金本七段

第11話

 B級2組順位戦、9回戦。金本月子七段は、相手玉を追い詰めていた。ツインテールが、前後に揺れている。

 ここまで6勝2敗。4番手につけていた。昇級者は3名だが、次の最終局が直接対決になるため、自力で上がれる立場だった。

 初めて女性として三段リーグを抜け、プロの四段となった月子。しばらくは将棋界の話題の中心にいた。しかし、何年か経つと女性がいるのは「当り前」として受け入れられることになる。月子は新人王となったものの、その他の棋戦では優勝や挑戦などには至らなかった。そして昨年、B級1組から一期で降級。若手有望株の中に留まれるか、ぎりぎりのところにいた。

 今期も抜群に調子がいいわけではないが、それでも昇級が見える位置である。「一期で戻れば、今度は勢いに乗ってA級まで行けるんじゃないかな」と言ったのは、師匠の三東六段である。

 順位戦のクラスが変われば、収入も変わる。月子は、常にその点を気にしていた。

 午後10時5分、相手が投了した。月子は、4番手をキープした。



「叔父さんとお金の話をするなんて久々ですね」

 そう言ってにやりと笑ったのは、金本稔。金本貴浩の兄の息子、つまり甥である。そして金本の勤める会社の社長でもあった。

「どうしても……どうしても今手元に欲しくて」

「何に使うのか聞かないと、さすがにはいとは言えませんね」

「子供が……纐纈の息子が将棋が強くて。教室に通わせてやりたいんだ」

「他人の子供のために」

「変なこと言ってるのはわかってる」

「……白状します。渡すお金は、あります」

 稔は、右手で後頭部をさすった。

「え、それはどういうことで」

「もう少し黙ってようと思ったんですが。実はおじさん、借金返し終わってたんですよ」

「えっ」

「月子ちゃんが、毎月送ってくれてました」

「月子が……」

「でも、返し終わってすぐにそれ言ったら、無一文でしょ? それで放り出すわけにいかなかった。次の仕事探すためにも資金が必要だから、ある程度溜まってから渡そうと思って。だましていてごめんなさい」

「そんな、そんな頭を下げないでくれ。確かに、そうだ。俺は気が緩むとだめになるから」

 金本は、うれしいような困ったような表情をしていた。

「それを知っているから、まとめてはお渡しできません。しばらく必要な分だけ渡します」

「ありがとう。本当に」

「いえいえ。最初は心配だったけど、よく返し終わりました。もちろん、月子ちゃんの助けもあったけれど。おじさんがいついなくなるかって、父さんびくびくしてましたよ」

「ははは、申し訳ない……」

「でも、約束は約束です。ずっと雇うことはできません。あと……三か月したら、契約終了です」

 金本は唇をかんで、何回か頷いた。借金を肩代わりしてもらい、返済するまで働かせてもらう。それは雇われた時からの約束だった。

「わかってる。とても世話になった」

 稔は金庫からお金を出し、封筒に入れた。

「飲みに行っちゃだめですよ」

「ああ。当然だ」

 金本は、かれこれ七年は一滴も酒を飲んでいない。稔も、それはよく知っていた。

「将棋があって、よかったですね」

「ああ……ほんとうに」

 直角以上に頭を下げながら、金本は封筒を受け取った。

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