百合草八段

第16話

 B級1組最終戦。百合草八段対桟原さじきはら七段の対局は、佳境を迎えていた。お互いの玉が中段で向かい合い、守りはほとんどない。手番は後手、桟原七段。詰ますか、自玉を安全にすれば勝ち。しかし、時間がない。何度も歯を食いしばった後、桟原は金を捨てた。詰ましに行ったのである。

 一見簡単に詰みそうだったが、逆王手の筋があり一筋縄ではいかなかった。控室では唯一の正解が発見されていたが、桟原は見つけることができなかった。

 詰ましきれず、百合草の勝ち。成績は、6勝6敗となった。負けた桟原は、8勝4敗。A級昇級は、ならなかった。

「鬼で終わりか、鬼ヶ島」

 百合草は、ぽつりとつぶやいた。



 百合草募八段、39歳。棋戦準優勝8回。タイトル戦挑戦者決定性進出5回。生涯勝率は六割を越えている。B級1組在籍は12期目。

 誰もが認める強豪でありながら、彼が得たのは「無冠の帝王」という称号のみだった。そして30半ばになって、準優勝や挑戦者決定戦からも縁遠くなった。あきらめたわけではない。そうではないのだが、彼は東京を離れ、地元に戻る決意をした。

 対局の度に、遠征をしている。最初は疲れたが、最近は慣れてきて、むしろ気分転換になっている。深夜、ホテルに戻ってきた百合草は、まずビールの缶を開けた。家では飲酒は日曜のみ許されているが、家ではないのでノーカンである。

 スマホを手にして、電源を点ける。家族からの連絡と、三東六段からのメールが入っていた。百合草と三東はめったに対局することもなく、研究会をしているわけでもない。ただ、普及活動のことなどで情報交換する機会が多かった。

「ん、ほう」

 ただ、今日の内容はいつもと違った。先日の小学生の大会で、三東の弟子である金本月子七段が、気になる子供がいたという話だった。古風な将棋を指すその子は地域的に百合草の弟子ではないか、と師弟は思っているらしい。

「残念ながらね、違うんだよね。まあ、一回だけ指導したけど」

 纐纈少年のことを、思い出す。偶然にも、娘の鈴里と同級生らしい。教室に来ればどんどん強くなるはずだったが、いまのところ訪れてはいなかった。

「そろそろ、弟子に夢を託す頃かもしれない」

 百合草は、二本目のビールを開けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る