第93話
七年半。月子が一人で戦ってきた期間である。
女性初のプロ棋士。四段昇段当時は大変な騒ぎだった。新人王にもなり、「女性初のタイトル挑戦」「女性初のタイトルホルダー」も期待された。
借金を返すためにプロになった月子にとって、注目されることにはずっと困惑していた。三東や辻村が盾となって、彼女の代わりにいろいろなインタビューを受けてくれた。
気が付くと、後輩も増えていた。だんだんと、若手を卒業する時が近づいている。
借金は返済できたらしい。もう、自分のために生きていい。
そして月子は、「学校に行きたい」と思った。若手棋士の中で、中卒なのは月子だけだった。様々なことを勉強していない。様々なことを経験していない。今からでも、取り返したい。
目標があれば、力が出る。A級八段になることができた。
そして目標がないと、力が出ない。A級では、全く戦えていないという実感があった。
帰りのタクシーから、ずっと夜空を見ていた。東京でも、しっかりと暗かった。
太陽は、ベランダに出て夜空を見ていた。
以前は、よくしていたことだった。空は、いつも姿を変える。雲が流れているときの方が、好きだった。
明日は、鳴英戦の予選である。中学生で参加する最後の大会だ。
団体戦では結果を残した。これで、高校でも特技優待生にはなれるはずだった。そして、成績が上がれば特別奨学生も見えてくる。それがかなわなければ、おそらく高校生を続けることはできない。
明日は、たったひと時の「ぜいたく」なのだ。アマでトップに立つという目標のため。もっと根本的に、将棋を楽しみたいという願いのため。
家の中から、嗚咽の声が聞こえてきた。そのうち聞こえなくなって、母親も眠ることだろう。また、赤い缶を片付けなければならない。
真ん丸に近い月が出ていた。どちらかというと、太陽は三日月の方が好きだった。満月は、寂しそうに見えるのだ。周りには、同じような星はない。だんだんと、星たちとの時間もずれていく。いつか新月になって、忘れ去られてしまうのではないかと、おびえているように感じた。
「太陽は、世界中の人が好きなもんだからな!」
まだ家族が幸せだったころ、父親は笑顔でそう言った。男の子が生まれたら、絶対に付けたい名前だったらしい。
太陽は自分の名前が嫌いではなかったが、荷が重いと感じることも多かった。もし、太陽ではなく月だったら。そんなことも考えた。だから、何となく月のことが気になってしまうのだった。
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