第35話

「ロッシャ! 俺は絶対にロッシャならうまく行くと信じてるからね! だってバーでロッシャが歌ってた時、感動したんだ。みんな良かったって言ってた。だから自分を信じて頑張って!」

「私も応援してるー! あの頃よりグレードアップしたロッシャが見られるんでしょ? 会場には行けないけど配信で見るから安心してね!」


 イヤホンから流れてくる声量の大きさに思わず笑みがこぼれた。 

 スマートフォンの画面に映っているのはエデュートとネイコだった。2人にアルストロメリア公演に出られることを話すと、即座に電話をかけてきたのだ。丁度ロッシャもエデュート達も自宅にいるので、カメラで顔を映して会話することとなった。

 2人は同じ場所にいて、先程から我先にとカメラを横取りしようと押し合っている。相変わらず元気で仲がいいな。見ていると楽しい気分になる。


「タトカさんにも伝えた?」

「あぁ、すっげえ驚いていたよ。でも応援してくれた」


 エデュートの問いに、ロッシャは答えた。

 歌手の道を志していることをタトカになかなか言えずにいたが、ようやく口にすることができたのが先日。彼は驚き、「なんでもっと早く言わなかった」と言っていたが、ロッシャの選んだ道を応援してくれた。


「お前は昔からやると決めたらやり遂げる男だったからな。期待しているぜ」


 その言葉が何よりも力になったのだ。


「それより私、ロッシャがラターリオの元で歌の練習していたなんて知らなかったんだけど。なんで教えてくれなかったのよ」

「……いや、だって言ったら広まりそうだったから」

「私そんなに口軽くないけど!?」


 ようやくラターリオの元で練習をしていたことをネイコに告げたのは先程。勿論ラターリオから構わないと許しを得た上でだ。当然彼女は驚き、何処で出会ったのかとしつこく聞いてきたな。

 まだ全員に話せるわけではないが、ロッシャの成長に一役買ったネイコには伝えようと思ったのだ。


「まぁいいけどさぁ……。あ、そうだ。ねぇロッシャ、もしプロの歌手になったらさ、私とエデュートの結婚式でぜひ歌ってほしいのよ」

「え? あ、あぁ……。結婚?」


 思わぬ言葉に、ロッシャは首を傾げる。聞き間違いではなければ、今結婚という言葉が。


「は? あんたら結婚するのか?」

「するよー」


 あっけらかんと答えるエデュート。さも当たり前だと言うかのように。

 確かに2人が仲睦まじいとは知っていたし、散々見せつけられていたけれど、まさか結婚の話が進んでいるとは思わなかった。

 ロッシャと同様に、この2人も未来に向けて歩んでいるのだなと思い知らされる。


「そっか、おめでとう。歌えるんだったら歌ってみてえよ」


 同じダンサーとして切磋琢磨してきた親友が幸せになる。これ以上の喜びがあるものか。例えプロになってもなれなくても、門出の歌くらいは歌ってやりたいものだな。


「ぜひぜひ歌ってほしいの! あのね、20年くらい前に日本で流行った女性歌手の結婚ソングがあってね。いや今でも流行っているんだけど、もう結婚式と言ったらそれが定番というか……」

「……日本の、女性歌手?」


 ということは、日本語。歌えるだろうか、それ。

 と、少し不安になりつつも、今は明るい未来に向けて歩みだした親友達を祝福したい。そして彼らから受けた応援を胸に舞台に立ちたい。そう思えた。


 エデュート達との通話が終わって暫くすると、アディルから電話がかかってきた。

 普段から荒っぽい口調の彼がより荒々しく、そして少し興奮しているように聞こえた。


「いいか、ロッシャ。いつも通り歌え。楽しくな。楽しくやれよ。審査員とか事務所のスカウトマンの目線なんて気にするな。そんな奴らの目を気にしている奴ほどトチっちまうんだ。お前はただ舞台に上がって歌を歌うだけ。いいな? 歌うと最高に気持ちがいいだろ、あの気持ちを忘れるな。ダンスの本番と同じだと思えよ!」


 早口で述べられる彼のアドバイスはとても力強かった。

 余り見てやれる時間がないと言っておきながら、彼はずっとロッシャを気にかけてくれた。ラターリオ同様、よき師であった。


「……はい。ありがとうございます。アディルさんと出会えたから、俺はここまで来れたんです」

「違ぇよ。お前の力だ。ま、俺に出会ったから最短で舞台に上がれたかもしれねえけどな」


 と一頻り豪快に笑った後、彼は声のトーンを少しだけ落とした。


「……ロッシャ。ラターリオのこと、ありがとな」

「え?」

「あいつの歌は常に、たった一人の誰かに届けと願っているように見えた。そしてそれに束縛されているようにもな。引退してからも自堕落だったあいつに少しでも光を与えてくれて、ありがとな」


 そうか。アディルも気づいていたのか。ラターリオがたった一人の女性を想って歌っているということに。恐らくそれがリーアンジェという、彼の義理の姉であることには気づいていないようだが。いや、気づいていてあえて口にしていないのかもしれない。


「こんな年若いお前に、無理を頼んだな」

「いえ、俺はそんなことを思っていません。ラターリオは俺を絶望から救ってくれた恩人だと思っている。その恩人の力になりたかっただけなんだ……」


 彼がいなければ歌手を志す自分はいなかった。彼の願いを受け入れなければ、静かにくたばっていた。

 今でも彼は、ロッシャを照らす光なのだ。


「だから俺、ラターリオのためにも、アディルさんのためにも精一杯歌うよ」

「おう、その意気だ。終わったら飲みにでも行こうぜ」


 またアディルが豪快に笑った。とても楽しそうだった。それは手塩にかけて面倒を見たロッシャの晴れ舞台を心待ちにしているからかもしれない。


 ◇◆


 アルストロメリア公演の詳細は街中に知れ渡っていた。公演に参加する、すなわちオーディションを勝ち抜いたのはロッシャを含む9人。いつも10人前後が参加するらしいので、数としては前回とそう変わらない。

 アマチュアで長年活躍してきた人から、クレアレーネで成功したいとフランスからやってきた人、今回が3度目の挑戦という人もいた。中にはアディルと並ぶほどの有名音楽プロデューサーに見出された人も。

 様々な経歴を歩んだ人が参加するので、ロッシャが浮くことはなかった。元ダンサーでアディルの推薦を受けているということで、多少の注目はあるらしいが。

 結局ラターリオの元で学んでいたことは公表されることなく、あくまでアディルに見出されたという体でロッシャは舞台に上がることとなる。確かに、長年姿を魅せなかった彼が急に表舞台に出たらひと騒動が起こるだろう。

 果たして参加した9人の中で、誰がプロへの道を歩むのか。

 アルストロメリア公演は優勝を競うようなものではない。プロとして通用するだろうアマチュアの歌手を歌わせ、各事務所に査定してもらうスタイルだ。複数が選ばれることもあれば、誰も選出されないこともある。

 今年はどうなるのか。

 近づく公演日に、街も賑わっていた。


「……今日も多いな」


 バイクを走らせながら、ロッシャは街の景色を見る。

 相変わらずクレアレーネはたくさんの観光客で賑わっている。アルストロメリア公演が近づこうとも、プロの舞台はあちこちで開催されている。誰も彼も目的の場所へ足を運び、幸せな時間を過ごす。

 いつかロッシャも、そんな未来が来るだろうか。大きな舞台の上で、自分だけの歌を歌って、世界を築き上げる。

 ダンスと同じように、表現者として人々を魅せる。

 あぁ必ずやってみせよう。やってみせよう。そう強く決意した。

 オーディションに合格した後、ようやく家族に報告することができた。3時間以上かけてエッセに戻り、両親と顔を合わせて会話をした。

 歌手の道を目指していること。縁があってある人と出会い、彼の元でずっとレッスンを続けていたこと。そしてアルストロメリア公演への切符を手にしたこと。

 ラターリオの名前を出すことはなかったが、それ以外は包み隠さず報告をした。

 当然、2人とも驚いていた。どうして黙っていたのかと聞かれてしまった。心配するかと思ってとしか返せず、そしてずっと黙っていたことを謝罪した。

 だが母親は喜んでいた。クレアレーネが好きだったロッシャがまた頑張れるのであれば応援すると。無口な父親も何度も頷いていた。お前ならきっとやり遂げるだろうと。

 背中を押してくれた両親に感謝をした。

 その後、別の街にいる弟に連絡をしたら、既に知っていると笑っていた。アルストロメリア公演の情報をインターネットで見たら、ロッシャの名前があったのだと。そうか、インターネットに詳しくない両親より弟のほうがいち早く情報を察知するか。

 だが弟も笑いながら応援した。「兄貴の歌なんて聞いたことがないけどな」と軽く悪態をつきながら。

 こうして家族からの声援を一心に受けた。後は振り返らずに前に進むだけだった。


「……ん?」


 目的地についたロッシャはスマートフォンを見て、はっと気が付く。新しいメッセージが来ている。


「レアン……」


 あれから一度も会っていないレアンからのメッセージだった。あの日の別れ際に連絡先を交換していたのだが、あまりたくさん会話していなかったな。

 彼からは短い文章でこう書かれていた。


「アルストロメリア公演、頑張れ。ラターリオのためにも、母さんのためにも。そしてロッシャのためにも」


 本当にいい奴だとロッシャは笑みを浮かべる。もう彼の中でラターリオに対する怒りも悲しみもないのだろう。ラターリオがリーアンジェの願いを受けて作った歌、必ずレアンにも届けさせよう。

 返事を返したロッシャは、目的地のベルを鳴らす。数秒ほど待てば玄関の扉が開いた。


「いらっしゃい」


 ラターリオが出てくる。あれから快方に向かって、血色も良くなった彼が。あぁ元気そうで良かったと、心の底から安堵した。

 とは言え、彼がロッシャの言葉をどう飲み込んだのかは分からない。あれからその話に触れないまま、2人は公演に向けてのレッスンを繰り返していた。

 そして、今日は……。


「さぁ、今日が最後のレッスンだよ、ロッシャ。頑張っていこう」

「……あぁ」


 ロッシャは一歩踏み入れる。公演に向けた最後のレッスンが行われようとしていた。

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