きみの物語になりたい

野森ちえこ

いつだって、そこにいる

 こんな話を知っているかな。

 遠いむかし、とある町に、絵がとても上手な少年がいたんだ。

 まわりの人たちも少年自身も、将来は絵描きになるのだと信じて疑わなかった。

 だけどある日、不幸なことに少年は事故で両目の視力を失ってしまったんだ。

 少年の心を埋めつくしたのは、絶望という言葉すら生ぬるく思えるような、深くてつめたい、黒々とした『なにか』だった。

 少年は混乱して、ふさいで、荒れた。

 最初は同情していたまわりの人たちも、ひとりふたりと少年から離れていった。

 そんなとき、ひとりの男が少年にいったんだ。

 おまえのことを小説にする――って。


 少年には年の離れた姉がいたのだけど、男はその姉の夫で、売れっ子の小説家だった。

 くさって荒れて、家族にあたり散らしている少年の姿を、そのまま書くと、人気作家である義兄は宣言したのだ。


 少年は最初、好きにしろと思った。どうでもいいと思った。どうせ自分には未来なんてないのだと、そう思っていた。

 けれど、そう思いながらふと頭に浮かんできたのは、外側から見た自分の姿だった。

 失ったものばかり数えて、不運を呪って、心配してくれる家族にやつあたりばかりしている自分。


 イヤだと思った。

 このままではきっと、義兄の小説を自分が台なしにしてしまう。

 少年は義兄が好きだった。

 義兄の紡ぐ物語も好きだった。

 なんだか少年は、急に自分が恥ずかしくなった。


 それから数年。

 男は約束どおり、少年をモデルにした小説を発表した。

 自分をとりもどした少年の、葛藤と自立の物語になった。

 

 ところでさ。


 男はなんで、少年をモデルにしようと思ったんだろうね?

 少年はなんで、急に自分を客観視できるようになったんだろうね?


 世界にはさ、物語に救われたんだっていう人が、ときどきいる。

 読んで救われたという人。

 書いて救われたという人。

 観て救われたという人。

 演じて救われたという人。

 そして、自分を物語にすることで救われたという人。


 誰かが誰かを想うとき。

 誰かがなにかを感じるとき。

 生きている誰かがいれば、いつだってそこには物語もある。

 ときに寄りそい、ときにそっと背中を押す、ささやかな物語の存在が。

 でも、それに気づく人間はそれほど多くない。


 ぼくらがいつから存在しているのか。

 どこで生まれたのか。

 それはぼくら自身にもわからない。

 ただ、救われた誰かの想いが。

 伝えたい誰かの願いが。

 いつしか集まって凝縮されて、やがてぼくらが生まれたんだ。


 ぼくらは物語そのもの。

 ぼくらはいつだって、どこにだっている。


 そうしてぼくらは気の向くまま、物語ぼくらを求めている人の心にタネをまくんだ。


 いたずら好きな仲間は、ひとつのタネを分散させて、いろんな人にばらまいている。

 どうなるかと思えば、人はそれをリレー小説にしたり、シェアードワールドにしたりしているんだ。やるもんだよね。


 ぼくかい?

 ぼくはまじめだからね。

 必要な人のところに、必要な物語が届くように、毎日せっせとタネをまいているよ。

 恋の物語を届けたはずなのに、なぜかスパイ小説になったりするのがおもしろいところだよね。

 え? ぼくが間違えたわけじゃないよ。ほんとだよ。

 まあ、おもしろければなんでもいいじゃない。

 それに、ほんとうに大切な想いを、ぼくらは間違えない。


 少年や男が生きていたのは、ずっとむかしのこと。

 彼らを知る人間はもういない。

 だけど彼らの物語は、ぼくらがいるかぎり未来に届く。

 姿を変えながら。

 カタチを変えながら。

 けっして変わらない想いを、ぼくらはつないでいく。


 さあ、タネをまこう。


 大丈夫だよ。

 きみの心に芽吹いたそれは、ぼくからのプレゼント。

 心配しないで受けとって。


 文章に。

 メロディーに。

 絵に。

 映像に。

 表現するもしないも、きみの自由だ。


 ぼくは。

 ぼくらはただ。

 きみの物語になりたいんだ。



     (おしまい)


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きみの物語になりたい 野森ちえこ @nono_chie

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