第98話
太陽は、対面した瞬間に不思議なものを感じた。殿田と対局するのは初めてなのに、懐かしいと思ったのである。
何度も見たことのあるような表情。何が思い出させるのか、太陽には分らなかった。
多くの人々に取り囲まれている。父親の会社の寮で、たまたま同居していた人と始めた将棋。ちょっとしたきっかけで始まった旅は、ついにトップアマと全国大会出場権を争う一戦までたどり着いた。
まだ、疲れていない。太陽は右手を開いたり閉じたりしながら、確かめた。
前回は、照本に勝った後に力尽きてしまった。今回は、まだ全然余裕だ、と太陽は自分に言い聞かせた。
対局が始まる。殿田の先手だった。始まってすぐ、殿田の手が太陽の方へと伸びてきて、角をつかんだ。殿田の方が、角換わり振り飛車を採用したのである。
ここまで、太陽には殿田の将棋を観る余裕はなかった。どんな将棋を指すのか、全く知らないままだったのである。そして、自らが使おうと思っていた戦法を相手にやられた。
もちろん、勉強してきたからにはその戦法の対策も頭の中には入っていた。
時折、背筋がぞくっとするような感覚があった。左手で、強くタオルを握る。殿田は盤面をにらみつけていたが、瞬きをすると視線をあげた。太陽と目が合う。
ああ、毎朝見る。太陽は気が付いた。殿田に対して感じた既視感は、「鏡」だった。殿田の表情は、自分に似ていたのだ。そしておそらく、父親にも。
はらり、とタオルが膝から滑り落ちた。
「失礼します」
太陽は席をはずして、タオルを拾った。その時、殿田の足元が見えた。左手が強く、ズボンを握っていたのである。
局面は、想定通りに進んでいた。研究していた形になっている。そして、太陽には何となく殿田の指す手が分かった。「好みが似ている」と感じたのである。
二人のリズムはぴったりと合って、消費時間もほぼ同じで駒組みが進んだ。
もうすぐ、駒がぶつかる。
太陽は、鼓動の高鳴りを感じていた。ここまで、殿田は自分を驚かせていない。トップアマが、どんな凄い手を見せてくれるのか、それを期待していた。勝負に負けたくはない。ただ、一瞬でも「読み負けたい」と思ったのである。
殿田は、端歩を突き捨てた。玉側の端で、すぐには攻めになるわけではなく、普通あり得ない手だった。とはいえ取るしかなかった。太陽は、取ってから意味を考えた。角を打って、香車を釣り上げて、切る。そういう狙いだと思った。
対応できる。太陽は強気に、相手の手に対処していった。予想通り、相手は角を打ってきた。左手に力が入る。太陽は、飛車の下に歩を打った。必ず大駒と交換になる手。どよめきが起こった。殿田も目を見開いていた。
殿田は、香車を走った。一歩を手に入れる手。「予定変更だろう」太陽は思った。
主導権を握っている。太陽は、勝利に近づいているのを確信した。
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