第58話

 辻村名人。棋界のトップに立つ人であり、生涯勝率七割を越える実力者である。そして、独特なファッションでも話題を呼んでいて、今日もボタンがいくつも輝くジャケットを着ていた。

「いや、名人に会えるなんて……」

 金本は、プロ棋士には数えるほどしか会ったことがなかった。それが、突然名人が現れたので目が泳いでいた。

「こちらこそ、月子さんのお父様に会えるなんて。いやあ、うれしいです」

 充は長い前髪を、くるくると指で巻いている。その様子を、あきれたような眼で見ている許心もとみ

「とりあえず座ったら?」

「ああ、失礼。紅茶とかある?」

「ある。ちょっと待って」

 若い二人の様子を見て、そういえば夫婦なのだった、と金本は思い出した。人気若手棋士が姉弟子と結婚ということで、将棋界では大きなニュースとなった。

「月子さん……実は普段つっこちゃんて呼んでるんですが……本当に、頑張ってますよ」

「恐れ入ります。内気な子なんで、ちゃんとやっていけるか心配しているんだけど」

「盤の前に座ったら、全然問題ないです。そのうち、もっと上で活躍すると思います」

「そうだと嬉しいねえ」

「ところで、金本さん、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」

「なにかな」

「子供大会で優勝した子を指導していたって、本当ですか?」

 金本は、眉間にしわを寄せた後、少しだけ口を開いて、閉じた。そして、もう一度開けた。

「纐纈太陽なら、確かに」

「ちょうど僕が出た大会だったので。強かったですよ」

「……そうですか」

「見なかったんですね」

「もう、こっちに来てたから」

「連絡は」

「とってない」

「……どう思いました? プロになれるかどうかとか」

 なぜ名人がここまで興味を持つのだろう、と金本は思った。太陽は強かった。けれども、あれぐらいの子供ならば全国には何人もいるのではないか。

「正直……月子よりは才能はないかと」

「それは、まあ、ねえ」

 充と許心は、顔を見合わせて笑った。

「中学を出てから奨励会に入って、19歳で四段。月子さんは、かなりの天才ですよ」

「はあ」

「まあでも、それを見てしまっていたら、物足りなく感じるのかもしれませんねえ」

 その月子よりも天才であるはずの充の横顔は、まぶしいほどに輝いていた。金本は、少し居心地が悪くなり始めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る