第159話 地獄と、誉れと

 






 温かい日差しと、心地よい風。王国は戦時下とは思えないような穏やかな時が流れている。


 帝国とは異なり、王国の兵士は必ずしも民衆から徴用されるわけではない。基本的には雑多な義勇兵十人よりも、それなりに秘術が使える兵士一人の方が戦力になるのだ。そのため民衆は住処が戦場にさえならなければ、それなりの日々は送れるのである。


 戦争への不参加は、同時に民衆の政治参加のチャンスを奪ったわけでもある。それ故に帝国と比べて王国の貴族制はずっと堅固だった。しかし、戦場に送られにくいという点では、民衆はある意味では幸せであったのかもしれない。


 あの地獄には行かなくて済むのだ。フェルナンはそう思った。









 フェルナンは王国がほこる大貴族、モリエール家の一室にいた。豪華絢爛な屋敷には、何代にもわたって権力を握り続けた証が宿っている。少なくともローヌ家ではこの先何があっても覆すことのできない差があることは一目にして瞭然だった。


 今頃自分の家族はモリエール家に取り入ろうと必死になって媚びを売っているのだろう。あの浅ましさには最早嫌悪感を通り越して呆れしか生まれてこない。


「フェルナン様」


 フェルナンは振り向くことなく、窓の外を見続けている。今日来たのは彼女の父親であるモリエール卿に会うためだ。彼は自分を高く評価し、娘との交際も認めてくれている。


 本来であれば、フェルナンの家柄ではとてもつり合いはとれない。しかし戦場での戦果や、民衆の人気、それにローズが三女であることもあいまって許されている。

 

 とはいえそれでも不十分に思ってのことか、モリエール卿は手を回し、フェルナンを出世街道にのせてくれている。第九騎士団長への抜擢も、それが大きいだろう。


「……どうかしましたか。ローズ嬢」

「フェルナン様は、戦場には向かわれないのですか?」


 振り向くと彼女がまっすぐ此方を見据えて、尋ねてくる。


 その綺麗で清らかな瞳は、自らの心を貫いてくる。そのまっすぐさは故に自分は惹かれたが、それが今は苛立ちの対象になっている。


「おや?戦場に行って欲しいのですか?前とは素振りが逆のように思われますが」


 フェルナンが皮肉めいて答える。しかしローズはきっぱりとそれを否定した。


「状況が違います。それに、私にそんなもったいぶった言い回しはやめてください」


 しばらくの静寂。フェルナンもローズも、互いから視線を逸らすことなく、譲ることはなかった。


 見つめ合うというには些かロマンスに欠け、睨み合うというには敵意に欠けた。自らの悩みの種が自らにあることを、お互いに理解していた。


「私……聞きました」


 先に話したのはローズだった。


「第七騎士団のこと。それに、お父上が貴方に命じたこと」

「っ?!」

「私のことが枷になっているんでしたら、今すぐ私を捨ててください」


 その言葉が嘘であることぐらい、フェルナンには理解できた。


 彼女は責任感と、自分を思うが故に言ってきている。彼女自身、フェルナンと離れる気になっているのであれば、とうにその話を持ち出してきているだろう。そうでないことが、その証拠だった。


「……話は、そう単純じゃない」

「ですが……」

「お前のことは関係ないと言っているんだ!」


 これもまた、嘘である。モリエール卿の命令を受けたとき、確かにローズの顔が浮かんだ。彼女に釣り合うだけの何かを、得られる可能性を考えたのだ。


 しかしそれだけでないこともまた事実である。結局の所、自分は地位と称賛に飢えていた。家族を見返し、黙らせ、自分を認めさせるだけのものを求めていたのだ。


「……チッ」


 フェルナンは視線を逸らし、部屋の内装に目を移す。豪華絢爛なその部屋は、自分が求めていた世界の一部なのだろう。そして自分はそれに手をかけ始めている。それなのに苛立ちは募るばかりであった。


「私は……本当は貴方に戦場になど行って欲しくはありません」


 ローズが話す。


「ですが、それ以上に貴方が苦しむ姿を見たくはありません。これは……私の本心です」


 ローズはそう言って部屋を出て行く。


 華やかな部屋には、無骨な軍服を着たフェルナンだけが取り残されていた。








 戦争は戦果を挙げるための手段であり、戦場はそのために行く場所であった。他の多くの貴族とは異なり、前線で数々の戦いを経験してきたフェルナンは戦場がどういうものかを良く理解していた。


 だから本来であれば、向かわないに越したことはない。出世を望むのであれば、今こうして権力者とつながりを作っていることが重要である。それは間違いないのだ。


 今第七騎士団は再度出陣を命じられ、戦場へと向かっている。モリエール卿の筋から聞いた話によれば、かつての副長を討ち取るまで帰ることは許されていないらしい。


 よくもここまで非道なことを考えつくものだ。王国に報いてきた英雄への仕打ちがこれである。


 その上彼女達に送られる物資は当然制限されている。攻撃目標も守りが堅固な場所ばかりだ。敵の多いところへ向かわされ、補給も休憩も十分ではない。そこが地獄になることは目に見えている。


(英雄は両国の上層部にとって有害。それでいて戦争をやめる理由にもなる)


 王国は帝国領に侵攻しており、帝国は英雄を討ち取ったことになる。どちらも勝ったというだけの言い分があるのだ。上層部に必要なのは民衆を丸め込む理由と、自分にとっての利益なのだ。それは両国とも違いは無い。もはや争うだけの理由もなかった。


(だとすれば、俺は何のために……)


 誉れを手にするためだろうか。そうした人間達に認められ、この栄華を享受することだろうか。


 それとも誇りを手にするためだろうか。仲間を捨てた人間がどういった誇りをてにするというのだろうか。


 では、彼女を?……そうかもしれない。だが彼女のためではない。彼女を手に入れたいという自分のためだ。ともすれば結局は自分のためでしかない。


 『彼女のため』に動くことと、『彼女を得る』ために動くことでは大きく意味合いが違う。そしてその理由は、自分を動かすにはまったくもって十分ではなかった。


 フェルナンは動くこともできずに、ただじっとその場で佇んでいた。





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