第31話

 通知が来たのはメールだった。目を疑い、何度も見返し、そしてようやく、あぁ合格したのだと知った。

 意外とあっさりくるものだ。いや、合格通知なんて案外そんなものかも知れない。高校の合格通知も、ダンスのオーディションに受かった時も、こんなあっさりと届いたような気がする。

 とは言え、書類審査という第一の壁を超えたのは事実。次は2週間後のオーディションだ。

 ラターリオ達に報告をすれば、自分のことのように喜んでくれた。


「君なら大丈夫だと思っていたけれど、実際通ると嬉しいものだね」


 彼からしたら感慨深いものがあるだろう。自らの目でロッシャを見つけ、そしてここまで導き出してきた。

 ロッシャもラターリオとの出会いを思い出す。まさかあのバーでの会話からここまで辿り着くなんて。

 いや、ここはまだ通過点。まだゴールへは辿り着いていないから、気を抜けないな。


「書類が通ったからと言って気が抜けねえぞ。まだ音源は完成してねえんだ。完璧なものを収録して持っていくぞ」


 案の定、書類審査を報告した後、アディルはこう言っていた。書類提出から合格まで3週間ほど時間があったが、その間に何度も音合わせをし、よりよい曲を作ろうとしてきた。しかし他の人の都合もあるために毎日顔を合わせることができず、3週間の内に合流できたのは7回だけ。

 とは言えその7回でいくつもの改良を重ね、終わりが見えてきた。何度も何度も話し合い、試行錯誤をした。アディルの意見は勿論、ラターリオやナティーヤ、ルオシンの意見も取り入れた。

 ただアルストロメリア公演で成功するための楽曲を作るのではなく、この先もずっと誰かの心に響くような楽曲を。それが何よりのベースだった。ロッシャ達は誰もアルストロメリア公演とそのオーディションをゴールだとは考えていなかった。

 この歌は公演の更に向こう、未来へ続くための歌にするのだと。

 そしてその想いを一つにし、『駆け抜けた空』は完成した。合格通知が来た3日後のことだった。

 完成した時、本当にこれでいいのかと思ったが、これでいいのだと言い聞かせた。より良い出来になった。最初よりずっといい。

 あとは自分がこの曲に引っ張られすぎないように歌うだけ。音と一つになるのだ。音と一つになり、歌うことを楽しめ。


 ◇◆


「そう言えば、家族には伝えたのかい?」


 オーディションの前日。ラターリオの家で歌の調整をしていたロッシャはふと彼に訊ねられる。

 思わぬ言葉に顔を上げた。そして視線を少しばかり泳がせてしまった。


「いや、まだ伝えてねえ……」


 家族は勿論、エデュートやネイコ、タトカにもアルストロメリア公演のオーディションを受けることを話していない。このことを知っているのはラターリオとアディル達、そしてレアンだけ。

 いつか話さないとと思っていたが、話せないまま今日まで来てしまった。

 そして今思うと、少し不安になる。ダンス一本で生きていこうとした男が歌手に転向しようとするのだ。

 事故のことをずっと気にかけている家族は何を思うか。


「……踊れなくなった奴が歌で再起しようとしているなんて、傍から聞いたらどう思うんだろうな」

「別に珍しいことではないよ。この街ではよくあることさ」


 スツールに座ったラターリオは、足を組み直す。


「よくある?」


 ロッシャは首を傾げる。別の道を歩むことが、クレアレーネでは当たり前の話だというのか。

 ダンスの道だけを歩んできたロッシャにとって初耳だった。


「カリーナ・ネティエンネという歌手がいるだろう? 彼女は元々プロの役者だったんだけど転機があったらしく、10年前にアルストロメリア公演に挑戦してプロデビューをした。別のパターンで言うと、舞台俳優のパルフィス・ベイエッタは4年ほど前に歌手から俳優になった。芸術という大きな枠の中で、あちこち転向するのはよくあることだよ」

「そうだったのか。知らなかった……」


 カリーナの曲はよく聞いていた。彼女は今でも現役で舞台に立ち、ロックを歌い続ける歌手だ。まさか元役者だったなんて。俳優のパルフィスは名前だけ知っているくらいだが、彼も元々俳優ではなかったのか。

 きっとあくまで彼らは一例。他にもいるのだろう。


「ダンサーから歌手になったケースは?」

「僕は把握していないけれど、アディルに聞いたら分かるかもね」


 もし仮にそのケースがないとしたら、ロッシャは第一号になるのか? いや、同じ音楽を扱う意味ではダンスも歌も同じ。過去にダンサーから歌手に転向、もしくはその逆があったかもしれない。


「そういうことだから、ダンサーだった君が歌手を目指すのはおかしな話ではない。何も気にしなくていいんだ」

「そっか。それを聞いて、ちょっとは気が楽になった」


 ロッシャもスツールに座ったまま、自身の左足に触れる。練習の合間にずっと続けているリハビリ。以前よりかは安定していて、杖の必要もない。当然、走るのも上げるのもできなくて、歩くのみの足になってしまったが。

 踊れなくても舞台に立てる。

 この街で生きていける。

 そのことが徐々に証明されていく気分だ。


「……」


 だが、

 曲が完成し、オーディションが目前に迫り、目まぐるしかった時間が落ち着きを取り戻した。そんな時にロッシャの脳裏にある言葉がよぎる。

 もう1ヶ月近く前だ。『駆け抜けた空』とタイトルが無事に決まった時に言っていた、ラターリオの言葉。


 君は未来へ向かうんだよ。


 あの言葉の意味を結局聞くことができず、今に至ってしまった。2人しかいないこの部屋でなら、真意を聞けるだろうか。


「なぁ、ラターリオ」

「ん? どうかし……っ」


 その直後、ラターリオは口元を抑え、激しく咳き込んだ。随分と重い、喉を揺さぶるような大きな咳だった。


「お、おい大丈夫か!?」


 ロッシャは慌てて立ち上がり、彼の元へ。ここまで咳き込んだ姿を見るのは初め

てだ。

 数回咳をした後、ラターリオは小さく首を振る。


「大丈夫だよ……」

「体調が悪いのか?」

「ううん、平気だよ。何かが喉に引っかかったのかもしれないね」


 いや、そんな咳ではなかった。明らかに体調が悪い時に出てきてしまいような咳だ。あぁよく見ると彼の顔色はあまり良くない。

 ここ数日、オーディションに向けて取り組んでいたから疲れが出ていたのだろう。リーアンジェのことも相まって、元々調子がよくなかったのかもしれない。

 そっと額に触れてみるが、特に体温が高まっている様子はない。


「熱はなさそうだな……」

「あはは、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」


 熱がないとは言え、本調子ではないことは確かだ。大丈夫だと言われて、あぁそうかと納得できる筈もなく。


「すまない、話を遮ってしまったね。……さっき何を言いたかったんだい?」

「……あ、えっと」


 我に返る。そうだ、ラターリオに聞かなければいけなかった。

 言うべきか言わないべきか迷った。彼のこの状態で、言葉の真意を訊ねることなんてできるか? 

 顔色の悪い彼の目が、ロッシャに突き刺さる。


「……お、オーディション、上手くいくかなって思っただけだ」


 嘘をついた。

 やはりラターリオに聞くことができなかった。


「ロッシャなら大丈夫さ。いつもどおり歌えばいいよ。僕は信じてる」


 そう答えるラターリオの表情は穏やかだった。だが、顔色の悪さは簡単に戻りそうにない。

 やはりリーアンジェのことをずっと引き摺っているのか。

 そう思ったものの、口にすることはできなかった。

 

 ◇◆


 オーディション当日、ロッシャは街の中央部にある大きなビルへと向かった。随分と背の高いビルだった。ここの5階にて行われるという。

 オーディションの流れはラターリオとアディルから聞いている。アルストロメリア公演に行きたい、つまり歌手になりたい理由と簡単な質問の受け答えがあり、それが終わってから歌を披露する。一人あたり、20分ほどで終わるという。

 完成した楽曲は事前に送っていた。そういう規定だったからだ。

 とうとうこの日がやってきたのかという緊張と興奮があった。歌詞はしっかり覚えてきたし、歌う際のコントロールの仕方もラターリオと事前にすり合わせた。

 後は無事に歌いきればいいのだが、同時に不安もよぎっていた。

 それはオーディションに受かるかどうかではなく、ラターリオの体調面のことだ。あれから特に彼は酷い咳をしていないようだが、やはり本調子ではないらしい。時間を見て病院へ行くと言っていたが、果たして無事に行っただろうか。

 今日の朝、彼からメッセージが来ていた。頑張ってくれという応援の言葉だけだった。自身の体調のことは話していない。ロッシャに余計な気をかけたくなかったからだろう。

 確かに今は目の前のことを考えないといけない。

 ラターリオのことを気にして失敗してしまうと彼が悲しんでしまうから。


「……行くか」


 ラターリオやアディル達の想いが、楽曲に詰まっている。必ずこのオーディションで歌い上げねば。

 そしてこの歌は何より、彼女への想いも込められている。彼女が空の上で何を思うかは分からないが、必ず響かせてみせよう。

 ロッシャは意を決し、建物の中へと足を踏み入れた。

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