第167話 そして彼女は笑った

 







 声が聞こえる。俺の頭の中に、よく知った声が聞こえてくる。


(これは……俺の声?いや、少し違うような)


 一体どれくらいの時間が経っただろうか。俺も彼女も、身体の至る所に傷を付け、出血している。いずれにせよ、これ以上長く戦えないことは明白であった。


『……っている』

(何だ?よく聞こえない)


 視界が霞む。周りの音も良く聞こえない。ただ頭の中で声が聞こえてくる。そしてそれは徐々にはっきりと聞こえだした。


『お前は、何のために戦っている?』

「っ?!」


 その声は懐かしく、そして温かい声だった。











(何だ、今のは?……夢か?それとも、幻聴?)


 俺は意識を取り戻し、状況を確認する。目の前には息を荒げ、なんとか剣を構えているクローディーヌがいる。もう見るからに限界であり、今すぐにでも手当をしなければ死にそうであった。


(だが、それは此方も同じことか)


 俺は必死に呼吸を整えようと努力する。だがそれは半ば不可能であった。


 体中の至る所が脳へと警告を発し、自分が今いかに危険な状態かを伝えようとしている。既に身体は重く、こちらももう何度も剣が振れるような状態ではなかった。


(まったく、本当に強いな。この女は)


 サーベルを握りしめ、彼女を見る。息も絶え絶え、今にも死にそうな彼女だが、それでも目だけは死んでいなかった。


『まだやるべきことがある』。そんな目をしていた。


(そうまでして俺を殺したいか、この女は。……まあ、それもそうか)


 裏切り者である上に、俺を殺さなければ団員の命さえ危ないのだろう。彼女は最後まで自分のことなど考えてはいない。英雄としての振るまいが、信義に背き、仲間を危険に晒している俺を許させないのだ。


(本当にこいつは最後の最後まで英雄として振る舞おうとしているのか。…まったくもって救えないな)


 どうしてこうなっているのか。どこでボタンを掛け違えたのか。それは今となっては考えても仕方が無い。謀略と言えばそれまでだが、それ以上に大きな力が働いていたのかも知れない。


 前大戦から続く因縁。仕組まれた血の宿命こそが、互いを引き寄せたのかもしれない。アウレールや王国の将軍はきっとそのおまけだ。


 俺はすり足でじりじりと距離を縮めていく。次の一撃で決めなければ、例え勝っても共倒れに終わってしまう。それは避けなければならない。


(だが、勝つ算段はある。今の彼女の状態、そして俺の余力。次の一撃を差し込めることは、確信に近い)


 決闘の終盤にきて、俺は勝てることを確信していた。これは傲りでも、自信でもない。客観的な事実なのだ。猛者が相手を前にして、戦いの結果が分かってしまうようなあの心持ちである。


(自分の剣が鈍っていたこと。それは大きな誤算だった。だが、それ以上に彼女の疲労が大きすぎた。最後の最後まで仲間を優先させたことのツケだろう。……馬鹿な女だ)


 彼女は最後まで英雄だった。俺はそれを否定しない。そして英雄であったからこそ、彼女は死ぬ。死ぬ奴は馬鹿だ。生き延びた多くの無責任な奴だけが美味しい思いをする。俺はそれを知っている。


(彼女は最後に俺に渾身の一撃を放つだろう。まずはそれを躱すことに集中する。それで終わりだ)


 そのとき、二人は動き出した。









 わずかばかりクローディーヌの方が、動き出しが早かっただろうか。しかしアルベルトはあくまでカウンターの一撃で決めることを考えていた。先手を取られることに意味は無い。


(左からの横振り。読めた!)


 アルベルトは重心を少しだけ後ろに移す。彼女の横振りを、バックステップとサーベルでいなし、生まれた隙をついて首を狙う。勝ち筋は完全に見えていた。


(あと一歩前へ、そこで剣を振り始める)


 クローディーヌの動きが遅く感じる。それは興奮のせいだろうか。全ての時の流れが遅く感じていた。


(よし、ここだ)


 アルベルトは一方後ろへ下がり、躱す構えをみせる。しかしクローディーヌはまだ剣を振り出しはしなかった。


(何っ?!読まれて……)


 クローディーヌはさらに距離をつめてくる。万事休す。これでは彼女の一撃を受け止めるか、反撃するしかない。しかし今の身体で彼女の一撃を正面から受け止めれば、アルベルトがやられるのは確実であった。


(相討ち覚悟で、差し違えるしかないのかっ?!こいつ、やはり強っ……へっ?)


 アルベルトが覚悟を決めたとき、不意に身体が後方へと倒れていく。


 足を滑らせたわけではない。バックステップをしたとき、身体の重心が後ろへと移っているときに、彼女に押されたのだ。


 そして身体が倒れていくその瞬間、アルベルトは驚きと共に目を見開いた。


 それはクローディーヌの秘術にではない。ましてや彼女が自分を押してきたことにでもない。他のあらゆるものは視界から消え、ただ彼女の顔だけが、アルベルトの目に飛び込んできた。


 そしてそれはいつも夢に見ていたものだった。


「駄目ね。私」


 クローディーヌが言う。それは音のない世界で、確かにアルベルトの耳に届いていた。


「やっぱり私は、英雄になんてなれないわ」


 クローディーヌが微笑む。それは今までのように無理をして作ったものではない。祭りの時に見せた楽しそうな笑顔、いやそれ以上のもの。


 自分の本心をさらけ出した、これまでに見たどんなものよりも美しい微笑みだった。


 そしてアルベルトは全てを理解した。


「だって私……」




「貴方には生きていてほしいもの」




東より来たる風ヴァン・タタール


 それはかつての戦友の技だった。風がアルベルトを越えて、後方にいる帝国の狙撃兵達を排除する。


 しかし同時にいくつかの銃弾も放たれていた。何発かの銃弾が、彼女を貫く。彼女はどこか満足そうに、その場で崩れ落ちるように倒れた。


 アルベルトは地面に尻餅をつきながら、ただ呆然と倒れた彼女を見つめる。満足そうに息絶える彼女に、全てがつながった。


 彼女は始めから、自分を討つ気などなかったのだと。


「あっ、あっ……」


 アルベルトはおそるおそる手を伸ばす。彼女は既に息をしていなかった。


 後ろからは歓声が聞こえてくる。帝国軍の歓声だ。兵士達は興奮し、狙撃兵が死んでいることにすら気付いていない。そして同時に、第七騎士団は既に撤退を開始していた。まるでこの結末が分かっていたかのように。


(味方部隊に休息を優先したのも、あえて俺との決闘を申し込んだのも、俺に殺されるため……)


 王国軍はきっと無事に撤退するだろう。第七騎士団が追撃を阻止するはずだ。それだけの準備と休息を、彼等はしている。


 アルベルトはこれで英雄の資格を手に入れたことになる。アルベルトの頭の中に、自分が生き延び、アウレールを倒し、帝国で栄華を誇る未来が見える。それはこれまでの経験からきっと確実な未来だろう。


 自分は生きるために戦っている。そして今、生き延びたのだ。


 目的は達成され、最上の結果を生み出した。自分が英雄になることを望んではいないが、生き延びるためには仕方が無い。多少の誤算はあれど、考えられる状況としては最高のものであった。


 戦争は終わり、世界は平和になる。これから権力闘争があるかもしれないが、それもすぐに終わるであろう。たった今、英雄アルベルト・グライナーが誕生し、その者に勝ちうる者が死んだのだから。


 英雄によってもたらされた争いが、英雄によって鎮められる。こうした輪廻の中で、平和と戦争が交代していくのだ。それが歴史であり、世の常なのである。


 ここにその事実を知るし、後世に伝える。いつか忘れられる英雄の話を、残しておくために。


 これにて報告を終える。





 著:アルベルト・グライナー







 報告:女騎士団長は馬鹿である 完























「……るな」












「ふざけるなぁ!!!」








 そして世界が暗転した。









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