第57話

 金本の瞳に、将棋を楽しむ人たちの姿が映っていた。

 いつ以来だろうか、と考えた。まだ子供が小さいころ。道場に行くと多くの人がいた。その中に、後にプロになる三東もいた。

 道場では、ほとんど負けたことがなかった。子供の頃に「兄ちゃん、六段あるな!」と周りから言われて、それ以来段位を聞かれたら「六段かな」と答えてきた。

 それでも、プロになるとか、全国で活躍するとかは望まなかった。無理だとわかっていたのだ。道場の中で、輝き続けたかった。

 三東に出会った時、少したじろいだ。いずれ金本より強くなるのは明白だった。そして娘の月子の成長には、もっと驚いた。三東とは比べ物にならないきらめきがあった。

 借金に追われ、将棋どころではなくなった。月子は半ば家から追い出したようなもので、合わせる顔がなかった。金本は、将棋とは縁が切れたと考えていた。

「元気にしてるかね」

 対局者の中に少年がいるのを見て、金本はつぶやいた。



「ありがとうございます。助かりました」

 土曜の会が終わり、許心と金本はカウンター席に腰かけてお茶を飲んでいた。

「いえ、たいしたことは」

「なんか、不思議な感じがしました。月子さんのお父さんが将棋指しているのを見るなんて」

「ははは、お恥ずかしい」

「教えるの、上手でしたよ」

「それはよかった」

 許心は、心底ほっとしていた。とんでもない駄目人間かもしれないと思っていたのである。

「どうでしたか、ここ」

「いいね。僕の時代は、こんなおしゃれなところはなかった。みんな楽しそうだった」

「楽しんでる人、増えてます。強くなりたいばかりじゃないですし」

「それがいいね。でも、強くなりたい子も助けてやりたいね」

 扉が開いて、店内に男性が入ってきた。優雅な足取りだった。

「間に合ったかな?」

「教室には間に合ってないけど」

「あ、金本さんには間に合った。初めまして、辻村充です」

「え、はい、始めまして。……名人?」

「はい。名人預かってます」

 振り向いたままの格好で、しばらく金本は固まっていた。

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