第25話
この日記は早めに処分すること。絶対に誰にも見られないこと。ページ1枚1枚破るくらいに処分すること!
吐出口がないので、この日記にぶつけてみようと思う。SNSはすぐ広まってしまいそうだし。さて何から書こうか。
まずは懺悔をしようと思う。私は愚かな姉だった。あまりにも傲慢でわがままで、独りよがりで、勝手だった。
よく周りの人からいい子だね、優秀な子だねなんて言われていたけど、実際は全然そんなんじゃなかった。
いい子だったら、私は弟に恋をすることなんてないじゃない。
そもそも私はどうしてラターリオを好きになってしまったのかをまとめてみる。
彼は引っ込み思案で大人しくて、線が細くて、顔が綺麗で、女の子みたいだった。
義理のお父さんとあまり仲が良いわけではなくて、私のお母さんにもなかなか懐かなかったけれど、私には懐いてくれた。
私が作ったご飯を美味しいと言ってくれた。私が焼いたチーズケーキをいっぱい食べてくれた。
そんな彼と一緒にいるうちに、弟のままでいるのが惜しくなった。血が繋がってないんだし、彼と結婚して一緒になりたいと思った。そしたら美味しいご飯をたくさん彼に食べさせてあげられるし。
両親に愛情を向けられていない私達は、私達で逃げるしかない。あの時はそう思わずにはいられなかった。
最初は、ラターリオに対する想いは庇護欲なのかと思った。でも違った。線が細い可愛い子だったけど、ちゃんとした男の子だったし、重たいものもちゃんと運べる。私よりも大きな手だったし、背もずっと高かった。そして優しかった。
とてもドキドキした。この気持ちは、決して姉弟で感じるものではないものだとすぐに分かった。
私はラターリオに恋をした。それがいつの頃だったか忘れたけど……。
ラターリオが歌手になってクレアレーネに旅立って、私はとても寂しかった。でもテレビやラジオで流れてくる彼の歌を聞いていると元気が出たし、嬉しかった。
こんな素敵な人が私の弟なんだよって、ちょっとした自慢にもなった。
でも段々、こんな素敵な子にはもっと素敵な人がいるのではと感じた。だって姉から好意を持たれているなんて気持ちが悪いじゃない。
だから私はラターリオへの想いを断ち切ることにした。新しい恋を始めようと思った。
そして、セドレンと結婚した。
弁解はしておくけど、セドレンは妥協で結婚した相手じゃない。真面目で優しくて、私のことを大切にしてくれる人。料理は上手だけど車の運転は下手くそ。怖がりなくせにホラー映画を見たがってしまう可愛さもあった。
私はセドレンに心を奪われた。この人と一緒にいたいと思えた。
ラターリオは驚いていたけれど祝福してくれた。セドレンとも仲良く喋っていたので、私はこれで良いんだと思った。
でもまさか、私の結婚式の1ヶ月後に引退するなんて思わなかった。
私がリクエストした曲、結局作ってくれたなかったな。
当時は、どうして引退したのか分からなかった。ラターリオは事務所と揉めたとずっと言っていたけど、実際はそうじゃないのだろうなって感じていた。
それよりお義父さんとお母さんが、ラターリオを酷く糾弾したのが許せなかった。スターの地位を獲得したのにってラターリオのことを思って言っているように見えて、実際は彼の稼ぎがなくなったことに対する怒りだらけだった。
あの人達はラターリオを金づるとしか見ていなかった。CDの売上も、舞台の報酬も、テレビ出演のギャラも、ほぼ半分近く毟り取っていった。
ラターリオは別に構わないって笑っていたけれど、憔悴しきった彼を見ていられなかった。
もっと早い段階でこんなことが起きていたら、私は結婚する前にラターリオを連れて逃げていたよ。
でも引退したラターリオはクレアレーネに住んで楽しそうだった。仲間と一緒に曲を作っているのだ、新しい歌手の卵を育てているのだとよく言っていた。レアンのことも可愛がってくれた。
最高の弟だった。
だけど私は気付いてしまった。
ここからが私の本当の懺悔です。
たまたまラターリオの『暁』を聞いていた。何度も聞いていたから歌詞もちゃんと歌えるくらいだったのに。
今更、歌詞の意味に気づいた。
この歌に出てくる《僕》の想い人は、私のことではないかと。
――――交わした言葉、辿々しい僕、満面の君
最初に挨拶をした時、ラターリオは緊張していたのか、拙い言葉で私に挨拶をした。私はそんな彼の緊張をほぐそうとにこやかに笑って挨拶をしたのを覚えている。
――――夕暮れの公園で、ふらり待ち合わせた
ラターリオはいつも夕暮れまで公園で本を読んでいて、なかなか家に帰ろうとしなかった。ご飯の時間になると私がよく迎えに行っていたっけ。
――――愛を知らなかった僕に、全部を教えてくれたのは君だけ
親に愛されていなかったラターリオ。私と会ったことで笑顔が増えたみたい。お義父さんも言ってたな。料理も教えてあげたし、お菓子の作り方も教えてあげた。
こじつけかもしれない。でも読み返せば読み返すほど、私のことではないかと思ってならなかった。
そして『暁』は、《僕》がいつまでもいつまでも《君》を想い続け、愛を伝えることができないまま終わる歌。
ねぇラターリオ。
もしかしてあなたも、私のことを好きでいてくれたのかな。
『嘘の答え』も『花の葬列』も、全部全部悲恋や儚い恋ばっかりだったのは、そういうことなのかな。
あなたは一度も、愛し合って幸せになった歌を歌わなかったよね。
もしかして、あなたが引退したのは私のせいだろうか。結婚してすぐだったから……。
もしそうだとしたら。
私はもっと早く気づけばよかった。もっと早く、ラターリオに好きだと言えばよかった。
でも、もうそれは終わったこと。
私はずっと、家族のことを愛していきたいと思う。ラターリオは私の可愛い弟。抱えていた想いはずっと、誰にも告げずにしまっておくことにします。
ごめんね、ラターリオ。
大好きだったよ。
◇◆
言葉が出なかった。この日記に、なんて感想を述べたら良いのか分からなかった。
1ページずつ、数行だけ書いてまた新しいページに文字を書くという、余白だらけの日記帳。いや、それは日記ではなかった。
リーアンジェの告白でもあり、懺悔の文章だった。
冒頭に、早めに処分することと自分で記載している。本当は処分してしまいたかったのだろう。だが、できなかった。
処分する前に、彼女は……。
「……」
ロッシャは日記を見つめたまま、固まってしまった。
リーアンジェを愛していたラターリオ。彼女への想いを歌にし続けた。一方的な片思いだとも言っていた。
違った。
リーアンジェもまた、ラターリオに恋をしていたのだ。彼女も一方的な片思いだと思い込み、彼にそれを告げることなく。
あと一歩踏み出せば結ばれていたかもしれない絆。
もう結ぶことのない絆。
ラターリオが喚き、慟哭してしまった理由も頷ける。彼の言っていた、簡単に失敗してしまったとは、こういうことか。
「まるで映画みたいな話だろう?」
何も言えないでいたロッシャに、ラターリオが言葉を紡ぐ。悲しげな表情はそのままに、何処か諦めとも取れるような色も見せていた。
そうだ。これは全て過ぎた過去。
2人が歩み寄れなかったがために過ぎ去ってしまった過去。
「気づかなかったよ。リーアンジェが僕をそう想っていたなんて。僕のことを本当の弟のように見ているだけだと思っていた」
きっとリーアンジェは、ラターリオの前で優しい姉を演じていたのだろう。優しい姉になりながら、ラターリオに恋をする女にもなっていた。
「レアンが怒るのも無理はないね」
レアンからすれば、母と叔父がお互いを想い合っていたという状況になる。例えリーアンジェとラターリオの血が繋がっていなくても、レアンからすれば2人はちゃんとした姉弟なのだ。
「……ごめんね、レアン。君にこんな悲しい思いをさせるつもりはなかったんだ」
「別に、もういいよ」
レアンは小さく首を振る。疲弊している様子が見られた。散々怒り、苛立ち、疲れてしまったのだろう。
「母さんは日記にああ書いていたけど、本当は日記にないとんでもないことがあったんじゃないかって思って、無我夢中でここへ来たんだ。……でも、何もなかったんだな」
「何もなかったよ。僕とリーアンジェは一方的に想って、そして一方的に終わった。……日記にあっただろう? リーアンジェはセドレンを選んだ。僕はフラれた。もうそれで終わったんだ」
レアンが日記を見つけなければ、そもそもリーアンジェが日記を早く処分していれば明らかになることはなかったこと。
これは知っておくべきことだったのか、知らないままのほうが良かったのか。
ロッシャには勿論、ラターリオやレアンでも分からないだろう。
「ところでこの日記のこと、セドレンは知っているのかい?」
「いや、俺が見つけただけだ。流石に父さんが読んだら卒倒すると思う。今でも母さんのことが大好きだし、ラターリオのことも気にかけていたからさ」
「そうか。セドレンが読んでいないのなら良かった……」
リーアンジェの夫であり、レアンの父親であるセドレンのことはロッシャには分からない。だが彼女の日記やラターリオの言葉を聞く限り、誠実な男性であることは伺える。
レアンも最初は荒々しい態度だったが、今は軟化して大人しくなっている。きっと元々は大人しくて優しい性格なのだろう。セドレンとリーアンジェに大切に育てられていたということが感じられた。
「……なぁ、ラターリオ」
ロッシャはようやく口を開くことができた。まだ動揺は隠せないが、日記を読んだ直後よりは落ち着きを取り戻している。
目線の先には、日記のあるページがあった。
「この日記に、リクエストした曲ってのがあるんだけど、まさかそれって」
「あぁ、新曲Aのことだ」
やはりそうか。そしてロッシャが関係しているというのはこのことか。
ラターリオは歌えなくなった歌を歌ってほしいと、ロッシャに新曲Aを授けた。未完成だった、悲恋ではない歌。
悲恋をメインとしているラターリオが悲恋と異なる歌を作るのは『ロビン』以来だ。まさかこれが、リーアンジェのリクエストだったなんて。
「リーアンジェが僕に言ったのさ。悲しい歌ばかりだからたまには明るい歌を歌ってほしいって。彼女の願いに応えたくて試行錯誤しながら作ったよ。でもその最中に彼女は結婚した。だから発表する前に僕は舞台から降りたんだ」
そうか。彼女を想って歌うという理由が消え失せてしまい、ラターリオは新曲Aを発表する前に舞台から降りたのか。そういえば、墓場まで持っていくつもりだったとも言っていたな。
だがその彼女に捧げるべき歌は、今ロッシャの手元にある。
「もう僕にはそれを歌う理由はない。これはもう君の歌だ。君に歌って欲しい」
「……何言ってんだよ。これはあんたが歌うべきだろ?」
ここまで話を聞いて思った。この新曲Aはラターリオが歌うべきだ。彼女への最後の想いを、歌い上げるべきだ。
ロッシャが歌うような代物ではない。
「リーアンジェはあんたに歌って欲しいと願ったんだ。あんたが歌わなければ意味がない!」
「僕はもういいんだ。もう、歌いたくない……」
ふるふると首を振るラターリオ。弱々しいながらも、強い意志が感じられた。
聞かせるべき相手がもうこの世にいない。いたとしても、ラターリオの想いが届くことはもうない。
それ故に歌いたくないのだという想いが垣間見えた。
「……これはロッシャの歌だ。僕達は以前、何度も試行錯誤をして歌詞をより良い形にさせたじゃないか。これはロッシャが舞台に立つための歌なんだ」
「……っ」
「君に光を感じ、舞台に立たせてあげたいという気持ちは嘘じゃない。リーアンジェの心が分かっても、僕が君に抱く気持ちは変わらない。どうか、この歌を自分の歌として歌って欲しい……」
違う。本当はリーアンジェのための歌だったのだろう?
リーアンジェだって、ロッシャが歌うよりラターリオが歌ってくれたほうが喜ぶだろう?
でも、ラターリオの気持ちが分からないわけではない。もう舞台に未練がないと言っていた彼を、無理矢理舞台に立たせて歌わせるなんてできる筈もなく。
返答に詰まった。
「歌ってよ、ロッシャさん」
そんな中で、それまで黙っていたレアンが口を開く。
「確かにこれは母さんがリクエストした曲だけどさ、もうリクエストした本人はいないんだ。これは生きている人への歌じゃないか? 舞台に立つ、あんたのための歌じゃないか?」
「……」
「母さんとラターリオの色んな気持ちが詰まっているけど、どうかそれをあんたの光とやらで歌って欲しい。ラターリオはそう言いたいんじゃないか?」
とても落ち着きのある声色で話すレアン。先程まで激昂していた姿とは打って変わっていた。きっとこれが、本来の彼なのだろう。
リクエストした人はもういない。
これは、生きている人への歌。
生きている人が胸を張って、舞台の上で歌う歌。
「……ロッシャ、僕は無理にとは言わないよ。もし厳しいというのならば、オーディションまでに新しい曲を」
「いや」
ロッシャは首を振った。軽く息を吐き、ラターリオを見た。
過去を全て吐き出し、疲れ切っている彼の姿があった。本当はまだ心の重荷は取れていないだろう。
けれど、伝えなければ。
この心の内を。
「歌うよ。あんたの歌」
「……」
「舞台の上で、あんたの想いも、リーアンジェの想いも、そして俺の想いも全部ぶつけて歌いきってやる」
これはロッシャの歌であり、ラターリオの歌であり、リーアンジェの歌だ。
全ての想いと心を混ぜて、舞台の上で歌おう。少しでも光に繋げてみせる。華やかな舞台の上で、全てを、全てを。
「……ありがとう、ロッシャ」
ラターリオはくしゃりと笑った。疲れ切ったはずの表情から、微かな光が溢れていた。
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