第140話 誇りが恐怖に味方する

 






「何やってるんだ?お前?」

「うわっ!?」


 少年は急に声をかけられ、慌てて此方の方に振り返る。刺したばかりの相手が、呼び止めてきたのだ。それはびっくりするだろう。


「お、お前は!?」

「よう、あのときは世話になったな」

「もう動けるのかよ!刺したはずなのに!」

「あのなあ。少し刺したくらいじゃ人は死なないし、第一それが刺した相手に言うことか?まったく……」


 俺は頭をかきながら続ける。


「お前こそなんで生きてるんだ。軍人に危害を加えた人間は、基本的には反逆罪で銃殺刑のはずだが?」

「っ!?」


 俺の言葉に少年が青ざめる。事の重大さを理解していなかったようだ。もしくはそれでも許されるとたかをくくっていたか。いずれにせよ教育がなっていない甘ちゃんであることに間違いない。


 まあでもこうして自由に動いているということは、彼の甘い考えは正しかったのだろう。ルイーゼが子供だからと民衆の中に返したといったところだろうか。それとも、俺に非があるとして無罪放免となったのか。こんな状況でなければ、この少年に同情した彼女の非合理性について、小一時間問い詰めたいところである。


 俺はふと視線を戻し少年を見る。すると少年はまた一歩後退した。


「おっと」


 少年は後ずさりするところでバランスを崩す。その細い身体は食べるものを食べていないせいのだろう。妹を背負うだけでも重労働のようだ。


 少年のことはよく知らない。教育のなっていないガキ程度の認識だ。だが少なくとも少年がおぶっている妹の方が怪我をしてはつまらない。俺はそっと少年を支えることにした。


「…………」


 俺はそのまま彼を支えながら、体勢を戻してやる。少年は少し黙った後に、そのまま歩き出した。


「おい」


 俺が呼び止める。


「礼ぐらい言ったらどうなんだ?それとも、お前の両親はそんな最低限の礼儀も教えなかったのか?」


 俺の挑発が効いたのか、少年は苛立った様子で再び歩く速度を速めていく。その方角は、まさに今戦火に焼かれようとしている港町であった。


「何処行く気だ?死ぬ気か?」

「うるせえ!ほっとけ!」


 少年はそう言って歩みを進める。あちらこちらで放たれる銃火器の音が、どこまでも激しく鳴り響いていた。


 人は死を前にすると恐怖が全身を支配する。これは一度でも死を目前にした人間なら誰でも分かることだ。軍隊経験者で前線を経験した者の多くは、それをよく理解している。


 しかしだからといって、その死が目前に迫っているということを理解するのは意外と難しかったりもする。人間は驚くほど愚かで、理屈では死を理解できないのだ。軍隊に入れば死ぬ確率が跳ね上がると言われても、本当の意味で理解するのは銃弾が自分のすぐ近くを横切ったときである。


 この少年もまさにその典型だろう。銃弾が飛び交い、砲弾が炸裂しているこの町を、彼は安心だと考えている。まあ彼の人生にとって、安心できる場所が自分の屋敷だったのかもしれない。町に仲間がいないなかで、友人を作った経験がないなかで、自らの屋敷だけが唯一心が落ち着く場所だったのだ。


 それ故に彼はその場所を求めてしまう。その過程で死ぬ可能性が高いとしても、町の連中と一緒にいた方がはるかに安全だと分かっていても、心の安寧を求めて帰ってしまうのだ。


(今現状で彼の優先順位は、自分のプライドが一番なのだろうな)


 勿論少年はそれを肯定したりなどしない。自分は妹のためならば何でもすると思い込んでいるのだろう。家に帰ろうとするのも、家に帰ればなんとかなると信じ込んでいるためだ。


 だがそれは詭弁だ。本気で助かりたいのならば町の人間に頭を下げて、頼み込むのが筋である。しかし少年はそれができない。今まで両親によって作られてきたプライドが、少年の生存への道を閉ざしているのである。


 せめて幼い頃から町の人間と交流があれば話は違ったのかもしれない。だが、今現状の少年がやってることは、自分と妹の命を無為に捨てることだ。その実に下らないうえに、妙に肥大化したプライドのために。


(もはやこいつが妹を殺しているといっても過言ではないだろうな)


 これも一種の無責任だが、一方で俺はこの少年に関しては少しだけ同情もしていた。というのも、これに関しては彼自身の問題だけともいえないからだ。


 彼を教育した両親がもう少しまともなら、彼も人を頼る術をもっただろう。他者を見下した形でのプライドを醸成させなければ、少なからず手を取り合えたはずだ。


 民衆も民衆だ。この少年一家が鼻持ちならない連中だったことは、確かに想像に難くない。だがこんなに痩せ細るまで放置しているのはどうなのだ。この少年に肩入れすることで町の中での立ち位置が悪くなるとかもあったのかもしれない。しかしそれにしたって薄情である。


(まあ誰しも、自分が可愛いんだろうな)


 俺はその考え方が正しいことを知っている。誰かのためにという人間は、必ず馬鹿を見るのだ。だからそうした無責任な生き方を否定しない。特に戦時では尚更だ。


 だが、彼はいずれ気付くことになるだろう。妹が死ぬ時、もう助からないと分かった時、妹を殺したのが誰であるのか。無慈悲な現実が彼を襲うことになる。そして絶望と諦めの底でいつまでも同じ場所を彷徨い続けるのだ。


 どこかの誰かさんのように……。


「なあ少年」

「え?」


 俺は少年に話しかける。少年が不思議そうに見ていた。


「その子、もう死にかけているぞ」

「え?」

「本当だ。俺は医学の心得がある」


 勿論嘘だ。しかし大人の嘘を、子供は意外なほどに信じてしまう。いや、それは大人とて同じ事か。


「もってあと半日だ。生きるためには軍医による治療をおこなわなきゃならん」

「そ、そんな……」

「薬とかじゃ無理だぞ。第一、どれがどの薬かなんてわからんだろ」


 俺はそこまで言って、歩き出す。すると少年が呼び止めてきた。


「じゃ、じゃあお前が助けてくれよ」

「俺が?嫌だよ。なんで刺した奴の言うこと聞かなきゃならんのだ」

「そ、そんな……。お前、軍人だろ!」


 少年の哀願するような目に、俺は目を合わせないようにする。いつかの自分を、思い出しそうだ。


「俺は軍人だが、まともな軍人じゃない。少なくとも、お前達の命なんかどうでもいいとさえ思ってる」


 これは嘘ではない。俺は無責任な個人が大嫌いなのだから。


 少年がこれからどうするのか。これ以上知ったことではない。それよりも、俺を殺そうと企む連中に挨拶に行かなければならない。


 俺は少年をそのままに、静かに南西の味方部隊がいるであろう方向へと歩みを進めていった。





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