06 悠間・後


「KIDOの人とも話したんだけどね」


 病院の廊下で、境川星奈は抑えた声で話す。

 消火栓の上に腰かけたアッシュは、静かに言葉の続きを待つ。

「悠間君が持ち直すまでは、いろんなテストや試遊はお休みにしよう、って」

「妥当だな。……俺はどうなる。ここにいていいのか」

「いたいんでしょ? 大丈夫。悠間君の傍にいてあげて」

「……助かる」

 アッシュの声音はいつもと変わらなかったが、実際のところは焦っていた。

 自分は悠間のパートナーだ。けれど同時に、KIDOからテスト用に貸与された機体でもある。データを取れなくなった以上、回収されてもおかしくはなかった。

 だからまずは、悠間と一緒にいられる事に安心して。

 それから、思う。悠間にもしもの事があったら、どうすればいいんだろうかと。

「なぁ、星奈」

「どうしたの、アッシュ?」

「……いや。何でもない」

 星奈に問いかけて、止める。

 彼女にそれを問うことは間違っていると感じたのだ。


 ……悠間と共にある以外の幸せが、自分にあるのか、などと。


「悠間、戻ったぞ」

「おかえり。……境川さん、なんて?」

「テストは中断。俺は悠間と一緒に残っていていいそうだ」

「そっか、中止かぁ。……なんか、申し訳ないなぁ」

 病室に戻り星奈との会話を報告すると、悠間は青白い顔で呟いた。

「今は悠間の体の方が大事だろ」

「でも、また僕のせいで迷惑かけちゃうでしょ。……今回は人の役に立ててるって、思ってたのになぁ」

 ため息を吐く悠間に、アッシュは掛けるべき言葉を迷う。

 気にするな、と言ってしまえば早いが、それで納得するとは思えなかったのだ。

「僕、いつもそうだ。誰かに迷惑かけてばっかりで」

「何を言ってる。そんなことは無い」

「僕が生きてるだけで、叔父さんだって大変だろうし。僕なんて本当は――」

「それ以上言うな。……そこまでだ」

 悠間の言葉を、アッシュは強く止めた。

 本当は。その先に彼が何を言おうとしていたのかを、アッシュは察することが出来る。


 碓氷悠間の両親は、既に事故で他界していた。

 その後、悠間は叔父の元に引き取られた後、病気が悪化。

 入院の手続きや費用は、概ねその叔父が引き受けている。

 ……悠間はその事実を、酷く気にしていた。


「KIDOのモニター試験に応募したのは、その叔父なんだろ。……悠間の事を気に掛けている証拠だろ」

 KIDOが行うロボット玩具のモニターには、その叔父から応募があったのだ。

 病院で一人過ごす悠間の為に、気晴らしになるのでは、と提案した。悠間もその事は知っているが、「だからだよ」と首を振る。

「優しくしてもらっても、何も返せないじゃん。アッシュだって、一緒にいてくれるのに僕からは何もしてあげられない」

「俺は悠間と一緒にいるだけで嬉しい。そう言っただろ」

「それは"そう作られたから"でしょ!?」

「…………」

 掠れた声で叫んでから、悠間はハッとして固まる。

「ごめん、僕、その」

「いや。……合ってはいる。俺はそう作られた」

 アッシュはすんなりとそれを認めた。変えられない事実だからだ。

"マスターとなる人間が幸せとなるよう、サポートすること"。回路に刻まれた生きる意味は、今もそっくりそのまま同じ文言を保っている。

「だが、それがどうした? 俺はそれでいい。それで幸せだ。悪い事か?」

 アッシュの語気が荒くなる。苛立っていた。悠間は『他の幸せ』とやらを語り、今の自分の幸せを、在り方を認めようとはしてくれない。ただ一緒にいられればいいという願いを、受け止めてくれない。

「だって……それだけじゃ、もう時間が無い」

「無いなら作れ。まだまだ生きろ。回復して、二人で外に出るんだ」

「……はは。本当に、アッシュは優しいね」

 アッシュの言葉に、悠間は寂しげに微笑むばかりで、決して頷かなかった。

 それから悠間は目を伏せて、「思いついたよ」とアッシュに話す。

「何を、思いついたんだ」

「聞かれたよね。アッシュといる以外の幸せ。どう生きられたら僕は幸せだったか」

 さり気ない表現に、アッシュの心は冷えていく。

 悠間は既に諦めていた。これから先の人生も、幸せも。


「僕は、自分の力で生きてみたかった」


 誰かに頼り、迷惑を掛け続けるのではなく。

 自らの力で人の役に立ち、お金を稼ぎ、生きてみたかった。

「……大人になれば出来る。子どもはそういうものだろ」

「うん。……大人になれれば、ね。そうしたら、恩返しとかも出来たかなぁ」

 未来を待てる程の余裕は彼の中には残っていなかった。

 それから悠間は、憂いを帯びた眼差しをアッシュへと向ける。


「僕は答えたよ。だから次は、アッシュの番だ」


 君にとっての幸せって、なに?

 再びの問いに、アッシュはやはり答えられない。

 答えられないまま……やがて、悠間の時間は、終わってしまった。


 *


「道は二つあるんだ、アッシュ」


 葬儀を終えた後、有岡勇人はアッシュにそう話した。

 一つは、碓氷悠間の叔父の元へ行き、試験を続けること。

 もう一つは、会社へと戻って、社内での試験を手伝うこと。

「もちろん、碓氷さんの都合もあるだろうから、そこは相談して……」

「KIDOに戻る。叔父とは話を付けた」

 アッシュの答えは決まっていた。

 悠間の叔父とは、悠間の死後すぐに話を決めていた。

 甥の見舞いにさえなかなか来れない程に、悠間の叔父は忙しかった。そこへ押しかけて試遊を強要することは出来ない。

「悠間の話も、もう充分にした。それに、俺の持ち主は悠間であってその叔父じゃない」

「……分かった。なら君を連れて帰ることにしよう。今まで苦労を掛けたね、アッシュ」

「そう思うなら、終わりにしてもいいんだぞ。第三の道、破棄だ」

 吐き捨てるようなアッシュの発言に、勇人は眉根を寄せ首を振った。

「それは出来ない。悠間君もそれを願ってはいないだろう?」

「まぁな。分かってる。自分から壊れるなんて悠間は絶対望まない」

 出来るならそうしたかったが、とアッシュは零す。

 大切な人を喪って、それでも稼動していくだけの理由を、彼は見つけられないでいた。

 だのに、悠間の事を想えば、自ら機能を停止させることも出来ないのだ。

(どうしろっていうんだ)

 常に処理に負荷が掛けられている。嫌な感覚だ、とアッシュは思う。


「……心は、作るべきじゃなかっただろうか」


 そんな彼の姿を見て、勇人はポツリと呟いた。

 その言葉に、アッシュは彼の顔を見上げて答える。

「戯れに作ったならその通りだ。……違うんだろ」

「そう、だね。理想はあるとも。けれど現状は……私にも、重い」

「知るかよ。背負え。投げ出すな」

 投げやりなアッシュの言葉を聞き、勇人はフッと薄く笑う。

「止めろ、とは言わないのだね、君は」

「少なくとも、俺に心があったから、悠間は楽しいと口にした」

 その最期がどれだけ苦かったとしても、悠間と過ごした幸福な時は嘘ではない、とアッシュは思う。それが心あるが故の出来事ならば、心あることを悪い事だとは感じない。


「そういう時間を作りたいんだろ、勇人は」

「……ああ、そうだよ。そんな事まで分かるようになったのか、君は」


 アッシュの成長に、勇人は目を細める。

 自分が生み出したモノは、ここまでの存在になったのか。


 そして、アッシュがKIDOに舞い戻ってから数日後。

 ガイストロイドと仮称されていたロボットの名は、『ディアロイド』と改められた。

 彼らが、人の親愛なる友となってくれるよう、祈りを籠めて。


 *


 しばらくの間は、アッシュはKIDOの元でぼんやりと日々を過ごしていた。

 時折、他のプロトタイプのテストに付き合う他には、さしたる役目も与えられない。

 張り合いは無いが、それが研究員たちの気遣いが故だと彼は気付いていた。

 アッシュは、研究員たちのディアロイドではない。

 彼に心境の変化が訪れるまでは、ゆっくりと様子を見ているべきだ、と。


 けれどその穏やかな時間は、すぐに終わりを迎えた。


「ふっは! これが試作品かッ!」

 口ひげを蓄えた巨漢が、ビリリと響き渡る声で笑う。

「良く動き、良く喋るッ! なるほどこれは売れそうだな、有岡よ」

「……ありがとうございます、社長」

「カブラヤの者どもと手を組んだのも、正解だったようだなッ。企画段階ではどうも堅苦しく、大衆向けとは言い難かったからなァ?」

 ふふん、と髭を撫ぜるその男は、太って見えるが、相応に筋肉量も多いのだろう。

 質量を感じさせるゴツゴツした手で、有岡勇人の肩をバンと叩いた。

(……これが、KIDOの社長か)

 アッシュは遠目からその男の姿を見て、データと照合する。

 KIDOコーポレーション社長、貴堂豪頼。その力強く圧倒的な存在感は、小さな会社を一代で世界的企業にまで成長させたという彼のイメージと合致した。

「お前の掲げた題目も良いぞ。やはり大衆というのは、綺麗な建前に弱いものだからな」

「……建前、というのは?」

「書いてあっただろう、コレらが『人の親愛なる友』だと」

 当然のように言い放つ豪頼に、勇人は静かに眉根を寄せた。

 それは彼の切なる願いであったが、豪頼には販売戦略の一つにしか見えなかったらしい。


「まぁ、それはいい。問題は……遅れているな、納期が?」

「すみません。プログラムの調整に時間が掛かっておりまして」

「フン。不具合で信頼を貶めるよりはマシだが……早めろ。人員や予算の補強はしてやる」

「ありがとうございます。ですが調整用のテスト機体が足りず……」

「何を言っている? いるだろう、そこに」


 言葉を返す勇人に対し、豪頼は研究室の一点を顎で指し示す。

 その先には、アッシュがいた。

「聞いているぞ。持ち主が死んだ後、大して働かせもせず遊ばせているな?」

「遊ばせているわけでは……彼の場合、心の回復も必要ですから」

「回復? つまらない事を。リセットすれば良いだけのことだろうッ」

「……!?」

 豪頼の発言に、勇人は眼を見開いた。

 思わずアッシュも豪頼たちへと体を向け、身構えてしまう。

「何を……仰っているんです。リセットするというのは、今までの彼を殺してしまうようなものですよ? そんなことをしてしまっては」

「無論、"継続使用を行った場合のデータ"も必要であろう。だが物事には順序がある。まずは売り物を仕上げる事が優先だ。その上で、儂のオーダーにも答えてもらう」

「ですが社長!」

「言い訳は聞かん。十全な予算と時間は割いた。いい加減、社へ利益を還元してもらわねば困るのだよ」

 いいな、と釘を刺すように言い含めて、豪頼は研究室を去る。

 勇人を始め、後に残された研究室のメンバーたちは、しばし水を打ったように静まり返った。


「こんにちは~! ……あれ、どうかしました?」


 数分後、打ち合わせの為に境川星奈がやってくるまで、その沈黙は続き。

 彼女に事情を説明する中で、アッシュはようやく問いを言葉に出来た。


「俺は、どうなる?」


 一同は顔を見合わせて、気まずそうにするばかり。

 ややあって、意を決した勇人が、小さな声で質問に答えた。

「社長の命令には逆らえない。……本来なら」

「本来なら?」

「どうにか掛け合っては見るさ。それでダメなら……逃がす方法を考えなくてはね」

「……だが、そんなことをすれば」

 問題になるのは明白だった。

 今のアッシュの所有権は、本人の意志とは別にKIDOが管理している。

 交渉が上手く運べば別だが、現状期待が薄いだろうことは、彼らの表情で察しがついた。


(なるほど、この感覚か)


 その時アッシュが抱いたのは、納得の感覚だった。

 自分がいることで、誰かに迷惑を掛けてしまいたくない。

 悠間が感じたであろう想いに加えて、アッシュは己が身の上に、生まれて始めてもどかしさを覚えた。

(自分の命を、他の誰かに握られているというのもな)

 今ここで危機を乗り越えたとしても……KIDOにいる限りは、同じような危険が再び襲ってこないとも限らない。そんな時、今のままでは、自分の運命を誰かに頼るほか無いのだ。


(自分の力で生きてみたい、か。……或いはそれも、良いのかもな)


 その時、彼の中で歯車が噛み合う。

 碓氷悠間を喪い、その後見つけることの出来なかった幸福。

 運命を他者に握られた事で、その穴に、碓氷悠間の願いが収まってしまった。

 決して、そう生きられれば幸せだという実感ではなく。

 そう生きていけなければ、きっと幸福にはなれないのだという絶望が。

 アッシュの在り方を、書き換えてしまう。


 *


 防犯システムが作動し、警報が鳴る。

 けれど監視カメラが人間の姿を映すことは無い。

 代わりに映し出されるのは、廊下を走る小さな灰色の玩具の姿。


 窓ガラスを破り、外へと飛び出した彼は、人目を避けるように路地裏へと駆け込む。

 それからしばらくは、ひたすらに走り続けた。どこまでも遠く。連れ戻されることのないような何処かへと。

 やがて体が熱を持ち始めた所で、彼は立ち止まり、顔を上げる。

 雨上がりの水溜まりの感覚。ギラギラと体を照らすネオンの光。

 研究室と病院を行き来していた彼にとって、それは彼と観た映画の中にしか無かった景色だった。


「……自分の力で、生きる。誰のモノにもならなくて済むように」


 自分の持ち主だった人間は、碓氷悠間ただ一人だけ。

 けれどこれからの彼は、自分で自分を所有するのだ。

 であるなら……名前すら、自らの意志で付け直すべきだと、彼は考える。


「俺は……今日から、ボイドだ」


 誰のものでもない。誰かの隣には立たない。

 ディアロイドが『人間の親愛なる友』となるよう願われたのなら、そうならない自分は、人にとって虚無の存在だ。


 そうして灰色の玩具は、虚無の機械へ名を変えて。

 庇護を捨て、"碓氷悠間の幸せ"を己の目標として、生き始めた。


【続く】

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