第7話

 帰ってくると、家は静まり返っていた。金本の靴はあった。眠っているのだろう。

 太陽はランドセルをテーブルの下に置いた。彼には部屋がない。居場所は、居間である。

 幼いころは、父が嫌いだった。優しくされることがなかったし、いつも酔っぱらっていた。けれども、もっといやな父が現れて、太陽は考えを変えた。「父さんは元気で留守がいい」

 学校も、楽しいわけではなかった。それでも、行かないよりは行く方が良かった。昼間、家に一人でいると気分が落ち込んだ。父がいて、だらしない姿を見せているときはもっと落ち込んだ。学校は、他人だらけなのだ。

 今は、独りではない。金本はきっと、立派な大人ではないのだろうと、太陽は気が付いていた。この寮には、そういう人たちがたくさんいる。だから、理想の大人にしてはいけない。少年の心の中で、ストッパーがかかっていた。けれども、理想の他人ではある。

 テーブルの上に、漢字のドリルを出した。太陽はすることがなさ過ぎて、宿題を早くに済ませる立派な子供となっていた。



 合唱ではピアノを演奏。習字では入賞。

 百合草鈴里は、「できる子」だった。

 あちら側の中でもかなり上の方。太陽の彼女に対する評価は、そのようになっていた。

 「ゆりちゃん」「すず」などの普通のあだ名に紛れて、「百合草嬢」と呼ぶ人もいた。高級マンションの、最上階に近いところに住んでいるらしい。幼いころからいくつもの習い事をしていた。長期休暇には海外旅行。全ての話が、完ぺきだった。

 「500円ぐらい、なんてことはなかったのだ」太陽はそう思った。百合草家は、自分のところとは全く違う。お金の価値だって違う。

 それでも、あの日参加できたのは、間違いなく百合草のおかげなのだ。太陽は鈴里のことを見るたびに、ある一点においてとてもうらやましく思った。

 ちゃんとした、父親がいるということに。

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