第37話

 幕が、開いた。

 舞台袖からスタッフに促されて、一歩、一歩と前へ。舞台一面を照らすスポットライトは、太陽よりもずっと眩しかった。

 胸が高鳴った。しかし呼吸は意外と落ち着いていた。ダンスの舞台に上がるような緊張感と高揚感が混ざりあった気分だ。

 拍手が鳴った。

 観客席を見ると、無数の人が埋まっている。空席は一つもない。カメラが数台あり、前方にはじっとこちらを見ている数人の男性と女性。

 きっと彼らが事務所のスカウトマンか? いや、気にしていたら失敗してしまうとアディルが言っていたな。気にしないでいよう。あれも観客の一人だ。

 司会の男性と女性がいる。彼らが舞台進行をしていた。配信をするのだから、MCは必要というわけだろう。

 しかし、舞台に上がる者達は観客や動画視聴者に話しかけたり、言葉を発することはできない。

 あくまで歌を聞いてもらう公演なので、その人柄などは見せないようにしているらしい。この公演の方針だ。改めて考えると、不思議な公演だった。

 だがこの街で歌を生業にするには必要なことなのかもしれない。

 舞台の中心に立つ。目の前にはスタンドマイク。見上げれば太陽よりも眩しいスポットライト。舞台の向こうにはたくさんの観客。

 関係者席は2階にあるらしく、ロッシャの両親やラターリオ、アディルはそこだろう。この位置からでは何も見えない。

 いや、見えなくても届く。必ず届ける。

 司会の男性がロッシャの紹介をする。元ダンサーであること。足を怪我して引退したこと。縁があってアルストロメリア公演に挑戦したこと。

 もしここでラターリオの名前が出たら、みんなどんな顔をするのだろうな。 

 結局彼は一度も表舞台に顔を出すことはなかった。もう彼は、舞台の光を必要としていない。半年ほどの付き合いで、よく理解した。


「それではお聞きください。『駆け抜けた空』」


 司会の紹介とともに、流れ出すイントロダクション。ずっとずっと試行錯誤を重ねて完成した楽曲。

 ラターリオのギターとナティーヤのベース、ルオシンのドラム、そしてアディルのプロデュース。彼らの想いが詰まっている。彼らとともに作り上げた楽曲。

 未来へと駆ける歌。

 明日の向こうへと走り出す歌。

 今、ここに……。


「――――」


 マイクを掴み、声を届ける。何も躊躇うな、何も恐れるな。無数の聴衆がいても、彼らに全部聞かせてやれ。

 楽しく歌ってみせよう。

 眩しく歌ってみせよう。

 この音楽にかける想いを、全部全部。

 歌いながらロッシャは想いを巡らせる。まるで走馬灯のように流れ込んでくる。踊っていた自分、踊れなくなった自分、そしてこうして歌う自分。

 本当はダンスで生きたかった。踊り踊って生涯を終えたかった。まだその想いは燻っているけれど、振り返らなくていいくらいには、歌に浸透している。

 歌に出会えてよかった。ラターリオに出会えてよかった。

 エデュートとネイコは声援をくれ、タトカはいつも気にかけてくれた。アディルはラターリオと同じようにロッシャを導き、レアンはこの歌を歌うことを渋ったロッシャの背中を押した。

 たくさんの人に支えられた。たくさんの人に導かれた。自分一人ではここへ辿り着くことはできなかった。全ての出会い、全ての縁に感謝した。

 ラターリオが演奏したギターが、ロッシャの歌を手助けするように響く。微かに流れるシンセサイザーの旋律が流れる。計算尽くしたベースの低音が心臓を揺さぶり、激しくも軽快に打ち鳴らすドラムが血液を沸騰させる。

 マイクにしがみつくように歌った。汗が飛び散った。言葉の全てが、想いの全てがばら撒かれていくような気分だ。

 高揚した。歓喜した。

 あぁやはり歌うことはとても楽しい。

 歌いながら、ロッシャは2階席に目を向ける。ここからではラターリオの顔が見えない。彼がどの席に座っているのかも分からない。でも届いている筈だ。この声が、この歌が。


 ――ラターリオ。聞いているか? 最初、未発表曲を俺に歌ってほしいと言ったこと、今でも覚えている。リーアンジェに捧げるつもりだったこの歌を、試行錯誤して作り上げたな。これは俺とラターリオとリーアンジェの歌。みんなで揃って未来へと駆ける歌。

 届け、届け。リーアンジェの思い出とともに、あんたも未来へ駆け抜けていけ。その足で、声で、想いで、明日の更に向こうへ……!


 彼がどんな顔をして聞いているか分からないが、きっと彼のことだ。静かに笑っているのだろう。そんな姿が脳裏に浮かんだ。

 そして。

 今はもういない、リーアンジェ。ある意味彼女が全ての始まりだった。

 ロッシャの脳裏には、写真の中で微笑む彼女しか浮かばない。歳を重ねた彼女の姿は知らない。

 それでもリーアンジェであることに変わりはない。可憐で綺麗で、眩しい彼女であることに。


 ――リーアンジェ。ラターリオが愛した人よ。貴女がいなければ、俺とラターリオは出会うことはなかった。

 貴女がいたから、俺はここにいる。

 だから、ラターリオが愛した貴女を俺は敬愛する。

 彼に作ってくれとせがんだこの歌を、俺の声で貴女に届ける。

 届ける。

 この歌は、愛しきリーアンジェに捧ぐ――!


 魂の奥底から叫んだ。叫んだ。会うことがなかった、一度も会話することがなかった敬愛すべき女性に、心からの感謝と、鎮魂を。

 ラターリオとリーアンジェ。

 愛し愛され、結ばれることがなかった義姉弟に捧げる、届ける、叫ぶ。この歌を。歌を……。


「――――……」


 声が止まった。音が止まった。

 全ての歌が、終わった。

 歌い終えたロッシャはマイクを掴んだまま、深い息を繰り返す。たった4分ほどの歌だったが、とても長く長く感じた。

 終わった。終わった? まだその実感が湧いていなかったが、

 その直後、

 割れんばかりの拍手が起こった。ロッシャは顔を上げて、観客席を見る。名前も分からない数々の誰かが、夢中で手を叩いている。

 表情はみんな、笑顔だ。

 そうか、もう全て終わったのか。ロッシャのアルストロメリア公演は、たった4分で終わった。

 高揚感があった。満足感があった。ここまで来て、歌い上げることができた。これ以上の喜びはない。

 踊れなくなった足は、しっかりと舞台の上で立つことができる。歌うロッシャの体を支えることができる。

 安堵した笑みを浮かべ、ロッシャは観客席を見渡す。


「……!」


 そしてある方向を見て、目を見張る。

 観客席の一番奥。出入り口のすぐ側に誰かが立っている。そこには客席がない筈なのに、先程まで誰もいなかった筈なのに。

 金の髪、この季節にそぐわない薄緑の半袖ワンピース。

 薄暗い観客席なのに、その姿ははっきりと見えて。


「……」


 ロッシャは思わず目を擦った。改めて見ると、もうそこには何もなく。出入り口の大きな扉があるだけだった。

 気のせい?

 いや、あれは……。

 それに気づいたロッシャは笑みを浮かべ、息を吐いた。きっと届いたのだ、聞こえたのだと、確信したから。

 拍手喝采の中で、ロッシャは深く頭を下げて、舞台の奥へと歩いた。

 高揚感は、熱は、まだ冷めそうにない。

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