第94話

「たぶん、照本さんは鳴英戦に出ない」

 良知は言った。

「なんで?」

「仕事が忙しいから。予選に出れば勝つことが多いし、本選でも勝ち残るから、仕事を休まなきゃならない。だから、出場をセーブしてる」

「そうなんだ」

 太陽は、少し照本に親近感を覚えた。太陽もまた、多くの大会の出場を断念していた。金銭的な、という別の問題のためではあったが。

 どうしても照本を倒したい、という気持ちは太陽にはなかった。むしろ、できるだけライバルは少ない方がいい。とにかく全国大会に行って、実績を残したい、というのが彼の願いだった。

「それにしても、お前すごいな」

「何が?」

「照本さんに勝ったのも驚いたけど、本当に優勝候補になってる」

「候補かどうかは知らないけど、本当に狙ってるよ」

 太陽は過去のことを調べて、かつて小学生で県代表になった者もいることを知った。中学生や高校生となると、結構な数がいた。決して、夢のような目標ではなかった。

「まったく、たいしたもんだよ」

「そういえばさ、なんで良知君はここにいるわけ?」

 大会会場には、すでに多くの人々がいた。奨励会員である良知には、参加資格がない。

「この後百合草先生も来るよ。負けた人向けに指導対局するんだ」

「指導対局? 良知君も?」

「悪いかよ。纐纈もしてやるぜ」

「遠慮しとこうかなあ」

 この大会には級位者向けのB・C級戦も準備されている。皆ができるだけ楽しめるように、敗者トーナメントや指導対局が行われるのである。

「ま、お前は勝ちあがるつもりだろうからな」

「もちろん」

 ざわざわと、会場がどよめいた。太陽は百合草がやってきたのかと思ったが、それにしては人々が驚きすぎているように思った。会場の入り口付近に、長身の男が立っていた。髪はオールバックに固められ、縁のない眼鏡をかけていた。

「……まじか」

 良知の表情が固まっていた。多くの人々が同じ顔をしていた。

「何かあったの」

「纐纈お前……そうか、知らないのか。あの人は殿田宗伍。トップアマ中のトップアマだ」

「名前は見たことある」

「神奈川から引っ越したとは聞いていたけど……ここだったのか」

 殿田はゆっくりと進んでいき、一番前の席に腰かけた。背筋がピシッと伸びている。

「強そう」

「な。運が悪かったな。今日は無理だ」

「えっ」

「殿田さんが負けるのを想像できない。正直、並のプロより強い」

「そんなに?」

「なぜプロにならなかったのか、ずっと謎って言われてるんだぜ」

 「つまり、あの人に勝てばプロに勝てるかもしれないってことかな?」太陽は、その思いは口に出さなかった。


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