面白い物語を聞かせて

憂杞

面白い物語を聞かせて

『お兄ちゃんへ


 こんばんは。いつもお仕事おつかれさまです。

 とつ然ですが、明日から一か月も小学校が

 お休みになっちゃいました。

 このままだと退くつで死にそうです!

 そこでお願いがあります。

 わたしに面白い物語を聞かせてください。

 お返事はいつものメールで大じょう夫です。

 よろしくお願いします!

                  早也伽』




 夜の駅で帰りの電車を待ちながら、俺はスマホに届いたばかりのメールを見て首を捻っていた。差出人は今年で十二歳になる妹で間違いない。


「どうしたんだあいつ? やけに改まって……」


 本文を一旦閉じて、受信箱を表示する。かれこれ半年以上のやり取りになるだろうか、二日おきに受信した妹からのメールがぎっしり溜まっている。

 幾つか開いて見ると、学校でのこと、友達や家のことをつづっただけの、取り留めのない身辺報告ばかり。やっぱり、今日届いた一通を奇妙に思うのは自然なことだ。


『わたしに面白い物語を聞かせてください。』

 視線がこの一文に釘付けになる。

 危うく電車に乗り遅れるところだった。


 今日はやや遅めの帰りになったからか、幸い駅も車内もあまり混んでない。開くドアを往来する人達も、その場に留まる人達も、全員がマスクで顔の下半分を覆っている。

 俺は吊り革に掴まってからスマホを取り出し、LIMEを起動して母にメッセージを送る。


さやか早也伽から変なメール来たけど、あれどういう意味?』


 国内で感染症の流行が深刻化して、上京して一人暮らし中の俺が帰省を遠慮して以来、妹は俺と毎日交互にメールを送り合うようになった。

 毎晩八時に、まだスマホを持っていない妹は、いつも実家のパソコンを借りてメールを送ってきている。あの過保護な親のことだ、送信直前にはアドレスや本文を事細かに確認していることだろう。


『お兄ちゃんへの頼み事でしょ。聞いてあげなさい』


 母からの返事は素っ気なかった。

 そう言われたってどうすればいいのだか。

 俺は電車から降りて改札を抜け、夜道を通ってアパートの一室に帰宅する。並び立つ街灯の光がやたら眩しかった。


 ひとまず冷静になるために風呂と着替えを済ませてから、ベッドに寝転がって受け取ったメールを再び睨む。

『わたしに面白い物語を聞かせてください。』

 なぜいきなりこんな頼みを寄越したのだろうか。退屈で死にそうだから?

 それだけが理由なら、俺が書く物語じゃなくてもいいだろうに。


 今までのメールのやり取りから、妹が暇潰しに事欠かないことは知っている。ハマっている漫画や小説だって何十作も聞いてきた。最近では人気ゲーム『あつまれ、こうぶつの洞』で友達と遊んでいることも聞いた。

 それなのに俺に物語を望む理由が分からない。ただの雑談ばかりで飽きてしまったのか。

 しかも『面白い』以外の具体的なリクエストが何もない。ジャンルの指定もないし、いつ、何日何時何分までにシナリオを送ればいいかも分からない。


 もしかしてあいつは、いつも俺が返信する明日以内に書けと言っているのか?

 身内とはいえ買い被りすぎだ。思わず溜め息まじりにぼやいてしまう。


「物語を作るのも楽じゃないんだぞ……」


 その時、ふと思い出したことがあった。

 俺は起き上がってデスクに向かう。引き出しを幾つか開けてUSBメモリを探し当てると、机上のノートパソコンに接続して起動した。


 名前に『没』と書かれたフォルダを開く。よかった、ちゃんとデータが残っていた。

 フォルダ内には、俺が過去に短編賞に応募して落選してきた作品群が並ぶ。これらの文章は家族にはもちろん、Web上にも公開していない。総数は29。今思うと少ないが、この中になら妹が読んでくれそうな小説がありそうだ。


 俺は受信してきた半年分のメールをざっと読み返した。過去に読んできた漫画や小説の内容から、妹の好みの見当をつけるために。

 ただ記憶の通り、妹は意外と幅広い分野の創作物を嗜む。ご執心なのはいいが趣向が読みづらい。


 結局のところ一番アテになるのは、普段の妹に基づく己の直感だった。

 俺は没フォルダから妹が好きそうな候補作を五つ抜き出し、スマホと共用できるメモアプリに貼り付けた。

 それからパソコンを一旦閉じて、約一時間、ベッドの上で転がったり夜食を食んだりしつつ考えてから、また開く。


「これにするか……」


 無駄に重々しく声が漏れる。

 俺が選んだのは、天使と悪魔達が共存する村でのスローライフ譚だった。

 この短編は妹が幼い時から好きだった童話調のお話だし、『あつ洞』のほのぼのとした雰囲気とも少しは似ているからだ。散々悩んでおいて実に単調な採用理由だった。

 

 メモアプリから他四作を削除して、選んだ一作のテキストをメールの本文にそのまま貼り付ける。

 それから数秒の間を幾つも空けて、明日の午後八時に送信予約を入れた。



   ◇



 翌日、俺はなぜか朝から緊張していた。

 心当たりは今晩提出する短編以外にないが……いや、そんなはずはないだろう。相手は俺の妹だ。目下の家族相手に何を怯えることがある?


 何にせよ、出社はしなければならない。朝食と着替えを手早く済ませ、家を出た。


 最寄りの駅に着いたところで、毎度のことながら気力が削がれてしまう。それでも俺の体は日々の習慣に従って、ソーシャルディスタンスとは無縁の混雑した電車内へ動いていく。


 感染のリスクを冒してまで行きたい職場とは言えなかった。

 俺はまだ二十一歳、入社して二年目の下っ端だ。大抵の仕事は上長の指示に従うだけ。多少真面目だからというだけの理由で、何かと雑務を押し付けられる存在だ。

 好きでもない職に就いてしまったことを後悔する。けれどこのご時世だ。働けるだけありがたいと思うと辞めるに辞められない。

 何度も帰りたいと願いながら、それでも引き返すわけにはいかず、俺はベルトコンベアで運ばれるように会社へ流れていく。


 この通勤時間がいつも苦痛だった。

 けれど、今日だけは少し違った。

 俺は人混みとひしめき合いながら、図太くスマホの画面を睨んでいた。妹に送る原稿を再確認していたのだ。


 家から駅へ向かう間に、小学六年生が見る文であることを思い出していた。難しい漢字にはルビを振るか、別の単語に変えておきたい。いや、他にも小説を読むくらいだから自分で調べさせるか?

 他にもしっくり来ないフレーズが幾つか見つかり、その都度メモアプリに印を付けている間に、気付いたら会社に着いていた。


 タイムカードを切ってからも手直しを続けた。

 雑務をしている傍らで上手い言い回しを思いつくと記憶に留め、雉を撃ちに行くついでにスマホを持ち出して改稿を重ねていく。


 しばらくして煮詰まってくると、再び今朝からの緊張がぶり返してくる。メールを予約送信する午後八時まで残り三時間を切った。

 俺はこれ以上手を入れても仕方ないと割り切り、仕事に集中することにした。今日はどのみち残業しなければキリが付かない。


 周囲は何も言わなかったけれど、その時の俺はいつになく業務に没頭していたと思う。かえって同僚達に申し訳なくなるくらいに。



   ◇



 会社から出た俺はすぐにスマホを見た。

 時刻は夜九時を回ろうとしている。妹へのメールは無事に送信されていた。


 すっかり暗くなった空の下で、車や信号の光が炎のように燃え広がって見える。俺はそのまま駅まで歩き、帰りの電車に乗った。

 俺は明日の休日に何をするか考えていた。やることがない中で何をして、次にメールが送られてくる午後八時まで時間を潰そうかと。

 仕事で気を紛らわすことはもうできない。妹の反応を見るまでのやきもきする二十四時間を、どうやり過ごしてくれようか――


 などと思っていたその時。

 スマホにメールの通知が来た。


 電車に揺られながらすぐ受信箱を見た。妹からの返信が来ている。時刻はまだ午後十時前だ。

 あまりに唐突で心の準備ができていない。本文を表示することを躊躇ためらってしまう。

 なぜ本来よりうんと早く返信が来たのか。ちょっとした用事だけなら、母からLIMEを送らせるだけでいいのに。


 しばらく煩悶したけれど、受け取った以上は読まなければならない。

 俺は意を決してメールを開いた。


 凍った塊が溶けていくような心地がした。


 そのメールはこんな書き出しから始まっている。



『お兄ちゃんありがとう!

 お兄ちゃんの物語、読んだよ。面白かった!』



 以降は、天使が悪魔と仲良く遊んでいることへの感動、吸血鬼が起こした揉め事のこと、堕天使の魅力についての書き込みが続く。

 メールの最後はこう締め括られている。



『わたしもいつか物語を書いてみるね。

 お兄ちゃんもまた面白いお話聞かせてね!


                  早也伽』



 思わず鼻で笑ってしまった。まさに小学生並みの感想だ。

 けれど心から『面白い』と思ってくれたらしい。登場人物達にも好意を寄せているのが伝わってくる。それが純粋に嬉しかった。


 電車から降りた後、急にLIMEの通知が来た。母からメッセージが届いている。


『そっちはどう? 元気でやってる?』


 何の変哲もない一言に意表を突かれる。

 俺はさっきメールを受信したことを伝えると、なぜ妹が俺に物語を求めたのかも一思いに訊いた。

 返事はすぐに来た。


『そりゃああの子も、あなたのことが心配だったんでしょ』


「心配?」思わずスマホに向けて喋った。


『あなたからのメール、仕事や一人暮らしの愚痴ばかりだったから。私も心配したのよ。文面だけで疲れてるってことが伝わってきたし』


 俺は呆気にとられた後、頭を抱えるほどの罪悪感に苛まれた。

 そういえばそうだったかもしれない。実のところ仕事が忙しくて、つい最近まで上の空でメールを打つことが多かった。その時に自分で書いた内容はよく覚えていない。

 妹は『おつかれさま』の一言以外に、仕事について触れなかった。もしかしたら、俺に忘れさせてくれていたのかもしれない。


『あの子もきっと、あなたに楽しいことを考えていて欲しかったのよ』


 涙を流したのなんていつ振りだろうか。これほど大きく感情を揺さぶられたのは。

 今なら数年振りに、また小説を書ける気がした。

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