第107話

 強豪相手であるにもかかわらず、太陽の心には余裕が生まれていた。「この先にプロがいる」と思うと、それよりは楽だと感じられたからだった。

 相掛かりから、太陽が盛り上がり、相手が受ける形になった。ゆっくりと、駒を前進させていく。

 「つくり」はいい。ただ、リスクが大きい形だった。間違えの代償が大きくなる。

 後ろに、金本の気配を感じた。初めて、自分が対局している姿を見てもらえる。太陽は「試験を受けている」ような気がした。

 見たことのない形になった。どれだけ部員と練習しても、ネットで対局しても、それでも本番の大会では全く新しいものに遭遇する。

 次は、初手4八金の人らしい。世間は広い。

 太陽は、笑っていた。

 あれから、何年たつだろうか。金本が家に来て、太陽の人生は変わった。将棋が、生活の中心になった。将棋で中学校に入り、高校にも入った。

 プロになる道は選べなかった。けれども将棋は、太陽に様々なものを与えてくれた。

 喜びをかみしめながら、太陽は駒を更に前へと進めた。

 ゆっくりと、その場から去っていく人がいた。金本だった。

 目には涙が浮かんでいた。

 自分の娘と同様、途中から育てることができなくなってしまった。ずっと、気になっていた。三東のように、どこまでも支えてくれる存在がいたわけではない。それでも百合草が、辻村が、そしてその他の様々な大人が助けてくれたのだろう。

 全国大会で決勝トーナメントに残り、ついにはベスト16には入ろうとしている。「本当に良かった」と思った。

 許心もとみの仕事を手伝うようになって、将棋を指す機会が増えた。時折、許心に将棋を教わることもあった。「さすがつっこちゃんのお父さん、筋がいいですね」と言われた。

 そんな中で太陽の活躍を知り、心の中でうごめくものがあった。太陽は、すでにおそらく自分を越えている。それでも、「先生」として再会したい。娘に会えない人生を歩む彼にとって、後ろめたさの上乗せをしたくはなかったのである。

 仕事の合間、使える時間をすべて将棋に使ってきた。最新の将棋も調べて、何度も並べた。将棋基地に強豪が来た時には、積極的に対局を申し込んだ。時には辻村名人にも教わった。

 そして、ついに東京都の代表になることができた。人生で初めてつかんだ栄光だった。

 その大会に、太陽も代表としてやってきた。それだけですでに泣きそうだった。自らは一勝し、太陽は決勝トーナメントに進んだ。

 金本は、「救われた」と思った。自分も太陽も、将棋で幸せになっている。

 金本が戻ってくると、対局は終わっていた。太陽が、勝利していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る