第11話


「いやーすまなかったな、ロッシャ! お前が来てくれて助かったよ!」


 豪快に笑いながら何度も背中を叩いてくる少し大柄な中年の男に、ロッシャは苦笑いを隠せなかった。痛いけれど、その痛みが懐かしく思えて、別の意味でも笑みがこぼれてしまう。


「お前がここに来るのはいつぶりだ? 客として来たことはあったか?」

「いや、ないよ。ずっとリハビリ続きであまり遊びに行ったりはしなかったから……」


 ロッシャはそう言いながらぐるりと辺りを見渡す。コンクリート打ちっぱなしの飾り気のない壁と天井。壁にはびっしりとポスターやチラシが。一部は破れたり色褪せたり。年季が入っているのが分かる。

 ここは思い出の場所だった。クレアレーネ中心地から少し南にある中規模のライブハウス。バンド演奏は勿論、数々のダンサー達もここで踊りを披露する。イベント会場としても利用されていた。最大収容人数は500人ほどで、観客が埋め尽くされた時の熱気は凄まじい。

 ロッシャはここでよく踊っていた。事故に遭う三日前もここで多くの観客の前で踊った。あの時の光景は今でもはっきりと浮かんでいる。

 懐かしいと、周辺を見渡しながら思う。


「急にスタッフが体調を崩してしまってな。ダメ元でお前を呼んだんだが、本当に助かったぜ」

「俺で良ければいつでも呼んでくれよ、タトカさん」


 今回行われるダンスイベントの総合プロデュースとして起用されているのがタトカだった。クレアレーネに来たばかりの、まだ半人前だったロッシャの面倒を見てくれた恩師のような人だ。今は裏方に回っているが、昔はブレイクダンスで多くの人々を熱狂させていた。

 ロッシャにとっては憧れの存在であり、追いつきたい人でもあった。

 しかし今となっては、もう追いつけやしない。


「足は大丈夫なのか?」

「歩く分には問題ねえんだけど、走るのは無理なんだよな。大きく動かすと太腿が痛みだすんだ」

「……そうか、大変だな」


 事故に遭ったロッシャのフォローをしてくれたのもタトカだった。保険のこともリハビリのことも彼が手伝ってくれたし、踊れなくなったロッシャに仕事を紹介することもあった。結局仕事に関してはまだ始められていないが、ようやくここで仕事を得たような形だ。


「ロッシャに任せたい仕事は、音響の補佐と終演後のバラシなんだが……あまり重いものは持たせないようにする」

「あぁありがとう。少しくらいなら重労働もできるぞ?」

「おいおい、それでリハビリがパァになったら意味がないだろ」


 おかしそうに笑いながら、タトカはロッシャの肩を叩いた。じんと響く痛みがまた懐かしく感じた。

 ダンスイベントの開始は19時。14時半からリハーサルを行うらしい。今は13時だから、あともう少し。

 まだプロとして食べていけなかった頃、踊る片手間にイベントの補佐も行っていた。音響や照明の手伝いや舞台装置の設置と後片付け、グッズ販売の店番にも立ったし、チケットもぎりもやっていた。だからこういった雑務を頼まれても何ら問題はなかった。

 裏方の仕事でさえも懐かしく思えた。まるで故郷に帰ってきたかのようだ。

 タトカと一通り話を終えたロッシャは、音響機器のあるところまで足を運んだ。何処に何があるかは頭の中に入っているので、迷うことなく向かうことができた。音響の補佐に入るのだから、リハーサル前に話を聞いておかないといけない。


「ロッシャじゃん! 久しぶりー!」


 PAエンジニアは顔見知りの女性だった。ロッシャを見るなり喜びの声を上げ、そして同時に足の心配をした。相変わらずの甲高い声だと思いながらも、ロッシャは彼女との再会を喜んだ。

 彼女と音響の手順について説明を受ける。今回のイベントはハウスダンスとヒップホップダンスを交えたものだった。様々なダンスグループやユニットが参加し、約2時間ほど行うそうだ。

 親友のエデュートも参加する。ここへ来てから一度も会っていないが、恐らく楽屋でリハーサル前の練習でもしているのだろう。


「今は何してるの?」

「リハビリばっかりだよ。まぁそれも落ち着き始めてるけどな……」


 音響に関する打ち合わせをしつつも雑談をする。あくまでリハビリのみに時間を使っているとだけ言葉にし、ラターリオのことは口にしなかった。

 ラターリオのもとで歌のレッスンを行い、歌手として舞台に上がろうとしているなんて打ち明けたのはエデュートだけだ。タトカにも話していない。話す予定はまだない。

 そうだろう? 20年前に一世を風靡した人気歌手と出会い、彼のもとで歌のレッスンを受けているなんて、普通は誰も信じない。例え信じたとしても、次に来るのは応援よりも不安の目だ。突然姿を消した歌手が突如現れるのだから、何か裏があるのではないかと疑うのが道理。エデュートだって最初はそうだった。

 だが、ラターリオは決してロッシャを陥れるような人ではないだろう。数日の付き合いで分かってきた。ロッシャに話していないことは多々あるだろうが、後ろ暗いものは何もない。そう思える。

 とは言え完全に信じ切っているかと言われたら、まだ素直に肯定はできないが。


「仕事決まってないなら暫くライブハウスのスタッフとかしたら? 重労働を避けたら足の負担にもならないだろうし……」

「それも考えてる。どうしても足のハンデがあるから仕事探しが難しくてよ」

「座り仕事ならクリアできそうだけど、ロッシャ座り仕事向いてなさそうだもんね」

「……まぁ、経験ねえしな」


 リハビリを受け続けて数ヶ月、ロッシャは常々考えていた。働き先をどうしようかと。故郷に戻り、父親の自動車修理の仕事を手伝おうか、知り合いのオリーブ農家を手伝おうかとも考えたが、やはりこの街で生きたくて踏みとどまってしまった。

 しかし、クレアレーネで仕事を探すほうが難航した。パソコンは触れるが、基本的なことができるだけで詳しいわけではない。人見知りはしないが、足を酷使するだろう立ち仕事の接客業は向いていない。

 一度知り合いの仕事を紹介されたことがあったが、足のことが引っかかり結局働くことができなかった。

 探せばいくらでも働き口はあるのだろうが、今の所ここだと思える場所に出会えていない。

 結果として、リハビリに行きつつラターリオのレッスンを受ける日々を続けている。

 しかしこのままだらだら続けていいわけではない。歌手として再起できるかも確実に決まっているわけではないのだ。

 彼女の言う通り、ライブハウスのスタッフで働くのも一理ある。そこまで足の負担にならない雑務なら問題ない。下りた保険金だって限りがあるのだから。

 そんな雑談を交えた打ち合わせを繰り返していると、リハーサルの時間が近づいてきた。


「リハだから失敗しまくっていいよ。分からないことは何でも聞いて」

「あぁ、よろしく」


 ロッシャの胸は高鳴っていた。長く足を踏み入れていなかったライブハウスにまたこうして戻ることができたのだ。裏方でも、ダンスに携われるのはいい。

 そう、思っていた。


「リハ始めまーす」

「よろしくお願いします!」


 舞台上に立った複数人の男性と女性。最初に踊るらしいグループだ。多くのスタッフが観客席に並び、その姿を見守る。

 照明が入る。スポットライトに彼らが照らされる。

 タトカの合図で、PAエンジニアの女性はセットしていた音楽を再生する。ズンズンと、骨に響くような重低音が。


「……」


 ロッシャは見た。

 リハーサルとは言え、舞台上でスポットライトに照らされて踊る彼らを。まだ観客の声援がなくとも、楽しそうにその体を動かしていく。

 一人ひとり、息のあった踊りを披露する。軽々と飛び上がり、足を上げ、腕を振るい、ぴたりと止まった動作さえも美しい。

 世界ができていた。

 彼らが舞うことで築かれる世界が。

 ロッシャはそれを見て息を呑む。そして釘付けになって、唇が震えた。指先も微かに痙攣する。

 そうだ。本来ならば自分はあっちにいたのだ。あの舞台の上に、いたのだと。


「ロッシャ、サブウーファーの音量上げてもらっていい?」

「……」

「ロッシャ?」


 彼女の声にはっと我に返ったロッシャ。踊りをじっと見ていてまともに聞いていなかった。


「悪い、何て?」

「サブウーファーの音量をちょっと調整したいの。よろしく」


 聞いていなかったロッシャを咎めることなく、女性はそう説明する。悪いと何度も謝りつつも、言われたとおりに音量を徐々に上げていく。

 重低音がより響くようになった。まるで地面が叫んでいるようだ。彼らの踊りを助長しているかのようだ。

 PAエンジニアの女性はまだ何か物足りないのか、何度も音量の調整を繰り返していた。ロッシャも彼女の指示に従いながら補佐をする。

 そして、舞台を見る。

 心が掻き乱されて、冷静さは失われていく。

 あぁ、俺も、俺もあそこに行きたい。あの世界に帰りたい。また舞台で踊ってみたいと、喚きながら。

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