第28話

「話がしたいんだ」


 喫煙ルームの前まで辿り着いたロッシャは、ラターリオにそう言葉をかける。喫煙ルームの扉を開けようとしたラターリオの手は止まる。


「構わないよ。スタジオの外にでも出るかい? アディルには僕が言っておくから」

「いや、そこの中でも俺は大丈夫」

「それは駄目だよ」


 ラターリオは首を振る。


「オーディションを控えているのに、喉を痛めるわけにはいかないだろう? 例え僕が吸わなくても、あの中は煙が溜まっているんだから。……誰かに聞かれたらいけない話かな?」

「そう、だな……。曲のこともそうだけど、この前の話の続きになるかもしれない」


 ロッシャはちらりとロビーを見る。人の姿は見当たらない。フロントにもスタッフが立っていない。スタッフルームに戻っているのだろうか。


「……まぁ、大丈夫かな。今なら」


 ラターリオもロビーに人がいないことを確認し、近くのソファに座ることを提案する。ロッシャはそれに従い、歩を進めた。

 側にある自動販売機で缶コーヒーを2つ購入し、腰掛ける。しんと静まり返ったロビー。まるで今日の営業が終わってしまったかのよう。

 どの部屋も防音設備が整っているので、何も音が聞こえてこない。微かにドラムの音が聞こえるくらいか。でもそれだけだった。


「もし、レアンがリーアンジェの日記を見つけなくて、あんたのところに押しかけに来なかったら、あんたは俺にリーアンジェのことは話さなかったか?」


 以前、ロッシャにリーアンジェの話をしてくれたものの、それは全て姉として話ばかりだった。あの時のラターリオは弟の目で彼女を語っていた。

 だがちょっとした仕草から微かな恋慕がちらつき、ロッシャはもしや? と疑った。案の定、ラターリオはリーアンジェに恋をしていたわけだが。

 もしレアンが現れなかったら、ラターリオは自ら打ち明けなかっただろうか。


「……そうだね。何も話さないまま、君に曲を提供していただけだったかもしれない」


 缶コーヒーを一口飲んで、ラターリオは頷く。


「でもね、話してよかったと思っている。打ち明けた時、なんだか心がすっきりしたんだ。僕はリーアンジェへの想いを誰にも話さず、彼女のように日記に書き記すこともなかった。ずっとずっと心の中に溜め込んで、勝手に苦しんでいた」

「……」

「打ち明けたからこそ、新曲Aはよりいいものになるんじゃないかなって僕は思うんだ。後はどうアレンジするかだけど……」


 話せてよかった、のだろうか。確かにラターリオの心は少し軽くなったのかもしれない。

 でもやはり表情は優れない。まだまだ振り切るのには時間がかかりそうだ。


「そのアレンジだけどさ、俺が決めていいのか? あんたの意見も必要なんじゃ……」

「僕の意見は気にしないでいいよ。さっきまでアディルと好き勝手に言ってたけど、基本はロッシャの希望に添えたいから」

「でもこれは、元々あんたの歌だろう?」


 本当に自分の願いだけを注ぎ込んでいいのか。ラターリオだってこの歌を作る際、理想の形を考えていたはずだ。

 この歌にはラターリオの願いが込められていてもいい。


「歌詞はほぼ完成したけど、これだってもう少し、リーアンジェに寄せてもいいんじゃ……」

「ロッシャ」


 言葉を遮るようにラターリオは名前を呼んだ。口元は笑みを浮かべつつも、小さく首を振った。

 それに合わせ、金の髪が静かに揺れる。


「最初に言っただろう? この歌は未完成曲だって。詞もタイトルも一緒に考えていこうって」

「……あ、あぁ」

「一つの絵画だと思ったらいい。真っ白なキャンバスに、鉛筆で下絵はできているけれど、色はついていない。色は一緒に塗っていこう。大きな筆を取るのは君で、僕は小さな筆かな」


 彼の言いたいことは分かる。メインで色を塗っていくのはロッシャ。ラターリオは

その補佐と伝えたいのだろう。

 あぁ彼は本当に、ロッシャの希望に添えたいのだな。本当に自分の意見を反映するつもりはないのだな。


「いいのか?」

「ロッシャはとても優しいから、リーアンジェのことを気にかけてくれているんだね。それはとても嬉しく思うが、リーアンジェのことばかりにこだわらないで欲しい。僕は彼女のためにこの歌の土台を既に作っている。次はそれを君と僕で色をつける。ただそれだけさ」


 そうか。この歌があるという事実だけで、ラターリオの中では完結しているのか。だからこれを歌うロッシャに託そうとしているのか。

 彼の言葉に、じわりと心が晴れていく気がした。


「……分かった。じゃあ却下してもいいから、俺の意見を言わせてくれよ」

「うん、何でも言ってごらん」

「『ロビン』みたいな、アップテンポのロックにしたい」


 今の新曲Aはピアノとギターがメインとなっている。ドラムはそこまで叩き込まないし、ベースの音も控えめだ。明るめではあるが、疾走感が足りない。

 そう、疾走感。

 未来へ向けて走り抜けたいという勢いとテンポが欲しいのだ。


「なるほど、確かにその方がロッシャに合っているかもね」


 ラターリオは却下することなく、あっさりと受け入れる。

 そう考えると、ピアノは抑えめで、Cメロはピアノじゃなくてアコギで……と、小さな声で言葉を並べていた。

 ここまで考えてくれるのか。なんだか申し訳ない気持ちも溢れてくる。


「……そう言えば、『ロビン』って悲恋の歌じゃないよな。それもラターリオが作ったのか?」

「ううん、あれはアディルとの合作だよ」

「え?」


 思わぬ言葉に目を瞬かせる。アディルとの合作? 彼が『ロビン』の制作に関わっていたのか。確かにラターリオのバックでドラムを担当していたと言っていたが。

 だが言われると納得がいく。アディルが関わっていたから、悲恋の歌にならなかったのか。


「あまりにも悲恋ばかりでつまらないって言われちゃってね。じゃあ友達の歌でも作る? って持ちかけたら乗ってくれて。リリースした時は、こんなのラターリオの曲じゃないってファンから言われたりもしたけど、割と売れたなぁ……」

「そうだったのか」

「そんな歌をロッシャが気に入ってくれたんだ。なら、それに沿ったような編曲をしていかないとだね」


 ロッシャの希望は簡単に通った。恐らくこれからラターリオはアディルとともに曲を編集するだろう。共に『ロビン』を作った2人なら、もしかしたら容易なのかもしれない。

 さて、残るはタイトルだが。


「……疾走感」


 ロッシャが欲しいと思ったものだ。『ロビン』にはあまり疾走感がないが、この歌はできるだけ駆け抜けるという想いを載せてみたい。

 そういえば、走れなくなってもう半年近くが経過した。このまま走ることはもうできないのだろうか。リハビリを続け、医療技術が進化したらまた走れるようになるのだろうか。

 特に走りたいという願望はないが、歌の中でなら走ることができる。

 そうか、歌の中でなら。


「決めた」

「ん?」


 また1人で思索していたラターリオが我に返る。そんな彼に向けて、ロッシャは身を乗り出した。


「曲の名前、決めたよ」

「本当に?」

「あぁ」


 未来に向けて真っ直ぐに生きる歌。ロッシャの歌手としてのはじまりの歌。希望と羨望を混ぜた、光の歌。


「――――『駆け抜けた空』だ」


 歌詞の中にはいくつも《空》というフレーズが入っていた。空の向こうにある未来へ手を伸ばし、我武者羅に、ひたむきに生き、空に辿り着くことを歌っている。人間讃歌といってもいい。

 もしかしたら他にいい言葉があるかもしれないが、今のロッシャにはこの言葉がしっくりとくる。


「『駆け抜けた空』か。良いタイトルだね」


 ラターリオも肯定的だ。


「変じゃないか?」

「全然。『駆け抜けた』と言い切っているのがいいと思う。ちゃんと未来に辿り着いているんだということが表現できているからね。……僕では到底思いつかないよ」


 確かにラターリオの作品とは違ったタイトルだ。とは言え彼のつけた曲名はどれも秀逸。逆にロッシャが考えつかないものばかりだ。

 改めてロッシャとラターリオは間逆なのだなと認識する。


「早速アディルに伝えておいでよ。そろそろ休憩も終わるからね」

「あぁ、ラターリオは?」

「1本くらい吸わせてよ」


 とシャツの胸ポケットをとんと叩く。よく見ると微かな膨らみ。煙草が入っているのだろう。

 そう言えば彼は喫煙のために外へ出ていたなと思い出す。


「悪い悪い。じゃあ後でな」


 ロッシャは立ち上がり、大きく背を伸ばす。アディルはもう電話を終えているだろう。もしかしたら待ちくたびれているかもしれない。

 なんとか決めたタイトル。アディルはどんな反応をするのか。まだ想像がつかない。

 とにかく早く戻ろうと、ラターリオとともに喫煙ルームの近くまで歩く。彼とはここで一旦お別れだ。

 軽く手を振って、ロッシャは1人スタジオへ。

 その時だった。


「……君は、未来へ向かうんだよ。ロッシャ」


 背後から聞こえたラターリオの声。囁くような、独り言のような、か細い声。


「え?」


 今、なんて?

 歩を進めていたロッシャは思わず足を止め、振り返る。だがそこにラターリオの姿はなく。

 ぱたりと喫煙ルームの扉が閉まっただけだった。


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