第4話

 金本と太陽の父は、普段ほとんど会話を交わさなかった。仲が良くてルームシェアをしているわけではない。彼らが住んでいる建物は、元々家族向けのマンションだったものを会社が買い取り、そのまま社員寮にしていた。家族で住んでいる部屋もあったが、ほとんどは二人以上が一つの部屋に暮らしていた。

 金本は長くここに住んでいて、多くの同居人が入れ替わってきた。「気を遣わない」ことには慣れていたのである。

 金本は、耐えるべき理由があった。最初の数年はふらふらと迷ってしまうこともあったが、最近はまっすぐに、つつましく生きていた。

 彩りは全くなかった。働いて、帰ってきて、新聞を読んで、眠って。将棋以外に趣味もないし、趣味に使えるお金もなかった。

 寂しいと思うこともある。しかし、金本は「罰」なのだと思っていた。借金を返せなかった。家族を捨てた。娘の師匠に、感謝の意を伝えられなかった。

 独りで死んでいく。金本には、その覚悟があった。

 そんな彼のもとに、突如として少年は現れた。将棋しか取り柄がないと思っている男の前に、将棋好きの少年が現れたのである。



「先生、ちょっとここ教えてほしいんだけど」

 金本は太陽の目をじっと見た。

「今の、俺のことか?」

「そうだよ。将棋の先生でしょ」

「先生か」

 金本は、人生で初めて先生と呼ばれた。嬉しさで左手が震えるので、テーブルの下に隠した。

「今までどれぐらい教えてきたの」

「娘だけだ。いや、道場でアドバイスあげた子もいたかな?」

「娘って、名前は月子?」

「ああ。知ってるのか」

「名前しか知らない」

「そうか」

 金本は少し、目を細めた。娘の姿は、瞼の裏にあった。

「僕は、先生の二人目の生徒?」

「そうなるかな」

「そうなるんだ」

 太陽は、首を振りながら笑っていた。

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