第95話

 空気が固まっているようだった。

 照本のいない大会。多くの強豪が、チャンスと思って参加していた。そこに現れた殿田。多くの期待が、一気に失望へとしぼんでいった。

「殿田さんは『狙撃手』と呼ばれている」

「ソゲキシュ?」

「互角と思っていた局面から、突然仕留めてくるんだ。『最もAIに近いアマ』ってのも聞いたことあるぜ」

「褒め言葉なのかなあ、それ」

 予選の組み合わせ抽選が始まった。太陽の心は揺れていた。代表になるという目標のためには、殿田とはできるだけ当たらない方がよさそうだ。誰かが勝ってくれたら、ずいぶんと楽になるだろう。ただ、話を聞く限りそれはあまり期待できなさそうでもあった。どこかで、勝たなければならない。それならば、早く当たる方がいいのではないか。

 くじは、受付順にひく。太陽は、13番。Dグループになった。殿田は、最後から二番目。そして、14番がまだ空いていた。

 二分の一で、初戦で当たる。

 今までにないぐらい、鼓動が速くなった。殿田が、くじを手にしたとき、太陽は思った。「来い!」

 殿田のくじは、2番。Aグループだった。



「殿田君が来ているのか」

「はい、びっくりしました」

 百合草は、会場に入るなりAブロックへと向かった。そしてまぎれもなくその人であることを確認すると、指導対局の準備をする良知のところへとやってきた。

「こんなところで会えるのか」

「え、なんか因縁とかあるんですか」

「あるもないも。子供の頃には全く勝てなかった」

「そうなんですか。殿田さん、何でプロにならなかったんですか?」

「……最近の子は知らないか。いろいろとね、あったんだよ」

 百合草は視線を落とした。良知は、続きを聞いていいのかわからずにいた。

「あの……」

「殿田君にどれぐらい立ち向かえるか、楽しみだね」

「それは、纐纈が?」

「そう。照本さんに勝ったんだろ? いよいよ化け始めた」

 良知は、怖いと思った。プロ棋士は、そういうところを見ているのか、と。「いよいよ」が、最も怖かった。

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