第8話 ヒラタ少年と恋する宇宙人。




(殺人犯の娘……)


 そう言われて思い出したのは彼女の家のアルバムだった。


 彼女のアルバムには、母親の写真がなかった。それに、燿も母親のことは何も言わなかった。


 あれは意図的に避けていたのかもしれない。母親のことを話すことを。


(母親が殺人犯なのか…)


 そのとき僕は思い出した。


(燿は、祖父と二人暮らしだと言っていた。)


 では、祖父はどこにいたのか?仕事に?そうじゃなければあの家にいたのか?ではどこに?


『あ、この部屋には入らないでね。』


「………まさか、な。」


 僕はベッドに身を預ける。ボスンと音が鳴った。


 中村が何を考えているかはわからない。それでも、多分燿は危険な目に遭うだろう。


(僕が守らなきゃ。)


 僕が守らなきゃ、中村から守らなきゃ。


(じゃあその先は?……1。)


 カレンダーの前に立ち、ばつ印を見直してみた。何度見直してみても、変わらない。僕にはあと1日。否、もう1日もないだろう。


 僕は一体彼女になんて伝えればいい?考えても考えてもわからない。僕は時計を見上げた。


「秘密基地に行く時間か……」


 僕は靴を履き、星高山へ向かった。



 そしていつもの時間になっても、燿が現れることはなかった。






 ☆


「遅いな。」


 いつまで経っても彼女が来ない。そのことが僕にはとても不安だった。


「なんだ…」


 嫌な予感がする。僕の周りで紫蝶がゆらゆらと何かを告げるように飛んでいた。


 ぞわぞわぞわぞわぞわぞわ


 僕は焦ったように山を降り、一昨日の記憶を頼りに彼女の家へと向かった。


「はっ!はっ!はっ!」


 全力疾走というわけじゃない。それでも僕の心臓は鳴り止まない。異常なほどに鼓動が大きく聞こえた。


「あ!」


 暗い山道。突然見えない障害物は多く、僕は転んでしまった。咄嗟に僕は羽を広げた。紫色の羽だ。


 駆けて、駆けて、そして僕は一つの大きな民家を見つけた。



「星くん……」


「燿…お前………」


 サイレンが鳴り響いた。

 びくりと燿が震えた。


 が、走り去って行った。


「お、お、おじいちゃんが…」


「……」


「おじいちゃんは…あまり動かないから、わ、私、大丈夫だって勝手に思って」


「………」


「ご飯食べてもらおうって思って、起こしても、起きなくて…い、息…し、してな」


「…………燿」


「せ、せいくん…私」


「落ち着け、燿。」


 縋り付くように彼女が抱きついてきた。僕は彼女を包み込むように、取りこぼさないように慎重に抱き締めた。


「せ、星くん…どうしよう私。おじいちゃん、息してなくて、し……」


「よう…燿、燿。」


「おじいちゃん死んじゃった。」


 虚ろな目でつぶやく彼女を僕は見ていられなかった。それだけじゃない。彼女の顔は…



「私どうしたらいいの?」



 彼女の顔は赤く腫れ上がっており、綺麗な金色の髪の毛も短く切られ、その服は汚れていた。


(一体誰にやられたんだよ、燿。)


 そんなのは分かりきっていた。



『もう許さない。ヒラタ!もう大丈夫だ!俺たちがお前を助けてやる!』


 中村、お前は、お前たちはそんな奴だったんだな。殺人犯の娘というだけでこんなに可愛い少女をいとも容易く傷つけられる、そんな人間だったんだな。



「よう…燿。大丈夫だから。」


 肩を震わせて泣きじゃくる彼女を僕は知らない。それでもきっと彼女はこうやって一人で泣いてきたのだ。一人で耐えてきたのだ。


「燿、お前の爺さんが死んだのはきっとこの世界に満足したからだ。お前のせいじゃない。それに…受け入れるしかないんだ。今目の前にあるものだけで生きていくしかないんだよ。」



 だからどうか泣き止んでくれ。笑った顔を見せてくれ。そのためなら僕はなんだってやってみせるよ。


 彼女の名前を呼ぶたびに、彼女の体から力が抜けて行った。大丈夫だと言うたびに僕は力を込めた。


 やがて彼女の体に完全に力が抜けた。泣き疲れて眠ってしまったらしい。


 僕はそっと、短くなった彼女の髪を撫でた。


「燿、僕は知りたいんだ。」


 彼女の周りに紫の蝶が飛び集まり、彼女の体を浮かした。雲のようなそれらはやがて集まり大きな繭になる。


「君のことが知りたいんだよ。君のことが大好きだから。」


 僕は彼女の頭に手を翳し、つぶやく。


『メモリー。』


 紫色の蝶は彼女の頭にキスをして、僕の元へ集まってくる。そして僕の頭の中に一つのビジョンが浮かんだ。


 僕は他者の記憶が読める。宇宙人だからだ。




 ☆


 私の父は、星高村出身ではなかった。星がよく見えるこの地域で研究していくうちに、私の母と親しくなり、やがて結婚。婿入りしたのだ。


 私の母はとても厳しい人だった。何度も私を叩いて、蹴って、村の風習を覚えさせようとした。


『痛い!お母さんやめて!』


『なんであんたは物覚えが悪いの!高品家の娘があんたみたいにノロマだと私が恥をかくのよ!』


『おい!何しているんだ!』


 その度に父や、父と同じく婿養子だったという祖父が止めてくれた。


 父はとても穏やかな人だった。私の好きだと思うことが父と似通っていたからかもしれないが、私は父といる時とても楽しかった。


『燿子、こっちへおいで。』


『お父さん!』


 一緒に星を見たり、絵本を読んだり、ザリガニを捕まえたり、図鑑を買ってきてくれた。私はその度に抱っこをせがみ、父は優しく抱きしめてくれた。


 それでも、私が6歳の時に事件は起きた。


『いい加減にしなさい!何度言ったらわかるの!』


『ごめんなさい!いやっ!やめて!……あ』


 私のこぼしたお茶が、母の大切な着物にかかったのだ。私は咄嗟に頭を覆う。


『この……死ね!死ね!死んでしまえ!』


 母は、私の首に手を伸ばした。

 明確な殺意とともに浴びせられる罵声を私はよく覚えていない。ただ、産まなきゃよかったという母のセリフが頭から離れなかった。


(ああ、私はここで殺されるんだ。)


 しかし、母の手が緩んだ。


『ぷはっ!はっ!はぁっ!はっ!はっ!…っ!?』


 私の目の前には、真っ青な顔をした父と、ガラス製の机の上で頭から血を流しながらうなだれる母の姿だった。


 力なく、膝から崩れ落ちる父を私はただ見つめていた。父は母を投げ飛ばし、そして殺してしまったのだ。


 高品家は、星高村に代々つながる名門の家だった。そしてその血は信仰の対象と呼べるほどに尊いものとされていた。


 私の母はこの村の女王だった。そして村の外から来た賊と結婚し、殺された可哀想な女性だった。


 私は女王の娘ではなく、村の住人に手を出した異分子の娘として迫害を受けるようになった。


 助けてくれるはずの父はもうおらず、その頃にはもう祖父は楽に動ける状態ではなかった。


 村の者から品物を売ってもらえず、泥を投げられるような日々が続いた。それでも、衰弱しつつあった祖父を置いて逃げるわけにはいかず、私は耐え忍んだ。


 辛い時は、大好きな宇宙人の王子様が出てくる絵本を読んで紛らわした。いつか私のことを迎えに来てくれるはずだと自分自身に言い聞かせた。


 自分は宇宙人なのだと言い聞かせた。


 泥を被るぐらいならと、私は村のあちこちの設備を壊し回った。当然村の人々は抵抗するが、幸いなことに私は力が強かった。

 髪を染め、スカジャンを着込み、雑誌で見た不良の真似をした。

 誰にも何も言わせないような暴虐無人な人間性を作り上げた。

 頭のおかしいフリをして皆を遠ざけた。



 それでもダメだった。



 昼間、山を歩いていた私は後方から襲われた。何度も何度も殴られ、蹴られ、髪を切られ、水をかけられた。


 殺されるかもしれないと拳を振り上げたが、母の死に際を思い出し、なすすべもなく拳を下ろした。


 耐えて耐えて耐えて耐えて、私は気を失った。


 痛む足を引きずり私は家に帰った。寝たきりの祖父だって意識はある。心配かけまいと顔を洗い、精一杯髪を整え、祖父の元へ向かった。


 祖父は息をしていなかった。


 私の中で何かが崩れる音が聞こえた。



 震える手で救急車を呼んだ。奇跡的に救急車が来た。祖父が連れて行かれた。私だけが残った。


 そういえばそのあと、平田星が私を抱きしめて…






 ☆


 僕は彼女を抱きしめていた。彼女の心に触れた僕は、涙が止まらなかった。


 中村も、ミサちゃん先生も、全てが敵に思えた。彼女を傷つける悪だと思った。


「…星くん。」


「!」


「ごめん、私取り乱して…」


「……謝るなよ、大丈夫だからじっとしてろ。」


「………うん」


 彼女を縛っていたのは悪しき村の仲間意識と母の怨念だった。可愛らしい少女を閉じ込めていたこの村はきっと、僕が知る中で一番醜い場所だ。


「あ…」


 彼女の短くなった髪を撫でる。燿が驚いたような、泣くのを我慢するかのようなか細い声を出した。


「燿、祖父の葬式はやるのか?」


 僕が問うと、しばらくして彼女は首を横に振った。


「まだわからない。そんなお金もあるかどうか。」


「終わったらこの村を出るんだ。」


「え?」


 呆気に取られたような彼女を抱いたまま、僕は背中に力を込めて、そして…



 



「……せ、星くん何…それ……?」


「燿。」


 彼女の名前を呼んだ。何度も何度も呼んだ声をだった。出会ってまだ少ししか経っていないのにこんなに呼んだんだなと僕は考える。



 僕たちは空高く、星に届くように羽ばたいた。






 ☆


 星くんが私を抱きかかえる感触に、私は泣いていた。彼はやはり父に似ていた。優しくて暖かい人だった。


 彼の広げた羽を見る。紫色の、蝶のような羽は星高山で何度も見た紫蝶を連想させた。


(星くんは…宇宙人だったんだ。)


 私を助けに来てくれたんだと、強く強く彼を抱きしめかえした。ちゃんと温かい。


「燿、見て。」


 すっと、彼が指を指す。私もその先を見つめた。


「…っ………」


 息を呑んだ。



 そこには、山を越えたその先にはいくつもの光が海のようにずぅっと続いていた。

 そのあまりにも広い世界に私は目眩がした。


(ああ、私はこんなちっぽけな場所に住んでいたんだな。)


 星高村を見下ろして私はそう思った。

 星くんが、優しい声で続ける。



「ここを出て暮らせ、燿。お前が思っている以上にこの世界は優しいはずなんだよ。もっと美しいものなんだよ。」


「……………」


「絶対にお前を受け入れてくれる場所があるはずなんだよ。お前を大好きになってくれる人がたくさんいるはずなんだよ。」


「……………」


「だからさ、燿。」



 泣くなよ。


 彼がこぼした優しい言葉に、私は涙が止まらなかった。こんなに幸せな気持ちになったのは久しぶりだった。君に出会えてよかったと心底思った。



「星くん……」


「なんだよ」


「星くん…………!」


 不思議そうな顔をする彼をおかしいなと笑いながら私は言う。



「その羽、綺麗だね!」



 瞬間、彼の顔が歪んだ。


 両の目に涙を溜め、こちらを真っ直ぐに見つめていた。私はそっと目を閉じた。



 二人でキスをした。何度も何度も、空の上で踊るようにキスをした。


 彼の記憶が流れ込んできた。とめどなく流れる悲しい記憶は、それでも柔らかかった。



「大好きだ、燿。君のことが好きで好きで、胸が苦しいんだ。」


「私も、星くんが好き。この宇宙の中で一番好き。」


「綺麗だ、燿。」


 もう一度キスをしようと私は顔を近づける。しかし私の顔は彼の唇につくことはなく、彼の肩に優しく埋められていた。


(星くんの香りがする。)


 星くんがゆっくりと降り始めた。私はぎゅっと彼を抱きしめる。


「地球には、死んだ人は星になるっていう考え方があるけど…あれは本当だよ。」


「…………」


「だから大丈夫。お前は一人じゃない。」



 彼の記憶を呼んで、私はもう知っていた。平田星はもう自分の星に帰らなければいけないのだと。


 嫌だよ…行かないでと叫びそうな気持ちを懸命に堪えた。彼の邪魔はしたくなかった。


 星くんが口を開いた。



「絶対に迎えにくる。」


「え?」


「絶対に、燿に会いに来る。そしたら一緒に生きよう。」



 彼が手を伸ばした。私も、その手を握った。二人で掌を合わせ何度も何度も絡み付かせるように手を握った。


 星くん。と、私は彼の名を呼んだ。


「私生きるよ。卒業まだ耐えて、この村を出て、生きてみせるよ。おじいちゃんの分も生きてみせる。…だから星。私を迎えにきてね。」



 私と星はもう一度、深く、長くキスをした。








3年後。



「ヨーコ!こっちこっち!」


「今行くー!」


 私の名を呼ぶ友達の声に私は振り返った。



 祖父の葬式をひっそりと済ませた私は必死に勉強を始めた。何度も何度も酷い目にあったが、そのたびに負けるものかとペンを握った。


 単身、逃げるように村を出た。役所に行き、自分のことを相談した。ホームレスのような生活をしながら過ごしているうちに、私の父の血筋の家庭から連絡が来た。


 彼らは春澤という名前だった。


 父の再従兄弟だと紹介された春澤夫妻はとても優しい人だった。私をとても大切に扱ってくれる人だった。私の姓は"高品"から父の旧姓である"春澤"へと変わった。


 そして私は有名な国立の大学に入った。必死に勉強した甲斐があって、偏差値の高い立派な学校に入ることができたのだ。


 友達だってできた。私のことを面白いと言ってそばにいてくれている。



 私が思っていた以上にこの世界は優しかった。



「ヨーコ遅いよ〜!」


「へへへ、ごめん!昨日は星がよく見えたからつい夜更かししちゃって。」


「また〜!もう!」


「相変わらずだな、春澤は。」


「ごめんね、律ちゃん!鮮くん!」


 友達である橘律がやれやれと言った風に肩をすくめ、同じく友達である布施鮮は苦笑した。


「本当に好きだね、なんだっけ?…好きなタイプは?」


「宇宙人!」


「そう、それそれ!」


「も〜!なんかからかってない?」


「え〜!そんなことないよ〜!」


「こら律、あまり春澤をいじめるな。」


「ゔ、ご、ごめん。」


 殊勝な態度で謝る律に、私と鮮くんは笑った。この二人は付き合っているらしい。


 いつかこの二人を、彼に紹介する日が来るのかもしれない。そんなことを考えると自然と笑みが溢れた。


 この優しく温かい世界で私は待っている。

 素敵な宇宙人が私を迎えにきてくれるのを待っている。


「そろそろ行くか。」


「ほら、ヨーコ!行くよ!」


「うん!」


 鮮と律について駅へと向かう。


(あ……)


 綺麗な紫色をした蝶が私の頰を撫でるように飛び過ぎて行った。


「…意外と早く会えるのかもしれないね。」


「ん?何か言った?」


「なんでもなーい!」


 今も見ていてくれるかな?きっと、見てるよね。


「ありがとう、私の宇宙人。」



 空を仰ぎ、私は笑った。







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星を見上げた君が笑顔になればいいのに 透真もぐら @Mogra316

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