第174話 報告:想い、尚、届かず
モリエール家の屋敷、フェルナンはその一室にいた。
先日彼女と言い争ってからは、できるだけ来ないようにしていた。しかしそれでも付き合いはある。今日は有力貴族が一同に集まるパーティーの場でもあった。
「そうか。あんたはそういう決断をしたのか。副長」
暗い部屋、ゆっくりとその剣をとる。既に明かりは消えており、その豪華絢爛な部屋も、暗闇の中に溶けていた。わずかばかりの月明かりだけが、自分に視界を与えていた。
(酷い面だ……)
フェルナンは自らの剣に映し出される自分を見て、自嘲気味に笑う。流石将軍直々に渡された剣だ。綺麗で、優雅で、それでいて切れ味も鋭い。もっともその美しさに表れているように、その剣をもらってから一度たりとも人を切ってはいない。
コンコン。扉をノックし、開く音が聞こえる。
ローズ・モリエールだ。
「……フェルナン様」
彼女は小さい声で尋ねる。ここまで暗くてはよく見えないだろう。輝かしい場所からこの暗闇では目が追いつかない。
(しつこい女だ。今日のパーティーでも、ずっと此方を見ていた。先日あれだけぶつかったのに、まだ食らいついてくる)
それはその可愛らしい容貌からは想像しにくい逞しさであっただろう。じっと黙っていれば気付かずに出て行くかもしれない。フェルナンはそう考えてしばらく黙っていた。
「…………」
「…………」
しばしの沈黙。しかし彼女が出て行かないことを理解すると、フェルナンが話しかけた。
「何をしにこんな暗い場所へ?ローズ様」
フェルナンはゆっくりと立ち上がり、彼女を見る。暗がりにいて尚彼女は麗しく、それでいて輝かしかった。
そして同時に、それが腹立たしくも。
「貴方とお話に来たのです」
ローズが言う。
またこの目だ。まっすぐ、美しく、そして誠実な瞳。それでいてどこまでも自分を苛立たせる眼差しであった。
「お話?またですか?」
フェルナンが鼻で笑いながら言う。しかしローズはまっすぐフェルナンを見たまま、しばらく何も言わなかった。
「……クローディーヌ・ランベールが反旗を翻したそうです。副長であるアルベール・グラニエと共に」
「……へえ。それは知りませんでした」
「嘘ですね」
「本当ですとも」
フェルナンの言葉を無視して、ローズは続ける。
「敵の将軍とこちら側の将軍。双方の軍事のトップがつながっていたそうです。公にはされていませんが、いくら私が世間知らずとはいえそれくらいは分かります」
「…………」
フェルナンはローズの元までゆっくりと歩み寄る。ローズがすこし身構えるが、フェルナンは彼女の横を通り過ぎると、半開きになっていた部屋の扉を閉めた。
「それで?それがどうしたのです?」
フェルナンが問いかける。ローズは徐々に語気を荒げながら続けていく。
「貴方は何も感じないのですか!仲間が戦っているのですよ!」
ローズの言葉に、フェルナンはただ黙って彼女を見つめる。そして小さく息をはいて、言葉を返した。
「……知ったことか」
「っ!?」
「裏切り者のことなんか知ったことじゃないと言ったんだ」
その言葉にローズは心底頭にきたのだろう。早足でフェルナンの元まで歩み寄る。
パシン
静かな部屋に、乾いた音が響く。ローズの渾身の平手打ちが、フェルナンの頬を赤く染めていた。
「騎士としての誇りはないのですかっ!卑怯者っ!」
「……っ!?」
ローズはまくし立てるように続ける。
「貴方は何かと理由を付けて逃げているだけの臆病者です!家族がどうとか、私がどうとか、軍としての役目がどうのとか。……私には細かいことまでは理解できません。しかしこれが間違っていることぐらい理解できます!」
「知ったような口を……」
「では答えてみなさい!何が違うと言うのですか!貴方は私の父や、私の存在や、軍の在り方などを理由に付けている。でもそんなものは後付けです!貴方は……ただただ怖いのです!」
「怖い……だと?」
「そうです!貴方は怖いのです!立場を失うことが、私を失うことが、今までの在り方を変えることがっ!」
ローズの言葉に、フェルナンもついに耐えかねる。そして怒鳴りつけるように、またもローズに詰寄った。
「お前に何が分かるっ!貴族暮らしのボンボンが!現実を知らない小娘が!今の戦況を見ろ!この先あの二人がどれだけ頑張ろうと、多くの連中は手を貸さない。そりゃそうだ。どちらが正しいのかではなく、どちらが勝つかをみてるんだからな!」
フェルナンが続ける。
「まともに戦ってきた連中は、それがどれだけ無謀なことか理解している。お前とは違うんだ!自分一人では何一つやってこなかったご令嬢に、一体何が分かるって言うんだ!」
フェルナンが呼吸を整えていく。ローズはただじっとフェルナンを見つめていた。
「貴方が……」
ローズが話し始める。声は震え、途切れ途切れになっていたが、それでも話はやめなかった。
「貴方が言うとおり、私には何もできません。いつも籠の中の鳥。お茶会でも舞踏会でも、いつもどこかつまらなく感じておりました。私は何者なのだろうって」
「………」
「でも貴方に会ってから、毎日が楽しかった。明日が来るのが待ち遠しかった。貴方との出会いが、生きる意味をくれました」
ローズが続ける。
「貴方がこの屋敷に来るのは、半ば義務のようなものでしょう。私のお父上に会わなければなりませんからね。てっきり、この前のことでもう二度と来てくれないのかもと……」
「っ!?」
「だとしても!貴方がこの屋敷に来る度に、私は貴方に会いに来ます。怒鳴りに来ます。叩きに来ます!それが嫌ならば、さっさと戦場に出向きなさい」
ローズはそう言って、堂々とその場を後にする。以前とは違う。彼女は何かが変わっている。
否、それとも自分がとりのこされているのか?フェルナンは答えのない自問自答を繰り返し続けていた。
フェルナンは知るよしもない。彼女は一人で立ち上がったわけではないということを。彼女に接近したドロテとマリー、二人による状況の説明があったという事情もある。
しかし何より、フェルナンは知らなかった。
時に自分のためよりも、誰かのために、はるかに勇気を持つことができるということを。
しかしまだ足りない。想いは、尚、届かない。
部屋には誇りを失った騎士が、ただだらりと座っていた。
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