第168話 本当の想い

 









『何をそんなに憤っているんだい?君はかねてからの目的通り、彼女を討ったじゃないか?』


 暗闇から声が聞こえてくる。この声はどこから聞こえてくるのか。少しずつ、その声は大きくなっていく。


 はじめは自分自身が言っているのだと思っていた。自らのふがいなさを、自ら嘆いているのだと。しかしそれは少し違っていた。


 内側から。それは自分の内部から響いていたのだ。俺自らの『血』が、俺に問いかけている。今になって、ようやく理解した。


『随分と久しぶりだな……』


 俺は顔を上げ、暗闇に目を向ける。


「親父」

『ああ、元気そうだな。アルベルト』


 彼は暗闇の中で、確かにそこに立っていた。










『何故不満げなんだ?アルベルト?』


 フレドリックが問いかける。俺はうつむきながら、吐き捨てるように返事をする。


「……不満などない」

『そうか。そうだろう。そのはずだ』


 フレドリックが続ける。


『君は見事生き残り、これから先も生き残るだろう。英雄を打ち倒したことで、栄誉すらも手にいれる。私の未来視がそれを保証する』

「………」

『アウレールなど今の君では負けようがない。何せ未来まで見えるのだからね。それに君は美人の妻をもらい、権力を手に入れ、豪邸に住むことができる。これからの未来、君は思うがままだ』

「………れ」

『天才の血を受け継ぎ、私以上に磨き上げた。そして今、最大の試練を乗り越えた。もう恐れるものなどない。ありとあらゆる望みを叶えるだけの力を……』

「黙れと言っている!」


 俺は父親の幻影に怒鳴りつける。すると彼は少しだけ黙った後、また静かに語り出した。


『それに、彼女も満足だったのだろう?』

「っ?!」

『英雄として生き、英雄として死んだ。未来永劫、その名は受け継がれていくだろう。民衆はその手の話が大好きだ。悲劇の英雄、クローディーヌ・ランベール』

「……ふざけるな」

『ふざけるな?何を言っているんだい、アルベルト?君は彼女の生き方を否定するのだろう?ならば受け容れるべき事実じゃないか』

「違う!」

「違う?何が違う!何が違うというのだ、アルベルト!」


 親父の強い言葉に、俺は頭が熱くなっていくのを感じる。ここまで言葉にしてこなかった熱い想いが、堰を切ったようにあふれ出していた。


「俺は……俺は……」


 必死に言葉をつむぐ。そして俺は全てを理解した。この段になって、自分の本心を。


「俺は彼女に、そしてあんたに、生きていて欲しかったんだ。……父さん」


 俺の言葉に、親父は小さく微笑んだ。














 俺は何のために戦っているのか。その答えはとうの昔に持っていたのだ。


「俺は生きるために戦っている」。ボルダーの地で、俺は彼女にそう言った。そう思っていたのは事実だ。


 だが正確ではない。それは自分の本当の想い、それを隠している。


 初めて彼女に会い、その考えに触れたとき、俺は彼女に自分の父親を重ねていた。他者のために生きるその生き方は、親父の考え方や生き方と合致していた。だからその考えを否定した。


 俺はとどのつまり、彼女を、そして自分の父親の生き方を認めたくなかったのだ。認めてしまえば、父が死ぬことや、父が多くの無責任な人間のために死んだ事実を、肯定してしまうことになるからだ。英雄でなくて構わない。父親に生きていて欲しかった。


 『無責任な民衆のために死ぬ方が馬鹿だ』、『自分の利益を優先することが全てだ』。結局俺はそう考えることでしか、自分の父親の死と向かい合うことができなかった。父の生き方を肯定するには、社会の風はいくらか冷たすぎた。


『少しは気付いたかい?』


 俺の中の、いや、俺に血に残る父親の意志が語りかけてくる。


 するとそこにまた、別の幻影が浮かび上がる。十歳そこそこの自分の姿だ。


『どうして、どうして死んじゃったんだ。父さん』


 毎日のように枕を濡らした。来る日も来る日もだ。


 父親を馬鹿と定義した日も、笑いながら泣いた。そしてその次の日から、ようやく涙を流さなくなった。そんな日の記憶だ。


(自分の心を守るために、俺は父親を馬鹿と呼んだ)


 その考えは確かに自分を強くした。利己主義ではあるが合理的、冷酷であるが現実的だ。もしこの考えを持たなければ、俺はボルダーで死んでいたかもしれない。


 だがそれでも心に歪みを抱え続けることには変わらなかった。


(親父やベルンハルト。ダドルジにダヴァガル。これまで散っていった英霊達。そして……)


 クローディーヌ・ランベール。俺はそうした英雄達を、心のどこかで認めながら、それを『馬鹿』と否定した。その歪みの正体は、案外近くに存在した。自分が目を背けていただけなのだ。


(俺はそんな英雄達に、ただ生きていて欲しかったんだ)


 そんな単純なこと。それがずっと遠くにあるような気がしていた。


「……あれ?」


 俺は自分の頬に触れる。止めようのないほどに涙が流れていた。


 しまい込んでいた感情は、もう抑えきれないほどに噴出していた。


 俺は嗚咽を必死に抑えながら、なんとかそんな気持ちを抑えようと努力する。しかしもうどうにもならなかった。


 彼女はもういないのだ。


「クローディーヌ……。クローディーヌ!」


 いつか彼女が強がって笑ったとき、俺は心底頭にきた。綺麗事を吐いたときは、反射的に嫌悪感を抱いた。


 だが少しずつ、少しずつ彼女が笑う理由が変わってきた。彼女の本心に、少しずつ近づいたのだ。


 そして今、今までで一番美しい彼女の笑顔を見た。それはきっと彼女の本心から生まれたものであり、本当に幸せであったからだろう。


 俺が戦っていたのは生きるためではない。ましてや栄誉でも権力でも金でも女でも誇りでもない。


 俺は彼女が本心から笑っていられるように、戦うことを決めたのだ。


『そうか。お前はお前の道を決めたのだな』


 フレドリックが言う。彼の幻影は少しずつ薄くなっていた。


『さあ。何をメソメソしているんだ?君にはまだやるべきことが残っているだろう?』

「やるべきこと?何を言って……」

『私が見せることのできる未来はここまでだ。現実的で、合理的。予測可能でつまらん未来だ。私は最愛の人を失い、その程度の未来しか見いだせなかった。だが、君には可能性がある。正確には君と彼女には、だがね』

「どういう……」

『立って目を開けろ』


 フレドリックは笑って言う。


『彼女はまだ生きているじゃないか』


 そう言って彼は消えた。満足そうに、うれしそうに。


 そして光につつまれた。















(何だ、今のは?……夢か?それとも、幻聴?)


 俺は意識を取り戻し、状況を確認する。目の前には息を荒げ、なんとか剣を構えているクローディーヌがいる。もう見るからに限界であり、今すぐにでも手当をしなければ死にそうであった。


(だが、それは此方も同じことか)


 俺は必死に呼吸を整えようと努力する。だがそれは半ば不可能であった。


 体中の至る所が脳へと警告を発し、自分が今いかに危険な状態かを伝えようとしている。既に身体は重く、こちらももう何度も剣が振れるような状態ではなかった。


(まったく、本当に強いな。この女は)


 サーベルを握りしめ、彼女を見る。息も絶え絶え、今にも死にそうな彼女だが、それでも目だけは死んでいなかった。


 彼女は確かにそこに立っていた。


(ありがとう。……父さん)


 あれはきっと、夢などではない。親父が見せてくれた最後の未来視だったのだろう。クローディーヌが死ぬ未来。それは確かに存在しうる未来なのだ。


 そしてこれからの先が読めないのは、俺がいまから取ろうとする未来が、きっと親父にも予測できない未来だからだ。合理性のかけらもなく、現実的に見て馬鹿馬鹿しい。そんな道を、俺は今進もうとしている。


『……血は力なり』


 俺は詠唱を始める。『まだ余力があるのか』とクローディーヌは驚いた顔をしていた。


 馬鹿な奴め。その力を与えているのは、他でもないお前だというのに。


『鮮血は血漿となりてその意味を持つ』


 俺はピストルに弾を込める。六連式だが、術をかければ複数やれる。狙撃兵をやるには十分だ。


(まあ帝国兵を撃った時点で残りが全部敵になるがな)


 だがそんなことはどうでもよかった。


『行動は力を呼び、聖火を生む』


 俺はこれから万を越える敵と戦う羽目になるだろう。王国も帝国も敵になるのだ。当然である。


 それに自分の価値観を捨て、生き方を変える必要が生まれるだろう。それらはきっと苦しい道のりになるはずだ。おそらく、自分一人では絶対に選べないほどに。


 だが俺は知っている。あの港の少年に学んでいる。世界のためでも、ましてや自分のためでもなく、ただ一人の誰かのために、自らを奮い立たせることができることを。


『誰がためでなく、我がためでなし。』


 ならば切り開こう。新しい世界を。俺は英雄を否定する。だが彼等を否定するのではない。誰かだけが損を被り、貧乏くじを引かされる、そんな世界を、そんな英雄の在り方を否定する。


 おそらく今の俺は、これまでのどんな連中よりも馬鹿だろう。一人の女のために、あまつさえ世界さえも変えようとしているのだ。


 上等だ。やってみせよう。世界が変わるときは、きっと馬鹿の仕業なのだ。


『ただ、君がために。この力を行使せん』


 俺は笑う。絶望的な状況を予想しながら、それでも俺は笑っていた。


受け継がれた血の願いウォンシュ・デス・ブルート


 俺はその術を起動し、銃口を帝国軍側に向ける。それは最早魔術ではない。俺はここにきて秘術の本質を理解した。


 合理性などなく、現実主義に刃向かう。それ故に儀礼や様式を重んじ、かつての自分には会得できないものだった。貴族の血は信仰を高めるが故に良い方向に作用し、女性に秘術士が多いのも、男性に合理主義が多い故だ。


(ならばもう問題はないな)


 力が溢れてくる。身体は既に限界を超えているにもかかわらず、今の自分には何でもできる気がしていた。


 照準は既に定まっている。


「さあ、宣戦布告だ。俺から、この世界に対して」


 馬鹿の戦いを始めよう。


 俺は引き金を引いた。





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