第四章 報告:

第169話 報告:ロマンスのない逃避行

 







 その銃声に、誰一人すぐさま反応できたものはいなかった。それもそうだ。まさか決闘の最中に、自軍に向かって銃弾を撃ち込む馬鹿はいない。それも今まさに戦っている相手に背を向けて。


「走るぞ、付いてこい」


 俺は状況が掴めず呆然としているクローディーヌの手を取り、全速力で走り出す。


 身体はきしみ、痛みで意識が飛びかける。それでも、走り続ける足が止まることはなかった。


「追え!逃がすなっ!」


 何人かが銃を撃ち込んでくる。おそらくアウレールが予備の兵を用意していたのだろう。刺客は十人程度ではなく、もっといたのだ。


(させるかよ)


 俺は秘術により、これまでの決闘で流れた血を使い、赤い霧を生み出していく。それはクローディーヌの血もまじりながら、帝国・王国双方の部隊の視界を遮っていく。


 パン、パン、パン。


 ライフル銃の音が不規則に響く。多少視界が悪くなるとはいえ、二人分の血ではせいぜいこんなもんだろう。何発かは自分をかすめ、一発は背中にもらっっていた。


(なんでもいい。とにかく足を止めるな)


 俺は振り返ることもせず、とにかく前を向き走り続ける。北の森まで入れば一時的に追っ手は撒けるだろう。だがそれまでは、彼女の方を見る余裕さえもない。


 彼女は付いてきているだろうか。既に感覚は鈍り、自分の手の感触さえもあてにならない。俺は引いているその手に、少しだけ力を入れ握りしめる。


 そこには確かに、自分の手を握り返す感触があった。















 懐かしいにおいだ。それにどこか懐かしい声がする。その風が、その空気が、その音が、自分を優しく包みこんでいた。


「………ここは?」


 目を覚ましたとき、どことも分からない場所にいた。逃げる際には既にほとんど意識を失っていたのだ。どうやってここにたどり着いたのかも分からない。


(傷は手当てされている。それにベッドに寝かされていると言うことは、どこかの民家か?誰かに助けてもらったのか?)


 俺は自らの状態を確認する。決闘の際に受けた傷の他に、やはり何発か銃弾を食らっているみたいだ。幸い弾は貫通し、既に処置も受けている。少なくとも今こうして身体を起こせている時点で、生き延びることはできている。


(クソッ、痛いな……。そうだ、クローディーヌは?)


 俺はクローディーヌの存在を思い出し、周囲を確認する。するとその時、正面のドアが開いた。


「ん?気がついたみたいだな」

「お前は……」


 俺は咄嗟に起動しかけた術を解除する。彼がその気ならとっくに俺は死んでいるだろう。ならば今は失礼にあたる。俺はそう判断した。


「久しぶりだな。グスタフ軍曹。いや、今は脱走兵か?」

「随分回復したみたいだな。そっちだって似たようなもんだろうに。……グライナー中佐。貴方も今や脱走兵ですよ」


 『鷹の目』のグスタフ。かつて王国に諜報員として潜入した男が、そこに立っている。手には食糧と治療道具をもっているみたいだ。


「俺はここにどうやって?何日寝ていた?」

「三日前の夕方だ。丸二日以上は寝ていることになるな」


 グスタフはそう言うと、包帯を俺に手渡してくる。俺はそれを断って、魔術を起動した。俺自身で治癒してしまえば、回復などすぐにできる。


「すごい技だな」

「いや、そうでもない。悪いが少し多めに食事をもらっていいか?血が足りないんだ」

「大丈夫だ。今作ってもらっている。とりあえず今はこれを食べておけ」


 そう言ってグスタフが、俺ベッドの脇にある小さめのテーブルの上にバスケットを置く。中には塩漬けの肉と野菜を挟んだパン、そしていくらかのチーズが入っていた。


「助かる」

「中佐殿に感謝されるとは、俺も出世したな」


 俺はパンを頬張りながら、おどけてみせるグスタフを見る。何故彼がここにいるのかは分からない。それにこの場所がどこなのかもだ。しかしそれ以上に空腹と生存本能が、食事をとることを命じていた。


 一通りそのパンを頬張った後、俺はグスタフに尋ねる。


「すまないがここはどこなんだ?それに、俺の他に王国の装備をつけた女性がいたと思ったんだが……」


 俺の質問に、グスタフは何も言わずに俺の隣を指さす。俺は彼の指さす方向に目をやり、自分にかけられていたブランケットを持ち上げる。


 すー、すー。


 可愛らしい寝息と共に、そこには何一つ身に纏うことなく眠っている王国の英雄がいた。


「まず最初の質問だが、ここは俺の故郷でケルン村だ。そして彼女はここに着くなり助けを求め、あんたが運び込まれてからも、食事の時以外はずっとそうして傍らにいた」

「そうか……」


 いくらか合点がいった。彼と同郷だとは知らなかったが、ケルン村に足が向くことは納得がいく。この辺りの森は自分にとって庭のようなものだ。意識が半ば無いような状態でも帰れたはずだ。


 俺は再び彼女にブランケットをかける。きっと彼女が治癒秘術をかけてくれていたのだろう。裸でいるのは体温で俺を温めるため、そして自らの秘術をより効果的にかけるためだろう。


(道理で二日程度で起き上がれるわけだ)


 俺はそっと彼女の髪をなでる。すると彼女の方も目を覚ましたのか、ゆっくりと伸びをした。


「起きたか?クローディーヌ」

「んっ。………ん?」


 クローディーヌが目を見開き、飛び起きるように身体を起こす。そして大きくパチパチと瞬きし、その後自分が裸であることを思いだし、慌ててブランケットを纏った。


「あの、これは、その……」

「分かってる。治療してくれたんだろ」


 俺の言葉にクローディーヌが黙る。どこか気恥ずかしそうに顔を赤らめているその様子は、これまでに見たことのない新鮮なものだった。


 クローディーヌは恥ずかしくなったのか、背を向けて横になる。しかしすぐに何かを思い出したように、背中を隠すようにブランケットを掛けた。


(……ああ、成る程)


 俺はポリポリと頬をかく。そして包帯を取り、彼女の方に背を向けた。


「ほら」

「え?」

「俺も背中に傷がある。似たようなもんだろ?」


 俺は彼女にその銃創をみせる。クローディーヌは首を此方に向けて少しきょとんとした様子で俺を見ていた。しかし少ししてまたそっぽを向いてしまった。


「……馬鹿」

「まあ、否定はしないな」


 俺がそう答える。そしてグスタフの方を見た。


 呆れたように肩をすくめ、こちらを見ているグスタフの様子が、どこか印象的であった。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る