第8話

「凄い、懐かしい! こんなのあったなー」


 トレーニングルーム内に響き渡る快活な声。随分と楽しそうで、声の端々が弾んでいる。

 普段は落ち着いた声色で話しているラターリオだが、こんな元気な声が出せるのかとロッシャは驚いてしまう。

 レッスンの日、ロッシャは母親から送られてきたコンサートのグッズをいくつか持参した。母親から届いたのだが、覚えているか? と。ただラターリオに見せたかっただけなのだが、思った以上に本人は食いつき、喜んでいた。


「このTシャツのデザイン、最初は僕が考えたんだけど、あまりにも絵心がなくて、結局デザイナーに発注かけたんだよね。売上が良かったからずっとそのデザイナーにグッズのデザインやCDジャケットのデザインをお願いしてね」

「そういや、割れると困るからってことで送ってこなかったが、グラスも作ったんだって?」

「あぁ。小さなガラスコップに、コンサートタイトルのロゴを彫ったものなんだけど、すぐに完売になったっけな。懐かしい……。僕の分は数年前に割っちゃったんだよね」

「割るなよ……」


 思わぬ結末にロッシャは笑みを浮かべる。と同時に、グッズを懐かしむラターリオを見てほんの少しだけ疑問がよぎる。

 こういったグッズは自分でも持っているようなものではないのか? かつてグラスを持っていたということは、他のグッズも持っていたかもしれないのに。

 まさか引退を機に、全部全部捨ててしまった?


「……本当に未練がないんだな」

「ん? 歌うことに関してかい?」


 ラターリオの問いに、ロッシャは頷く。先日、彼はロッシャに言った。歌う理由がなくなったと。その理由が何かは分からないが、二度と舞台に上がることはないという強い意思を感じたのだ。

 グッズを懐かしんでいる姿も、当時を思い返しているだけの反応で、舞台に対する未練は微塵もないことが分かる。


「まぁね。僕はもうおじさんだから。音楽の世界は若い人が進むべきだよ」

「……」

「というより、僕は引退してからあまり音楽に興味を持たなくてね。当時流行っていた歌も、外国の歌も聞かなかった。……本当は、僕の未発表の曲も墓場まで持っていくつもりだったんだけど、君を見つけてから考えを変えた」

「え?」


 驚きの話が連続した。音楽に興味を持たず、未発表の曲も本来は世に出すつもりはなかった?

 何故ロッシャと出会ったことで、考えが変わったのか。


「どういうことだ?」

「バーで君と出会った時、最初は別に興味を持っていなかったんだ。だが、マスターと事故の話やダンスの後悔を口にしているのを見て、少し興味を持った」


 あぁそうだ。当時のことを思い出す。バーに足を運んだロッシャは、真っ先にカウンターに座ってマスターと話をした。その時から既に、奥の席でラターリオは飲んでいたのだ。

 そして話している最中、彼に話しかけられた。


「自暴自棄になっているように見えて、飲んでいるお酒はレッドアイやシャンディガフなど度数の低いものばかりだし、一気に飲んだりしていなかった。無意識の内に悪酔いしないようにしてたんじゃないかなって」

「……そんなところまで見ていたのかよ」

「たまたまだよ。酒に逃げたくないほど、まだ舞台にしがみついていたい君の姿を見て、僕は思った。若い君はここで挫けてはいけない。君には舞台が必要なんじゃないかって。そこで、僕は自分の未発表曲のことを思い出し、君に授けようと決めたんだ」


 ラターリオの言葉に、ロッシャは言葉を失った。言われるまで気が付かなかった。そうか、確かに悪酔いしないように度数の高い酒を飲むことを避けていた。本来ならば好き好んで口にするのに。

 もう舞台に立てない。故郷に帰ろうなんて言ったけれど、ラターリオの手を掴んだ。やはり舞台に未練があったから。

 この街でまだ生きたいと思ったから。


「今まで数々の歌手の卵を見てきたけど、僕自ら舞台へ立たせてあげたいと思ったのは君だけだ。君にはそういう、引き寄せる力があるのだろうね」

「そ、そうか……?」

「あぁ、その力を最大限に引き出し、発揮することで君は一皮むけた立派な歌手になろう」


 と、ラターリオは立ち上がり、オーディオコンポの側まで歩いた。その上には一枚のCDケースが。

 彼の言葉に戸惑い、心が揺れ動いたままのロッシャは、黙ってそれを見つめていた。


「さてロッシャ。トレーニングを続けながら、徐々にこれを自分のものにしていこう」

「それは……」

「僕の未発表曲だ。とは言え、まだ曲の編集が入っていない、ピアノとギターを入れただけの簡易なものさ。歌詞もまだ仮のものだから、未発表曲というより未完成曲といったほうがいいか……」


 本当にあった。ラターリオの未発表曲。あのCDの中に全てが詰まっている。ロッシャの再起となる予定の曲。また舞台へ立つための曲。

 まだ決まっていないのに、舞台への道が開かれたような気がして、目の前の景色に光が射し込んだ。


「タイトルも決まっていないから、これも考えていかないと。仮で新曲Aとしようか。タイトルや歌詞は、一緒に決めていこう」

「え? 俺も決めていいのか?」

「勿論だ。これはもう君の歌だよ」


 自分の歌、と言われるとまだ実感が沸かないが、でもこれを自分が歌うのだなと改めて知る。舞台の上に立ち、多くの人の前でこの歌を……。

 ラターリオはCDを入れ、流した。ピアノとギターのみの簡易なメロディに、ラターリオの歌が入っている。今よりはずっと張りのある声だ。もしかしたら20年前に収録した声かもしれない。

 詞はあった。未完成といいながらも、しっかりとした詞が……。


「え?」 


 ロッシャは目を見張り、耳を疑った。ラターリオの声だ。曲調も今までの作品と同じような、流れる優しいメロディライン。

 いや違う。ロッシャが驚いたのは曲じゃない。声じゃない。

 詞だ。


「ラターリオ、これ歌ったのいつだ?」

「ん? 20年前だよ。引退を決めた一ヶ月前かな。あぁ、喫煙した今の声とは違うって?」

「そうじゃなくて……」


 最後まで言うことができなかった。彼の穏やかで優しい、涼やかな声が響き渡り、ロッシャにまとわりついた。

 これ以上言ってはいけないと、歌声に止められてしまったような。


「……」


 いい歌だ。とても綺麗な曲と、文学的な詞が紡がれている。それは一筋の光に向かって駆け出す、未来への歌。

 そう。

 悲恋ではなかった。


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