第104話

 ビジネスホテルの部屋で、太陽はじっと座っていた。

 子供のころから、旅行に連れて行ってもらうことなどほとんどなかった。全国大会で二回、ホテルに泊まる経験をした。そして今回、初めて一人での宿泊だった。

 自分の稼いだお金で、自分の予約した部屋に泊まる。一気に、大人になった気がした。

 新幹線に乗って、一気に東京まで来ることができた。意外と、どこでも行ける気がした。

 窓の外を見ると、多くの建物が見えた。どこまでも続いているように見えた。



 竜神戦、全国大会会場。太陽の最初の感想は「みんな大きい」だった。今回は中学生が一人いるということで、太陽は最年少ではなかった。ただ、ほとんどは大人で、しかも見るからに強そうな顔をしていた。

 その中に一人、「そうでもない」年配の男性がいた。椅子に座って、天井を見上げていた。太陽は、目を細めてその姿を確認した。何度見ても、結果は同じだった。それは、知っている人だった。

 その可能性は、全く考えていなかった。なぜなら、代表になれるほど強いと思っていなかったから。太陽は、先ほどもらったパンフレットを確認した。確かに、東京都代表のところにその名前があった。

「金本先生」

 太陽が声をかけると、金本はゆっくりと首を曲げた。

「おお、太陽。久しぶりだな」

「会えるとは思いませんでした」

「会えるように、頑張ったんだ。太陽が活躍してるのは知ってたからね。この年でも、強くなれるもんだ」

 自称アマ六段。実際には四段ぐらいだと太陽は思っていた。どれほど努力したのだろうか。

「おっ、纐纈君」

「殿田さん」

「えっ、殿田さん?」

 殿田が太陽を見つけて近寄ってくると、金本は目を丸くした。

「何を驚いてるの」

「知り合いなのか?」

「うん。最近愛知に引っ越してきたんだよ」

「そうなのか。いい目標ができたじゃないか」

「うん」

 太陽は、ふわふわとした気持ちになっていた。百合草、辻村、五舛出。お世話になった人はたくさんいる。しかし彼のなかで「師匠」と呼べるのは金本だけだ。そして金本とは、ずっと会えないと思っていた。

 突然幽霊が現れたみたいだ、と太陽は思っていた。

「纐纈君のお知合いですか」

「まあ、はい。実は昔会社の寮で同居していて」

「へー。お名前は?」

「金本と言います」

「金本……え、まさか、金本八段のお父様?」

「いやあ、なんかすぐばれるんですよね。似てますかね」

「どことなく……纐纈君と金本八段のお父さんが同居していたなんて。将棋を教えたんですか?」

「ええ、まあ」

「いい話ですね。全国大会で再会できるなんて」

「本当にそう思います」

 初めて会った二人が穏やかに話しているのを見ながら、太陽は「幸せってこういうことなのかもしれない」と思っていた。将棋をしていなければ出会わなかった人たちが、将棋によってつながっている。

「では、対局できるのを楽しみにしています。纐纈君も頑張ってね」

「はい。ありがとうございます」

 殿田が去っていった途端、太陽は後頭部に刺されるような痛みを感じた。恐る恐るあたりを見回すと、皆が太陽と金本を見ていた。

 殿田がわざわざ話しかけに行く相手は、警戒の対象になるのである。「ここは戦場でもあるんだ」と太陽は実感した。

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