第139話 ゆっくりと動き出す

 





「しかしまあ、彼女が倒れてしまったことは痛手だな」


 俺は銃弾をその身体に受けたルイーゼに変わり、全体の指揮を執っていく。といっても、指揮を執る必要があるのはルイーゼ隊と俺の部隊だけであり、実質的に動かすのは半分の部隊であった。


(マルクス将軍配下の部隊は、堅実に北西部の敵部隊を足止めしているようだ。これに関しては、特に言うことはないだろう。後は……)


 俺はもっていた限りなく黒に近い灰色の疑念を、今真っ黒な確信へと変える。彼等は今意図的に敵部隊を素通りさせ、此方の部隊を壊滅させようとすら考えている。先日の夜、捕虜を利用して俺を襲撃させたのもそいつらの仕業だ。


(民衆を守りながらでは、ルイーゼの部隊も実力を発揮できないだろう。逃げ道は隠れる場所もない平野だ。守るにはもっとも不利と言える)


 俺の部隊が一時的に足止めしているが、ノルマンドの兵は少なくない。それに弾薬も最低限しかもってきていないから、いずれにせよ引き下がることになる。


(ルイーゼの部隊を後詰めとして用意するか?まあそれなら戦えなくはないが、市民の護衛がいなくなるな。それに補給ができているようにも思えない)


 本来であれば、アウレール将軍配下の部隊が足止めをし、その間にルイーゼの部隊が市民の誘導と補給を済ませる手筈だっただろう。彼等の魔術は強力だが、補給と準備に時間がかかる。


 俺が血を媒介に魔術を起動させるように、彼等も特殊な媒介物を使用してあの特異な魔術を起動させているのだ。それが強力であればあるほど、時間と必要な物資は増えてくる。魔術は秘術とは違い、ある程度労力と効果がトレードオフな関係になっている。


(こう考えると、クローディーヌ・ランベールが如何に万能で、如何に強かったかが分かるな。あんな強大な力をほぼノーリスクで撃てるのは、英雄と呼ぶにふさわしい力だ)


 俺はついつい無い物ねだりをしてしまう。それもきっと、ルイーゼの所為だろう。自分の上司が女性であれば、嫌が応にも思い出してしまうもんだ。


 俺は変な感傷に浸らぬように、そう思い込むことにした。










「ダメよ!絶対に許可できない!」

「おい、あんま動くと……」

「っ!?」

「ほら、見ろ。傷口は半ば無理矢理押さえたが、痛みが取れるわけじゃない」


 俺は腹部を押さえながら鬼のような形相で此方をにらみつけるルイーゼを見る。彼女は俺の部隊が敵を抑えている少しの間に、既に意識を取り戻していた。


(軍人としては素晴らしい限りだな。頑丈さも、そしてその清廉さも)


 俺は「はあ」とため息をつきながら西の方角に目を向ける。足止めはしているが、市民の移動の方がずっとずっと足が遅い。いずれは追いつかれて巻き込まれるだろう。それは絶対とは言えないが、確実性の高い未来ではあった。


 だから俺は提案したのだ。かつてボルダーで戦ったときと同様に。


「避難する市民を囮にして、敵に打撃を与えるなんて、貴方正気なの?」

「囮にするなんて人聞きの悪い。一時的に防御を手薄にして、奇襲をかけるだけだ」

「ものは言いようね」

「……それに囮にするからといって、被害が増えるとは限らない。むしろ下手に防衛戦をやって巻き込まれるよりは被害が少ないかもしれないぞ」


 嘘である。無防備な市民を囮にしたところで、敵は喜んで略奪に来るだろう。そうすれば市民とノルマンド人が入り乱れ、それを排除する際には少なくない被害は出る。


 ただこの選択には大きな違いがある。普通に守る場合と比べて、圧倒的に軍人の被害が少なくなるのだ。


 民を守る軍人にとってはあるまじき選択。少なくとも、ルイーゼにはそう思われたであろう。しかしそれは軍というものへの考え方の違いだ。


 俺は軍が守るべきは国家であると考えていた。


(そりゃ勿論、市民を見捨てて軍人が逃げ出したら元も子もないだろう。しかし囮に使い、そうすることで軍の被害が大きく減る事になれば、結果としては民衆の被害がぐっと少なくなる可能性が高い)


 もともととある部隊の作為的な工作により、今の窮状に追い込まれているのだ。そもそもの責は彼等にあり、自分はあくまでその状況に即した最善の策を提案したに過ぎなかった。


(まあ彼女は考えを変える気はないだろう。それにボルダーの時みたいにうまく騙して策を実行することも難しそうだ)


 俺はルイーゼに「分かった」とだけ答えて、その場を後にする。すると背中から、ルイーゼの絞り出す声が聞こえた。


「貴方が……」

「ん?」

「貴方が何に絶望しているのかは知らない」


 ルイーゼが続ける。

「でも、私は、それでも信じてる。カサンドラ将軍が、栄えある魔術師達が、最後にその誇りを取り戻したように」

「…………」


 ルイーゼはそうとだけ言うと再び目を閉じる。気を失ってはいないだろうが、もうかなり無理していることは一目瞭然であった。


 やれやれ。この女も馬鹿の一種か。俺はそんな風に思った。


 人の心なんて、ましてや正義や倫理観なんて、所詮たかがしれている。


 以前、ベルンハルト将軍に囚人のジレンマを聞かれたことがあった。あれなんかまさにその典型だろう。人は誰しも、自分のために動き、結果として全員が損をする。お互いを想い合って動けば、いとも簡単に最善の結果にたどり着くというのに。


(人は無責任で利己的だ。それは変わることはない。だからこそ戦争は続くし、損を被る奴もいる)


 しかし俺はそれを無条件で許すつもりもなかった。今のうのうと敵兵の進軍を許した連中には、必ずそのツケを払ってもらう。俺は部下に指示を出した。


(強制的にノルマンドと貴族部隊を戦わせて、そこにまとめて砲弾を撃ち込もう)


 俺は非道な形で、頭を回転させていく。自分では悪くないと思ったが、それは同時にルイーゼの目的とは少しちがう方向へ動くことでもあった。


 俺が自由に動けば、ルイーゼが動かせる兵は実質的に自分の部隊だけになる。そうなれば市民の被害はずっとずっと増えるだろう。彼女の部隊の被害もだ。


 だが、それを選んだのは彼女自身だ。


 だがその時、俺がそんなことを考えていたとき、民衆の塊から離れる、少女をおんぶした少年の姿を見つけた。


 腹につけられた傷の礼でも言ってやろうか。俺は何の気なしに、少年の方に足を向ける。


 そこに運命のうねりがあると知らずに。





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