第12話
きっかけは些細なことだった。10歳の時、当時のクラスメイトに勧められたダンスの動画を見た。動画内でスタイリッシュに踊る人達に心動かされ、自分も踊ってみたいと思ったのだ。
そして気のいい仲間と一緒に授業の後に空き地へ向かって練習したりした。ほぼ独学だった。様々な動画を見て見様見真似で踊ってみたり、ダンスに詳しい上級生に教えを受けたりしながら。
ほぼ毎日、誰かの前で披露することもないのに無我夢中で踊っていた。時々学校の行事で披露することもあった。拍手喝采だった。
もっと踊りを極めてみたいと思い、クレアレーネに行きたいと考えるようになった。
芸術の登竜門。クレアレーネで有名になれば世界的に有名になるのも同然とも言われていたのだ。
仲間の数人は踊りで食べていこうと思わず、学業に専念して去っていったが、ロッシャは残った仲間とともにクレアレーネでの成功を目指し、クレアレーネにある寮付きの高校を志願した。
そしてみんなで旅立った。
5年ほど前のことである。
まさか5年経って、自分が踊れなくなるとは思わなかった。挫折して、自ら踊りの道から去っていくよりも辛い、「踊りたくても踊れない」という状況に立たされるなんて。
自分から諦めるよりも、諦めさせられることのほうが心に負荷がかかる。この先何年、何十年経過しても踊ることはできないのだ。
少年の頃から抱いていた夢。
あと一歩で届きそうだった夢。
全部全部、泡沫。
「ロッシャ、大丈夫か?」
タトカの声にはっとロッシャは顔を上げる。廊下の隅に設置されていた簡易ベンチに座っていてどれくらい経過したのか。自動販売機で購入したコーラは少しぬるくなっている。
リハーサルが終わり、20分ほどの休憩が与えられた。この後は最終チェックを行い、本番に備える。
PAエンジニアと綿密に打ち合わせをし、本番に向けての準備は一通りできている。後は失敗がないように仕事をこなすだけだが。
「あぁ、タトカさん……」
「やっぱり、辛いか?」
タトカはとても心配しているようだった。やはり彼には見抜かれてしまうか。音響の場所にいなかった筈なのに、とてつもない洞察力だ。
「……辛くないと思いたかったけどやっぱり堪えるな。本来、俺もこのイベントに出る予定だったから」
「そうだな……」
「数カ月かけて向き合って、もう踏ん切りついていた筈だけど、やっぱ踏ん切りつかねえな……」
ラターリオと出会い、歌うことにシフトチェンジしているつもりだった。歌って舞台に上がろうとした。歌でクレアレーネの世界を生きようとした。
けれどもやはり、ダンスへの未練は残ったままだ。踊りたい。踊りたい。もう二度と足が動けなくなってもいいから、あと一度だけと思ってしまう。
「あぁでも、仕事はちゃんとする。だから……」
「分かってる。お前は昔から真面目だからな」
タトカは何度も頷きながら、ロッシャの頭をくしゃりと撫でた。
「けれど、もし辛いと思っても抱え込むな。お前の気持ちは分かる。俺も、もしお前と同じ立場に立ったら、踏ん切りがつかなくて気が狂いそうになるだろうし」
「……」
「お前が元気ねぇのは見てられねぇからな。何でも相談してくれ」
温かい言葉だった。ロッシャの心に染み渡っていく。踊れないロッシャを誰よりも心配して、そして見守ってくれるもう一人の父親のような人。
あぁそうか。
踊れないという現実に立たされながらも、ロッシャは決して孤独ではなかった。見守ってくれるタトカがいて、応援してくれるエデュートがいて、そして導いてくれるラターリオがいる。
まだ恵まれている方なんだと自覚する。
とは言え、まだロッシャの中では割り切れなくて、心の靄は晴れそうになかった。
本番は打ち合わせどおりにPAエンジニアの補佐に動いた。
多くの観客がひしめき合い、空間を埋め尽くす。熱狂の渦がぐるりぐるりと舞い、まるで燃え盛っているように。
眩しい照明と、激しい音楽と、それに合わせて踊るステージ上のダンサー。観客の声援、歓声、突き上げる拳。完売御礼のライブハウスは、クレアレーネから切り離されたかのような独自の世界を作った。
それを眺めつつも、ロッシャも世界の一員となっていた。
音響を手伝い、音を調整しながら景色に目を向ける。エデュートが中心で舞っているのを見ると、自然と笑みが溢れる。
そして、心が沈む。
踏ん切りがつかない。割り切れない。やはりまだ現実を受け入れるのが辛い。踊りたい。あそこに行きたい。もう一度、もう一度だけ踊りを……。
分かっている。ワガママだってことは。今の足では無理をしようにも踊れないことだって。
どうして事故に遭ってしまったかな。
どうして、上手に轢かれなかったかな。
あの時、轢かれそうな子供を助けなければよかったのか? 見ているだけのほうがよかったのか?
あぁ教えてくれ。教えてくれ。どうして俺の運命はこうなってしまったのだ。どこでこの運命が決まってしまったのだと。
熱狂の渦でできあがった世界の片隅で、ロッシャは一人膝を抱えていた。熱の中心をじっと見つめながら羨み、恨んだ。
◇◆
「ロッシャ!」
イベントが終了した後、ロッシャはスタッフとともに片付けに追われていた。とは言えロッシャは足のことがあるので、重いものを運ぶのではなく、小道具の片付けのみだが。
その矢先に現れた、声をかける人。
「エデュート」
やっと会えた親友。リハーサル中は顔を合わせることがあってもまともに会話をすることがなかった。まだ忙しいが、多少の会話くらいは時間が取れそうだ。
「手伝ってくれてありがとう。急な電話をしてごめん……」
「いや、いいよ。俺も久々にイベントを見られて楽しかった。お前の踊りもな」
「……うん、ありがとう」
そう言って笑うエデュートの表情は暗い。それは踊り疲れているということもあるし、何より……。
「いや、心配しないでくれ。俺は平気だ」
「……そうかい?」
「まぁ、完全に吹っ切れたと言えば、嘘だけどな」
エデュートの前では誤魔化しが効かない。できれば彼の前では嘘を付きたくない。だが、心の底に溜め込んだ言葉を全部吐き出したいというわけでもない。
もどかしい。
もどかしくて、狂いそう。
「俺は、来てくれて嬉しかった。少しでもロッシャと同じイベントにいられたからさ」
「あぁ俺も。……音響の補佐、結構楽しかったよ。また呼んでくれ」
音響の仕事自体は悪くなかった。PAエンジニアからたくさん教わり、知識も身についた。また手伝ってくれと懇願されるほどに。
このまま音響の勉強をするのも悪くないか。働き口の一つとして……。
いや、でも。
それで終わってはいけない。
「エデュート、タトカさんには伝えてるんだが、この後の打ち上げには参加できなくてよ」
「え、そうなんだ?」
「あぁ、ちょっと予定が入っててな」
またいつでも呼んでくれと言い残し、ロッシャはエデュートに軽く会釈をしてその場を去る。片付けはまだたくさんあるのだ。早く済ませて、早い内にここを出よう。
この懐かしい空気、この愛しい空気に飲み込まれて、押し潰されてしまいそうだ。心がかき乱されて止まらなくなる。
上手にエデュートの前で笑えていただろうか。普段通りの自分でいられただろうか。鏡で確認したい。いや、したくない。
狂いそうになっている自分なんて、見たくない。
「……」
片付けの合間、ロッシャはスマートフォンを取り出す。着信履歴を遡って、見つけた連絡先をタップする。
耳に押し付ける。
2つのコールで、相手は出てくれた。
「……ラターリオ、この後あんたの家に行っていいか?」
彼からの返事は、たった2つ。
「大丈夫。待ってるよ」
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