第5話

 金本は、一枚の写真を見つめていた。新聞の切り抜きで、今から何年も前のものだった。

 「将棋界初の女性棋士誕生」という記事。ツインテールの女性が、控えめに笑っていた。

 金本月子。金本貴浩の娘である。

 15歳の時に、彼女は家を出た。プロ棋士の弟子になるためである。当時借金でどうにもならなくなっていた金本は、娘がいなくなって幸運とすら思った。食費も学費もかからなくなったのだから。

 そんな娘が、史上初の偉業を成し遂げた。驚いたとともに、胸が締め付けられた。

 中学生の頃の月子は学校にも行けず、物音を立てないように布団の中で将棋の本を読んでいた。家を出るころには、金本よりも強くなっていた。そこからプロになる道のりの中で、彼は娘に何もしてやれなかった。

 妻と離婚をして、独りきりになった。光の薄い生活。

 そんな日々に訪れた、突然の明るさ。久々に子供のいる生活。初めての男の子のいる生活。

 金本は月子の写真に一礼してから、笑った。



 朝、珍しく纐纈がテーブルの前に座っていた。

「金本さん、すまんねえ」

「どうしたの」

「太陽のやつがさ、無理やり将棋教えてくれって頼んだんだろ。金本さんにとっちゃよわっちくて相手にもならんだろうに」

「いやいや、なかなかいい腕してるよ」

 眉をしかめてから、纐纈は水を飲んだ。髪はぼさぼさで、目の下にクマがある。

「まあ、あんなガキだけど俺の子供だからね。いいところがあるならうれしいね」

「今日は?」

「九時に事務所。あー、やってらんないね」

 もう一口水を飲むと、纐纈は立ち上がって洗面所に向かった。入れ替わりに、太陽がやってくる。

「今日もにおった」

 鼻をつまみながら、手を振る太陽。金本は小さく噴き出した。

「シラフの時をあんまり見たことないもんなあ」

「でも、あいつよりはましだよ」

「そうか」

 金本は、自分からは尋ねない。「あいつ」が誰かも予想がついていた。

 太陽は冷蔵庫から牛乳パックを取り出し、コップに注ぐ。

「今日は?」

「夕方まで休み。その後夜勤」

「あとでちょっと教えてもらえる?」

「いいぞ」

「やった」

 こぶしを握る太陽。少し眩しくて、金本は目を細めた。


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