第4話

 クレアレーネは中央部から離れると住宅街になる。一般の人々も住んでいるが、芸術家の卵や、芸術で生計を立てている者達も多く住んでいた。中には著名な歌手や俳優も住んでおり、家々のセキュリティはとても強化されている。

 とは言え、やはり熱心なファンが自宅を特定して付き纏うなどのトラブルが耐えないため、最近では有名な歌手や俳優はクレアレーネで住むことをやめ、仕事の時だけ来るようになっているそうだ。

 ラターリオはクレアレーネの東部に住んでいた。街の中でも閑静なエリアの一つだ。そこは土地の価格が高く、芸術家の卵達では到底住めそうにないとされている。

 南部に住んでいたロッシャは、バイクに乗って目的地へと向かう。足を使うことがないバイクはロッシャにとって頼れる移動手段だ。この街に来てからずっと乗り回していたのだが、まさかこんな形で救われることになろうとは。

 クレアレーネは主に観光客が多く、道路はタクシーやバスでごった返している。中には堂々と道路の真ん中で自転車を走らせる者もいる。交通の治安はあまり良いとは言えず、頻繁にパトカーのサイレンが鳴っていた。

 道を走りながら、ロッシャは街の景色を見る。たくさんの人々が道を歩いていた。誰も彼も楽しそうだ。恐らくこの街の住人が半分、観光客が半分といったところか。世界中のあちこちから来ているので、人種も様々。数年ここに住んでいれば、誰が街の住民で誰が観光客かも分かるようになった。

 みんな、数々の劇場に足を運ぶのだろう。最近公演が始まったミュージカルでも見に来たか? あるミュージシャンのツアー公演か? それとも、複数のユニットが集まったダンスイベントか。

 あぁ、本当は今頃……。

 いや、やめておこう。もう過ぎたことなのだ。まだ上手に割り切れていないが、いつまでも燻っているわけにはいかない。

 足を止めるな。

 前を向け。

 信号が青になった瞬間、ロッシャはバイクを発進させた。これは未来へ続く道なのだと言い聞かせながら。


 ラターリオの家は、住宅街から少し外れた場所にある戸建ての家だった。いくつもの家々が立ち並ぶ中にぽつりとある。小さな庭がついた2階建て。

 少し小ぢんまりとしているが、随分と綺麗な建物だ。

 ここであっているか? とラターリオから先日届いたメッセージを確認する。あぁ間違いない。ご丁寧に家の写真を載せてくれている。間違いなくここだ。

 やはり一斉を風靡した歌手だけあって、引退しても金銭面で困ることはないのだろう。これだけ広い家ということは、他の家族もいる?

 色々思いながらもベルを鳴らした。すると数秒もしない内に玄関の戸が開く。


「やぁロッシャ。待っていたよ」


 初めて、陽の光に照らされたラターリオを見た。薄暗いバーで見た彼は、あまり健康的ではない気怠げな印象だったが、今はどうだ? あぁ、あまりバーの時と変わっていないような……。

 つまりあまり健康的ではない印象は、バーの照明のせいではなかったということか。

 門を開け、ロッシャは敷地内に足を踏み入れる。


「綺麗な家だな。他に家族がいるのか?」

「いや、いないよ。一人で住んでいるんだ」


 ラターリオの言葉に耳を疑った。一人で住んでいる? この家に? どう見たって部屋数が余りそうな気がするが。


「一時期ここをスタジオとして使用していたからね。このエリアは穏やかで治安もいいから、住む分には問題ない」

「ここで歌って、周りに響いたりしねえか?」

「防音の施工はしっかりしているとも。20年近くここに住んでいるが、特にトラブルは起きていないよ」


 なるほど、それなら大丈夫か。ロッシャは周辺を見渡す。家々はそこまで隣接しているわけではなく、少しだけ距離がある。

 集合住宅が建ち並んだエリアに住んでいるロッシャからすれば、新鮮な景色だった。


「俺の地元にちょっと似てるな。戸建の家ばっかりだったから……」

「そういえばロッシャは何処の出身だい?」

「エッセ。この国の西部にある田舎町だ」


 一面に畑が広がっている長閑な街の出だった。交通の便も悪く、車とバイクがなければ何処へも行けない。遊ぶところも少なかったが、それでも楽しい街だった。

 あの街に住んでいた頃、まだ学生だったロッシャは仲間と空き地を利用して踊りを楽しんでいた。ヒップホップからブレイクダンス、見様見真似でジャズダンスを踊ったりもした。そしてハウスダンスに惹かれ、その腕を伸ばし続けたのだ。


「16でクレアレーネに来て、ダンスを学びつつ学校にも通って……。まぁ、俺にとってダンスが全てだった」

「……」

「だけど、俺はあんたが示してくれた道に賭ける。多少は険しいだろうけどな」

「……君なら大丈夫だ、ロッシャ。僕は信じているよ」


 ラターリオは静かに口元を綻ばせる。穏やかなその目は、ロッシャを暖かく見守っているようにも見えた。

 あぁ、前を向こう。進もう。

 改めて決意する。


「では早速始めようか」


 ラターリオは扉を開けて、中に入るよう促す。半ば吸い込まれるような形で、ロッシャは家の中へと一歩進んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る