第178話 報告:とある格好悪い騎士について

 








「おい、嘘だろ……」


 デュッセ・ドルフ城塞。その城壁の上で、一人の兵士が呟く。それもそうだ。あんなものを見れば誰だって度肝を抜かれるだろう。


 夜明けの光りと共にその巨大な砲塔が姿を現す。その黒く輝く大砲は帝国に噂レベルでしか存在しないとされていた幻の兵器だ。これまでに使われてきたいかなる攻城兵器よりも大きく、そして威力があった。


 その兵士は目が良かったのだろう。巨大な砲台を肉眼で確認した。それはおよそ射程圏よりはるかに遠くに見えたが、はっきりとその砲台はこちらを向いていた。それが確認できたことは、果たして幸か、あるいは不幸か。


破城兵器ドーラ・カノンだ!」


 兵士が叫ぶ。そして同時に、遠くで一瞬光るのが見えた。そしてそれが兵士がみた最後の光景でもあった。


「逃げろ!砲撃が……」


 凄まじい音と共に、城壁の一部が吹き飛ばされる。その兵士も、その周りにいた人間も、皆一瞬でその命を散らした。


「ふはははは。凄まじい威力だ!てっきり使う場面もないかと思っていたが、これはいいじゃないか!」


 派手な戦車に乗る指揮官が、高笑いをしながらワインを呷っていた。















 俺は昔から、英雄に憧れていた。


 子供の頃は無邪気に信じていられた。自分の狭い世界の中では、自分は誰よりも強かったし、自分は誰よりも勇気がある。少なくともそう信じていられた。


 だが大人になるにつれて、現実を知るにつれて、気付かされる。世界は醜く、大人達は汚い。そして自分もその一因なのであると。


「モリエール卿。フェルナン・デ・ローヌ、推参いたしました」

「うむ。ご苦労であった」


 王国軍部第二位の男、モリエール卿。長らく現将軍の懐刀として仕えてきた男だ。


 彼が現在その地位にいるのも、現将軍が取り立てていることが大きい。フェルナンは彼の前に膝をつきながら、その姿を観察する。


 権威は人間を大きく見せる。彼は兵士としても将軍としても何の能力も無いだろう。だが王国でも有数の権力を保持するその男の言葉には、どこか量り知れない力があるようにさえ感じた。


「ローヌ卿、第七騎士団が謀反を起こした話は、聞いておるな?」


 モリエール卿がフェルナンに尋ねてくる。


「はい。残念な限りです」


 何が謀反だ。フェルナンは心の中ではそう思った。実際彼等が戦っている相手は帝国であり、王国としてみれば何らおかしいことはしていない。ただ王国の上層部の意にそぐわないだけだ。


「あの裏切り者達の始末を、第九騎士団に任せたい。かつての戦友だが、できるな?」

「……はい」


 モリエール卿はフェルナンの返事を聞くと、うれしそうにガハハと笑う。それを酷なことだとは思っていないのだろう。むしろやって当然とさえ考えている節がある。誰もが自分の言うとおりに動き、誰もが自分に味方する、と。


「お父様、お茶を入れましたわ」

「おお、ローズか」


 丁度その時、ローズがお茶を持って入ってくる。どこかおぼつかない手つきで、慎重に運んできた。


(彼女がお茶を?王国有数の貴族令嬢が何故そんなことを?)


 ひょっとして自分に会いに来たためだろうか。フェルナンは一瞬そんなことを考えたが、その可能性は否定した。自分に会いに来たにしては、随分と表情が緊張している。かつて自分を叱咤したときでさえ、入ってくるときはこのような表情ではなかった。


(じゃあ、何故?)


 モリエール卿がのんびりとお茶を飲んでいる中で、フェルナンはじっと彼女を観察する。


 何かがおかしい。それを感じられたのは、これまで彼女を注意深く見てきたが故だろうか。そして彼女がその短剣を取り出したとき、その目を疑った。


(よせっ!)


 思いもよらない行動に、フェルナンの対処が遅れる。そして事態は動き出していた。


「お父様、お覚悟!」

「何っ!?」


 ローズが勢いよく突進し、モリエール卿の脇腹にその短剣を突き立てる。モリエール卿は相当に痛いのだろう。苦悶の表情を浮かべていた。


 しかし人を殺すことが、技術のいるものであることをフェルナンは知っている。特に女性が男性を狙う場合には、相当に力を入れるか、首や手首などを狙わなければならない。


 だが勿論ローズがそんなことを知るよしもない。すぐにモリエール卿が立ち上がり、彼女を殴り飛ばした。


「この女ぁ!」

「きゃあっ!」


 モリエール卿は倒れたローズを追撃し、これでもかと踏みつけていく。ローズは身体を丸めながらそれを耐えていた。


「貴様!この儂にあろうことか刃を向けたな!小娘が!」

「何を言うのです!貴方こそ王国臣民全てに、刃を向けているというのに」


 それはおよそ女性に対して、自分の娘に対しておこなう行為ではなかっただろう。もはや飼い犬に噛まれ、激昂した飼い主に他ならない。男性の全力が込められたその暴力に、すぐにローズの声は弱々しくなっていった。


「かはっ。かはっ」

「この薄汚い女め。やはりお前の母親も同様に汚らわしい売女だ!」


 モリエール卿が叫ぶ。彼には妻が複数おり、ローズの母親はもう亡くなっている。その他に妾もたくさんいるのだ。ローズは数多いる娘の一人でしかない。


「フェルナン!」

「っ!?」


 一通り蹴り終えた頃だろうか。モリエール卿はそう言って、飾ってある剣をとり、フェルナンに渡す。ローズは既に動かなくなり始めている。


「この女を殺せ!私に刃を向けた大罪人だ!」

「っ!?……しかし」

「私の言うことが聞けぬのか!」


 汚い。あまりに汚い。フェルナンはそう思った。この期に及んで保身のことを考えているのだ。


(いくら大貴族とはいえ、自分の娘を殺したとあっては評判に響く。だから俺にやらせようというのか)


 無論モリエール卿も俺と彼女の仲を知っている。だからこれは試してもいるのだ。俺がこちら側であり、自分の駒であるかを。そしてそうであるとも確信している。自分に従う資格があるかを、試すだけの手段だった。


「フェルナン……様」


 フェルナンは剣をとり、ローズに歩み寄る。既に散々蹴られ、鼻血も出ている。およそ貴族令嬢とは思えない状態だ。


「ローズ……何で……」

「お父様の存在が貴方を縛っていましたから……」

「だからって、そんな」

「それに……」


 ローズがかすれた声で続ける。フェルナンの方を見ながら。


 そして小さく微笑んだ。


「私も……貴方を縛っていましたから……」

「っ!?」

「私は……貴方が英雄達との道を歩むことを望んでいました。それが貴方の望みなのだと思って。……でもそれも私の勝手な思い込みでしたね。それこそ私の身勝手な望みです。貴方に英雄になって欲しいという勝手な……」


 再びローズが咳き込む。痛みで相当苦しいだろう。


「私は、貴方に幸せであって欲しい。でも、それ以上に貴方に生きてい欲しい。私を殺して……栄華の道を歩みください。これでお父様の信頼も得られます」

「フェルナン!何をしている!早く殺せ!」


 モリエール卿が叫ぶ。フェルナンはゆっくりと剣を構えた。


「フェルナン様……お幸せに」


 ローズがそう言って笑う。


 痛いだろう。苦しいだろう。実の親に刃を向けて、実の親に敵意を向けられて。


 それでも彼女は笑顔を作った。最愛の人にはせめて笑顔で別れたい。そう思って。


 最愛の人に生きていて欲しい。そう願って。


 フェルナンは勢いよく、その剣を振るった。



 ザシュ。



 血が噴き出す。その一撃は確かに入り、死に至らしめるだけの十分な一撃だった。


 鮮血がその豪華な部屋を染め、周りにあった高級な品は、赤黒く染まっていく。


「フェルナン……貴様ぁ……」


 「ドサッ」という音と共にモリエール卿が倒れる。もう言葉を発することはない。しっかりと確実に命を奪っている。


 フェルナンは彼の死を確認してから、ローズを抱え上げた。


「俺の部隊が西門で待機している。そこには治療のできる秘術士もいるから、そこまで我慢してくれ」

「…………」


 返事がない。余程ダメージを負っているのだろう。呼吸が確認できるため、フェルナンは少しだけ安心した。


「格好悪いな。俺は。最後までどっちつかずで、お前にもこんな思いさせて……」

「そんなこと……ないです」


 フェルナンに抱きかかえられているローズが、少しだけ身体を起こす。そしてゆっくりと顔を近づけ、フェルナンの頬にキスをした。


「……ありがとう。ローズ」


 ローズはにっこりと笑うと、また眠るように意識を失った。フェルナンは彼女を抱えながら、秘術を起動する。なるべく早く、人に見つからない形で移動しなければ。


(別に難しいことじゃない。彼女がやったことに比べれば)


 フェルナンは窓から外へと飛び降りる。そして足に力を込めていった。












 姫に守られ、後押しされ、ようやく騎士は剣をとる。


 彼女が彼を支え、彼が彼女を守っている。


 そして今、二人は進む。


 その険しい道を。


 共に……。




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