きられないと感じてはいた。けれど……どうなのだろう。そんな理由を聞かされてしまえば、自分が彼の心の傷を利用してしまったのではないか、という気持ちが湧いてきてしまう。


「……なんの話をしている?」


 顔を伏せた彩斗に、聞き馴染みのある声が投げかけられた。

 見れば、卓上のボイドが目を覚まし、己に差し込まれたコードを抜き払っている。

「ボイド。起きたんだ」

「ああ、今しがた再起動を終えた。……しばらくはやりたくないな」

「そんなこと言ってー。かなりアプデ溜まってたよ~? ちゃんとやりなさい」

「お断りだ。記憶の確認さえスキップ出来ればまだいいが」

「あっ。……あー……そっか、見ちゃうんだ。ごめんね」

「いい。お前が悪いわけじゃない」

 拗ねたように顔を背けるボイドを見て、彩斗はふと「子どものようだ」と感じてしまう。

 ボイドが子どもだとすれば、星奈は親、なのだろうか。

 そんなことを考えながら、彩斗はボイドの言葉の意味を遅れて理解する。

(そうか、当時の記憶を見てきたところなのか)

 だとすれば今、ボイドはどんな気持ちなのだろう。

「それで、これからどうするんだ?」

「え? ええと……」

 掛けるべき言葉に迷っていた彩斗は、ボイドからの突然の問いに答えられない。

 その反応を変に思ったボイドは星奈へと視線を向けるが、星奈は気まずそうに肩を竦めるばかりだった。

「そう、だな……まず、父さんの遺したプログラムの詳細が知りたいんだ」

「強化プロブラムかも、ってヤツか。星奈には分からなかったんだな?」

「そうねぇ。詳しい事はKIDOの方でしか分かんないんじゃないかと思うんだけど……」

「俺たちはそのKIDOと敵対している状況だ、無理だろ」

「いやいや、一人だけ心当たりがあるんだよ。伊佐木さんって覚えてる?」

「逸次か? 確かにアイツならプログラムも理解出来るだろうが……」

 今しがた記憶を参照したばかりのボイドには、彼の顔が鮮明に思い出せる。

 伊佐木逸次。KIDOの研究員として、ディアロイドプロジェクトに初期から関わっていた男。自分の起動にも居合わせた彼なら、きっと勇人が遺したデータも読み解けるだろう。


「逸次もKIDOの人間だろう。大丈夫なのか?」

「伊佐木さん、有岡さんが亡くなってすぐ、会社辞めちゃったんだよねぇ」

「……そうだったか」


 星奈が告げた情報に、ボイドの声音は重くなる。

 やっぱり知らなかったんだ、と星奈に言われ、彼はこくりと頷いた。

「正直、勇人が死んだ事も後になって知ったからな。……俺がいた時とは、ずいぶん状況が違うようだ」

「カブラヤは相変わらずだけどね? KIDOだって全員抜けたわけじゃないし。ただまぁ、伊佐木さんは有岡さんのこと尊敬してたからねぇ……」

「父さんを尊敬してた元研究員、ですか」

「会ってみる? 住所は知らないんだけど、連絡先は聞いてるよ」

 星奈の言葉に、「そうします」と彩斗は頷いた。

 ひとまず、情報は繋がった。次の目的が決まった所で、彩斗は立ち上がり、ボイドはその肩に乗る。


「ミミミ!? もしかして兄貴帰っちゃうのか!?」


 と、そこへ飛び込んできたのは蝉麻呂だ。

 ぶんぶんと羽音を立てて飛び回る彼に、「そりゃあな」とボイドは軽く返す。

「用事は済んだんだ。世話になったな」

「え~~。まだあんまりお話してないぜ兄貴ィ! 次はいつ来る!?」

「いや……来ないが……」

「帰ってこない!? あり得ない!!」

「あり得るだろ。元々来たくて来たんじゃないんだ」

「あらら。私はいつでも歓迎なんだけど?」

 つっけんどんなボイドの態度に、星奈は苦笑いする。

 ボイドは首を振り、ただ拒絶の姿勢を示すばかりだ。

「良いじゃん、たまには帰っても」

「彩斗、お前まで言うか」

「……ここ、お前の生まれ故郷みたいなもんだろ?」

「…………」

 意外な彩斗の発言に、ボイドはじっと彼の顔を見つめる。

 それが気まずくなったのか、彩斗が顔を背けると、ボイドはため息を吐いて見せた。


「答えは変わらない。今回は仕方なく、緊急だったから帰っただけだ」

「なーーんーーでーー! それじゃあ兄貴ィ、マロと今生のお別れか!?」

「そうなるな」

「オーマイガー! マロがキライか兄貴!? マロは期待だ回帰!!」

「まぁまぁ蝉麻呂ちゃん。きっとすぐに会うことになるって」

「だから、俺は帰らないと……」

「うん、だから蝉麻呂ちゃんに行ってもらおうと思うんだよね」

「……は?」


 固まるボイドを尻目に、星奈は彩斗へと向き直る。

「彩斗君がやろうとしていることは危険です。なので、ボイドだけじゃなくて私からも護衛を付けたいと思います」

「それが、蝉麻呂ってことですか」

「マロが……護衛!?」

「まぁね。ただちょ~っと色々調整とか手続きとか必要だから、すぐにってわけにはいかないんだけど……」

 いいよね、と星奈に問われ、彩斗は思わずボイドへ目を向けた。

 ボイドは呆れたように肩を落としながらも、「仕方ないだろうな」とそれを受け入れる。

「戦力が増えるのは悪い事じゃない。喧しいのが難点だが」

「マロは嬉しいぜ兄貴ィ! 兄貴と一緒にいられるし、彩斗ともお友達になれる!」

「えっ。ああ、うん……」

「うんって言った! 彩斗、よろしくなァ!」

「……よろしく」

 勢いに負け、つい受け入れてしまう彩斗。

 そんな彼を見て、ボイドはフッと笑いを零す。

「何笑ってんだよ……」

「いや悪い、バカにしたわけじゃない。微笑ましくてな」

「バカにしてるだろそれは」

 唇を尖らせる彩斗にもう一度笑いそうになって、ボイドは音声を抑える。

 だがその様があからさまだったのか、彩斗はなおも不機嫌そうに眉を寄せた。

 星奈は二人の様子を楽し気に見守って、友達が出来たと蝉麻呂が飛び回る。


 やがて、蝉麻呂が落ち着いた頃に二人はカブラヤを出発して、彼をロビーまで見送った星奈は、オフィスに戻るとグググと伸びをする。


「それじゃあ蝉麻呂ちゃん。大急ぎで支度しようか」

「オーケーだぜ星奈! んで、支度って何するんだ?」

「貸出許可の申請とー……セミファイナルの調整、それから」

「それから?」

「強制バトルモードシステムの、最終テスト。大変だよ~?」

「やること山積み! マロには容易いっ!」


 気合を入れて飛び回る蝉麻呂を見て、星奈もうんうんと頷く。


「彩斗君たちが安全に戦えるように、私たちが頑張らないとねっ!」


 *


「……で、彩斗。星奈に何を聞いた?」


 帰り道、カブラヤから離れて歩く中、ボイドは彩斗に問いかけた。

 彼女が話したであろうことは予想がついている。

 案の定、彩斗はやや口ごもってから「ボイドの昔の事」と答えた。

「やっぱりそうか」

「嫌だったか? 勝手に聞かれるの」

「星奈が勝手に話し始めたんだろ。第一、隠したい過去でもない」

 忘れたい過去でも、無い。

 ただ公言するようなものでもないだけだとボイドは言うが、彩斗の態度は曖昧だった。

「そりゃそうだけど、さぁ」

「何か後悔してるなら、答えは同じだぞ。……紛れもなく、これは俺の選択だ」

 蝉麻呂との試合前に言った言葉を、繰り返す。

 過去がどうあれ。彩斗の境遇がどうあれ。

 それに手を貸すと決めたのは、ボイド自身の意志だ。

「お前が気にすることは何もない。まぁ、信用できなくなったなら別だが」

「なんでそうなるんだよ」

「言ってたろ。『道楽じゃないなら信用出来る』って。けど俺には金以外の動機もあった。それはお前にとっちゃ……」

「信用は、する。だいたい道楽とは別だろ、ボイドの場合は」

 肩を竦めて語るボイドに、彩斗は頑として答えた。

 その言葉にボイドは一瞬何を返していいか分からなくなり、沈黙する。

「それがお前の生き方だってんなら、信用出来る。オレも同じだから」

「……そうかい」

 ふぅ、とボイドはため息を吐いた。

 自嘲だと、理解している。信用していないのは自分の方だった。


 彩斗は、態度こそ悪いが冷徹な人間ではない。

 今ボイドに対し遠慮がちな態度を取っているのも、ボイドの心境を考えての事なのだ。

 それを素直に受け取れていない自分に、嫌な気持ちが湧く。


「なら、まずは逸次の件だな。何か分かればいいが……」


 誤魔化すように、ボイドは逸次の話題を口にした。

 彩斗はちらりと横目でボイドを見て、「そうだな」と頷く。

「伊佐木逸次って、どんな人だった?」

「真面目なヤツさ。ちょっと神経質だが、それだけ細かい部分に気が付くタイプだ」

「神経質ね。だから辞めたのかな」

「さぁな。どんな気持ちで辞表を出したのかは、逸次自身に聞かなきゃ分からんが」

 逸次も、ディアロイド開発にはやりがいを感じていたハズだ、とボイドは語る。

 自分の一挙手一投足を食い入るように見つめ、出来ることが増える度に弾んだ声を響かせる。伊佐木逸次が自分から開発を降りたのなら、そこには相応の事情はあるのだろう。


(それが勇人の件に繋がるなら……)


 自分が去った後の研究室は、一体どうなっていたのだろう。

 そして有岡勇人の死の原因が上層部との不和なのだとしたら。


(……俺が引き金を引いたのか)


 浮上する可能性を、けれどボイドは口にしない。

 今それを言葉にしても、彩斗が戸惑うだけだろう。

 けれど、ボイドは聞かなければならない。そしてもし、本当に原因が自分にあるのなら。


(あるのなら、どうする?)


 答えは、いくら考えても出力できなかった。


 *


「電気、付いてないな」


 伊佐木逸次の家は暗かった。

 既に日は暮れかかっており、在宅なら電気の一つも付いていなければ不自然な時間だ。

 カブラヤから直接逸次の家へと訪れたボイドと彩斗は、どうすべきかと顔を見合わせる。

「とりあえず呼び鈴鳴らして、いなければ出直すか?」

「普通ならそうすべきだが……彩斗、アレ見てみろ」

 ボイドが指さす方向を見ると、家の二階の窓が少し開いていた。

「どう思う?」

「不用心。でも伊佐木って人、神経質だって言ってたよな」

「ああ。戸締りを忘れるタイプじゃない」

 こういう時は、何かが起こっている。

 経験則からそう導き出したボイドは、彩斗に「待っていろ」と告げて肩を降りる。

「いや、オレも行く」

「危険だ。もしかするとブレイティスみたいなヤツがいるかもしれないぞ」

「でも、行くよ。伊佐木って人に何かあったなら、人間の手も要るかもだろ」

「……気を付けろよ」

 渋々ボイドが折れて、彩斗と共に家の敷地へ足を踏み入れた。

 玄関の戸に手を掛けると、案の定と言うべきか、鍵が掛かっていない。

 伊佐木逸次は在宅だ。静かに家の中に入って、ボイドは靴の数を確認する。

(成人男性の靴がいくつか。全部逸次のモノだな)

 種類はバラバラで、大きさは均一。

 他の誰かが家にいるわけではない、と推測出来る。


 家の中は静寂に包まれていた。

 およそ、人の気配と思えるものは無い。

 そしてよく見れば、家の壁や家具のそこかしこに、傷跡のようなものが散見される。

「銃痕と、切断痕。しかも小さい」

「ディアロイドの仕業、ってこと?」

「多分な。とするとKIDOの……いや……」

 考え込みながら、階段を昇っていく。

 と、開いたドアの向こうから、倒れた人間の足が垣間見える。

「あれって!」

「待て彩斗、まだなにかっ……」


 飛び出した彩斗を止めるより先に、かちゃりと微かな音がした。

 ギリギリでその音を捉えたボイドは、ダンッと飛び出し、音と彩斗の間に割り込む。


 ギィンッ!


 小さな破裂音の後に、金属の響く音。

 ボイドの剣が、微小の弾丸を防ぎ、弾いたのだ。


「チッ。カンが良いな、人形」

「同じディアロイドだろ、冷たい言い方すんなよ」


 苛立ち紛れに吐き捨てられたセリフに、ボイドは薄笑いで答えた。

 扉の向こう。男性が倒れている部屋の中に、一体のディアロイドが座っている。

 ディアロイドはハンドガンを構え、もう一度、今度はボイドへ向けて銃を撃ち放った。

 ボイドが軽く回避すると、弾丸は床に突き刺さる。……先ほど見たのと同じ銃痕だ。


「見たか? ガキのオモチャとは違う。当たればタダじゃ済まねぇぜ」

「そりゃ困ったな。……お前、何者だ。なんで逸次を襲った」


 数歩近づいて、ハッキリした。

 倒れている男は伊佐木逸次で間違いない。

 だが妙だ。先日のKIDOのやり口であれば、人間を直接攻撃するなどあり得ない。


「あァ? まー隠せとは言われてねぇし、いっか」


 リロードのような動作を行いながら、ディアロイドは面倒そうに名乗りを上げる。


「俺は『NOISE』のシューター、ウィリディス」


 ジャマをするなら壊すぞ、と。

 緑色のディアロイドは口にして、彩斗へと銃口を向けた。


【続く】

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