第7話

 アパートメントの前は広い道路になっていて、車やバイクの走行音がよく聞こえる。中には自転車のベルが何度も。きっとたくさん歩いている歩行者を通り抜けようと必死になっているのだろう。

 静かな昼下がり、ロッシャはずっとノートパソコンを開いていた。動画サイトにアクセスし、様々な動画に目を通している。

 そう、全てラターリオの。

 20年前の彼の公演を映したものやミュージックビデオ、中には一般ユーザーが適当な写真だけを見せつつ、ラターリオの歌を流すというものもあった。

 シングル曲だけでなく、アルバム曲やカップリング曲も。思った以上に発掘できたので驚きを隠せない。


「……綺麗な歌だ」


 率直に思った感想はそれだった。他の言葉が出てこなかった。

 当時20代のラターリオは中性的で端正な顔立ち故に、多くの女性を虜にした。王子様だと称し、アイドルのように見つめているファンも多かったらしい。

 まぁ、映像に写っている彼を見ると納得がいく。線の細い、絵画のような雰囲気を醸し出す男性にときめく女性は珍しくないから。

 だがロッシャは彼の容姿よりも、その歌に惹かれた。

 透き通った、清涼感のある声だが深みもあり、一つ一つのフレーズに力がこもっている。音域が広く、低い声も高い声も自在に操っていた。

 別れを悲しみ、憂い、時に前を向き……。歌によって表現は様々だ。そして全てにおいてラターリオは自分の色を失わない。

 自分もこうならねば。プロを目指すなら、生半可な歌い方ではいけない。改めてそう決意する。

 と同時に、ロッシャは思う。


「やっぱり悲恋が多いな」


 どの歌を聞いても悲恋ばかり。中には恋とは関係のない、友情や自分自身を歌ったようなものもあるが、大体それらの歌はアルバムに収録されているものだ。

 シングル曲はほぼ軒並み悲恋。全てラターリオが作詞作曲を手掛けていた。

 悲恋であるが綺麗だった。悲しい物語も、彼が手がければ芸術になる。幸せだと言えない切ない歌が、より心に沁み渡る。

 誰もが一度は経験したことがありそうな、儚い恋、叶わない恋。その光景を切り取ったかのように歌い上げている。

 そう、まるで見てきたかのような……。


「……」


 ロッシャは昨日を思い出す。最初のレッスンの後、コーヒーを飲みながら談笑をしていた時のこと。


「彼女とかは?」

「……いないよ」


 はっきりと否定するのではなく、何処か含みをもたせるような言い回しだった。そして深堀りしてはいけないと思って、これ以上聞くことができなかった。

 あの含みをもたせたような言い方と、彼が今まで歌ってきた歌。

 彼はきっと悲しい恋を体験し、それを歌に乗せているのだろう。確証はないがそう思えた。

 酷い別れ方をしてしまったのか、叶わなかった恋なのか、それとも……。

 いや、憶測を広げすぎるのは良くない。ラターリオにだって事情がある。それを安易に暴いていいわけではない。

 彼が自ら話してくれたら、耳を傾けよう。

 直後、ベルが鳴った。来訪者を告げるベルだ。ロッシャははっと顔を上げ、動画を一時停止にする。

 昼下がりに一体誰だ? エデュートはダンスの練習をしている筈だし、ラターリオはこの家を知らない。他の知り合いか、それとも……。

 玄関の戸を開けると、現れたのは宅配業者だった。大きなダンボールを抱えており、とても重たそうだ。

 受け取り、部屋の中へと運んだ。確かに重かったが、体に負担がかかる程度ではない。足にも支障はない。

 床に置いた後、届け先を見る。

 母親だ。


「……送るの早ぇな」


 先日、故郷に住んでいる母親に電話をした。ロッシャの足のことを心配しているようだったが、大丈夫だと返した。そして本題を口にする。

 持っているラターリオの音源を全て送ってくれと。

 母親にはラターリオに拾われて歌手として再起することになったことは話していない。大ファンだった彼女が知れば卒倒するだろうし、何より成功する可能性が低いことに挑戦するなんて、いい顔をしない筈だ。

 だから今は、下りた保険金でリハビリをしながら生活をしていると伝えている。あながち間違いではない。

 暇な時に動画を見て興味を持ったからだと言うと、「今まで私が流しても興味持たなかったのに?」と驚かれた。しかし興味を持ってくれたことが嬉しかったのか、すぐに送ると息巻いていた。

 優しい人だ。電話を終えたロッシャはそう思った。

 ロッシャの故郷は西部にあるエッセという長閑な街だった。主に農業が盛んで、オリーブが名産品だ。

 車がないと生活できないような街で父親は修理工として働き、母親はオリーブの加工工場でオリーブオイルを作っている。そして大学生になったばかりの弟が一人。彼はエッセを出て、別の街で暮らしていた。

 ダンスで一旗揚げようと決意したロッシャに反対することなく、背中を押してくれた両親だった。彼らには深く感謝している。事故を起こした時も、母親は仕事を放り投げて駆けつけてくれたな。

 そんな彼らだからこそ、これ以上心配はさせたくない。なんとかラターリオのもとで修行を積んで、一人前の歌手になるのだ。

 また、舞台に上がるのだ。


「……」


 ダンボールを開けたロッシャは、思わず目を丸くした。

 そして、小さな笑みが漏れた。


「……何送ってくるんだよ、あの人」


 ダンボールの中にはラターリオの音源が数枚。シングルもアルバムも丁寧に梱包されて入っていた。

 と同時に、Tシャツやタオル、リストバンドが複数。よく見ると全てラターリオ関連のものだ。

 まさかコンサートのグッズまで送ってくるとは。

 よほど息子がラターリオに興味を持ったことが嬉しかったらしい。

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