第173話 報告:名も無き英雄達に、敬意を込めて

 







「どうしてです!軍部の腐敗は明らかじゃないですか!」


 王国が誇る最古の新聞社。その建物内で一人の女性の声が響き渡る。既に記者の中ではエースと謳われる女性、マリーその人である。


「君はなんだね?一介の記者が。こんなもの出せるわけがないだろう」

「何故です!何故出せないのですか!もう既に王国中に噂として出回っています。そして今此処に証拠があるんですよ!」

「うるさい!だいたい女がそんな大声を出すな。はしたないぞ!」


 齢六十を超える編集長は、その蓄えられた髭をさすりながら答える。でっぷりとした腹は貴族達を思い起こさせ、女性を品定めするかのような視線はマリーにさらなる嫌悪感を覚えさせた。


「うちは王立の新聞社だ。その意味が分かるだろう?」

「はい。しかし軍部が王国なわけではなありません。私たちが忠誠を誓うのは国に対してであり、そして王国臣民に対してです」

「それは詭弁だ。実際軍部が王国を支配しているだろう」

「それこそ本末転倒です!国を守るべき軍が、自らを守るために市民を虐げるなどと、放っておいて良いはずがありません!」


 編集長はさらに嫌そうな顔をする。それもそのはず、彼女はこの男社会で意見を通すために徹底的に理論武装している。そんな論理でガチガチに固められた彼女の主張に対し、編集長はあくまで私益のことしか考えていない。


「いいから女は黙ってろ!これ以上話すことはない!」

「っ!?失礼します!」


 マリーはそう言って勢いよく部屋を飛び出していく。どうせ一人どこかで泣きべそでもかくのだろう。編集長はその程度に思い葉巻に火を付ける。


 しかし彼は知らない。彼女のはじめの大声で、部屋の外にいる人々がこちらを気にしてしまっていたことを。物音がなくなった外の空間では、二人の声は丸ぎこえであった。勿論それはマリーが入室する際にわずかばかりドアを開けていたからであったのだが。


 加えて、女の涙はときに有効な武器にもなるのだ。涙目でマリーが出て行けば、それを助けてやらねばと庇護欲をかきたてられる男達もいる。そしてそうした男達は、時に後先考えずに動いてしまうのだ。


 可憐なる乙女は、同時に賢い策士でもあったのだった。














 デュッセ・ドルフ城塞。それは王国と帝国の国境付近に作られた城塞だ。街道沿いかつ平野部にあり、攻めやすく守りにくい。城塞の建築場所としては甚だ不適切だ。


(だが人々が集まるには絶好の場所だ。流通の中心となり、ある種の城塞都市のようなものに発展した。その意味ではここは両国をつなぐ架け橋のような場所でもあった……か)


 俺は物陰に隠れながら、城塞内の兵士達を観察する。既に相当酷使されたのだろう。最前線のこの場所は、前線を回される部隊の駐屯地だ。


(酷いもんだ……)


 俺がクローディーヌに合図を出すと、クローディーヌはたやすく飛び上がり、城塞の防壁上に立つ。そしてよく通る美しい声で、帝国軍によびかけた。


『聞け!我が名はクローディーヌ・ランベール。私欲のために民衆を苦しめる悪漢、アウレールを打ち倒し、和平を望む者である!』


 クローディーヌがそう言い放つと、帝国軍の注目と一気に集めていく。やはり見てて映えるものがある。それだけに帝国軍の目は釘付けだ。


(しかし言う内容が決まっているとはいえ、数日教えただけで帝国語を話せるとはな。発音も完璧だ)


『聞け!我々の狙いはアウレールただ一人。それ以上の戦いは望まない。しかし、撃つものは殺す。撃てと命じる者も殺す。戦う意志のないものは、銃を捨てよ!』


 クローディーヌが繰り返しうったえる。


 そうだ。それでいい。メッセージはシンプルであることが望ましい。そして分かりやすい方が。


「撃て!撃てっ!」


 おそらく駐屯している部隊の隊長だろうか。しかしその命令に、部下も戸惑っている。


(撃てば殺すと再三言っている。さて、どうするか)


 部隊長はしびれを切らし、みずからライフルを構える。そしてクローディーヌに照準を合わせ、引き金を引いた。


「なっ!?」


 膝から崩れ落ちる。しかし崩れ落ちたのはその部隊長の方だ。彼の撃った弾丸はクローディーヌにかすりもしない。そもそも技術がなさ過ぎた。


(この実力からするに、おそらくは前線からの叩き上げではない。アウレールに媚びた口か?わざわざ俺が撃つまでもなかったかもな)


 俺はライフルを下ろし、帝国兵の前に歩み出る。いつの間にかクローディーヌも城壁から下りて俺のそばまで来ていた。


「帝国兵士の諸君。私の名はアルベルト・グライナー。先代の賢知将軍、フレドリック・グライナーの息子だ」


 話を続ける。


「先の大戦で、私の父親はこのクローディーヌ・ランベールの父親に殺されたのだと思っていた。……しかし、真相は違った!」


 俺は帝国軍兵士の様子をみながら、ゆっくりと話していく。ゆっくりと、はっきりと。


 分かりやすいストーリーに、分かりやすい言葉。権力者が使う常套手段を、今度はこっちが使わせてもらう。


「アウレール将軍。彼の男が彼等を嵌め、いまその地位に就いたのだ。無意味な決闘を用意し、二人の英雄を殺した」


 帝国兵の緊張が伝わってくる。そりゃそうだ。今目の前にしているのは帝国と王国、両英雄の子供。それに今この戦争の中心人物だ。言っちゃ何だが、スターを目の前にしているみたいなものだ。


「そして今、かの逆賊アウレールは、この無意味な戦争を起こし、己の邪魔者であるクローディーヌ・ランベールを排除しようとしている。自分は安全な高見にいて、苦しむ民や傷つく兵士達を笑い、戦争を続けようとしている!」


 帝国兵の関心が高まっている。もう十分だ。俺はそう判断して話をまとめにかかる。


「諸君、我らと共に戦えとは言わない。ただ戦う意志のないものは、この地を去ってくれ。そして……」


 俺は大きく息を吸う。戦力は少しでも多い方が良い。いずれにせよ、彼等を待つ以上此処を動けないのだから。


「真の平和を求め、戦う意志のある者は、私達に力を貸して欲しい。帝国の市民が、王国の市民が、これ以上苦しむことのない世界を作るために。……これはアルベルト・グライナー、クローディーヌ・ランベール両名の願いだ」


 俺は話をやめる。どうでるか。これはもう賭けであった。


 すこしばかりの静寂が訪れる。誰もうごかないのは承知の上だ。だが一人でも仲間が増えればできることがある。俺はそんな馬鹿の存在に賭けていた。


 しかしそれは予想外な動きをした。


「……が」


 銃を置く。そして一歩前に出て敬礼した。


「私が参陣します!」


 ある一人の帝国軍兵士が叫ぶ。一人出れば、次は二人目だ。


「私も!」

「自分も!」


 そして動き出した流れに、誰もが参加し始める。ここまで来れば、参加しない方がリスクになる。そう考えて。


「自分もいいでしょうか!」

「宜しくお願いします!」


 雪崩のように兵士達が動き出す。実際それは、出来過ぎる結果とも言えた。だが後に振り返れば、十分可能性はあったのだ。


 第一に彼等は前線配置、つまりは帝国でも良い思いはしていない連中だということ。第二にそれだけにクローディーヌの桁違いの実力をよく知っているということ。


 そして第三に……


「もう戦争はうんざりだってことか」


 俺は彼等をみながらそう呟くと、姿勢を正して敬礼する。ざっと見る限り、一個大隊もいないだろう。せいぜい数百人ってところだった。


 だが彼等はただの数百人ではない。世界を変えるために、万を越える大軍に喧嘩を売ろうとする数百人の馬鹿者だ。前線で命を張り、貧乏くじを引かされながら、それでも誰かのために戦ってきた連中なのだ。


「よし。まずは防衛の準備だ。これからアウレールの大軍がやってくる。それまでに兵をかき集めろ」

「「了解」」


 兵士達が動き出す。それは今までのようにやらされてきた戦いではなく、自らの意志で行う戦いだ。


「中佐殿!これから前線にいる帝国軍部隊に片っ端から通信を繋ぎます。中佐殿の言葉で呼びかけてください」

「一部部隊はそれぞれ敗残兵のふりをして帝国に戻るぞ。前線の部隊なら、いくつか伝手がある。戦列に加わってくれるかもしれない」


 『どうせ死ぬなら』。彼等にはその思いがあるのだろう。この中の多くの人間は、これから命を落とすはずだ。


 怖いだろう。恐ろしいだろう。戦いが、ましてや大軍に挑む戦争が、どれほど嫌なものであるかということは俺にはよく分かっている。


「アルベール……」

「ああ。そうだな」


 だがのんびりはしていられない。まだ始まったばかりだ。


 俺は名も無き英雄達に最大限の敬意を払い、もう一度だけ敬礼をした。








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