第138話 何が心を支配する

 






「痛たたた……。お婆さん、もう少し丁寧に処置してくださいよ」

「あんた軍人のくせにうるさいね。子供に刺されたんだろ?じゃあそれぐらいで騒ぐんじゃないよ」


 そう言うと彼女は包帯をきつく縛り、俺の横っ腹を叩く。俺は全身に走る痛みを堪えながら、楽しそうに笑う彼女を見た。彼女はもう60近いというのに、バリバリで働く町医者だそうだ。


 本当なら自分も父親のように、運命的な出会いをしてもいい。しかし俺の前に現れたのは、俺よりも一回りも二回りも年上の、貫禄たっぷりのレディであった。


「お婆さん、いくら何でも……」

「……あんた、あの子にやられたんだろ?」

「え?」


 俺は腹をさすりながら、彼女の方をみる。その町医者は、少し寂しそうに道具を片付けていた。


「知ってるのか?」

「ああ。そりゃまあね」


 彼女の様子を見るに、それほど親しいわけではないのだろう。とはいえ、小さな町なら顔ぐらい知っていてもおかしくはない。関係性としてはそんな感じであった。


「あの子の家、この町ではけっこう良い家だったんだよ。それだけに、両親が亡くなって、兄妹二人だけが残された」

「…………」

「成功した貿易商で、両親含め、昔から町の人々とそんなに交流があったわけじゃないからね。言い方悪いけど、お高くとまっている所もあった。それで、プライドだけが残っちゃって、彼も私たちを頼れないんだ」


 現実を認められないこと、過去にすがってしまうこと、そして頭一つ下げられないこと。こうしたことは、子供も大人も関係ないのかもしれない。とりわけ男である以上、時にはプライドが生存さえ脅かす事がある。


「きっと、怖いんだよ。なんというかさ、自分をきちんとみつめることがさ」

「そんなに言うなら、助けてやればいいんじゃないか?」

「可哀想だと思うことと、手を貸してやりたいと思うことはまた少し違うんだよ。戦争っていうのは、そんな心の温かみさえ奪うんだ。勿論、怪我すれば手当ぐらいはする。でも、一から面倒は見れないのさ」


 お婆さんの言葉は、どこか冷たくも聞こえるが、それは俺が少しばかり良い生活をしていたからだろう。少し考えれば、それは理解できる。


「しかし軍人さんを刺しちまうとは……。人は恐怖や焦りに支配されると、何しでかすかわからんね」

「…………」


 そんな風に話していたとき、不意に派手な音が港から聞こえてくる。それが敵の船から来る砲弾の音であることはすぐにわかった。


「お婆さん、礼を言う。助かった」

「あんた、どこに行く気だい?傷はまだ……」

「いや、もう大丈夫だ」


 俺はそう言って魔術を起動する。血液を固めることで、傷は瞬く間に塞がり、痛みも次第にとれていった。


 俺は簡易に敬礼をすると、そのままその場を後にする。


『人は恐怖や焦りに支配されると、何をしでかすかわからない』


 彼女の言葉が、妙に頭の中に残っていた。








「敵は南北二手に分かれて上陸を試みる模様。北西部と南西部が砲撃を受けています」

「南西部はアウレール将軍配下の部隊が、北西部はマルクス将軍配下の部隊が対処します。ベルンハルト将軍配下の部隊は住民の避難誘導を。おそらくは今避難している場所よりさらに東に移動する必要があります。私たちの部隊は亡者兵の設置を急ぎましょう」


 ルイーゼはテキパキと指示を出し、部下達を動かしていく。事前の準備によるものか、味方の後退も、住民の移動もこれまで見たことないほどにスムーズであった。


「報告!」


 その時、ルイーゼの元に伝令が走ってくる。


「どうしたの!?」

「南西の部隊、既に突破されました!ノルマンドの部隊がすぐそこまで迫ってきています!」


 ルイーゼは口をつむぐ。いくら何でも早すぎる。これほどまでにノルマンドの軍は強力なのか。それとも、何かアウレール配下の南西部隊にトラブルが発生したのか。いずれにせよ、事態は急を要していた。


「私が出るわ!貴方たちは全力で移動して。後は作戦通り、定められたポイントで迎撃準備を」

「はっ!ルイーゼ将軍、ご武運を!」


 そう言って兵士達は動き出す。ルイーゼはそれを少しだけ見送った後、全速力で駆け出した。









「一気に進め!敵部隊に追いつき、この機会に殲滅する!」


 ノルマンドの部隊が猛スピードで進軍してくる。あれは妖術の類いだろうか。帝国とは違う魔術形態で、特殊な力を使用している。しかしそれが何であれ、此処を通すわけにはいかなかった。


(ここから先は広い平野に一本道。敵を堰き止めるならここしかない)


『地は力なり』


 ルイーゼは魔術により、岩の巨人を生み出していく。その巨体は狭い道を塞ぎ、敵の行く手を阻むのに有用であった。


「行きなさい!なるべく多くの敵を巻き込んで、相手を足止めするの」


 岩の巨人は近づいてくる兵士達を軽々薙ぎ払っていく。ノルマンド人は術や銃撃で対抗するが、岩の巨人にダメージは入らなかった。


「これなら十分に時間も……え?」


 ルイーゼは少し遠くに見える敵の様子に、つい言葉を失ってしまう。そこには重い大砲をこちらまで持ってきて、巨人に狙いを定めている敵がいた。


(船から大砲を運んできたって言うの?どこにそんな時間が……。それに、あんな重いもの、攻めるのには不向き。城壁か、それこそ岩の巨人がいなければ百害あって一利無しなのに……)


 しかし時既に遅かった。大砲は凄まじい音と共に、岩の巨人を粉砕する。いくらルイーゼの魔術といえど、砲弾を耐えるほどの防御力は有していなかった。


(まずい、巨人の再展開には時間がかかる……)


 ルイーゼは急ぎ、離れようと走り出すが、銃弾が足をかすめた。大した傷ではないが、それにより足がもつれ、勢いよく転んでしまう。立ち上がる頃には、敵が射程距離にまで近づいていた。


(私……死ぬの?)


 あっけない。あまりにあっけない。自分の力を驕った所為だろうか。それとも、他者に献身的すぎたからだろうか。


 岩の巨人を使えば、味方はかえって邪魔になると考えた。それは間違いではないが、それは自分が負けないという前提のことでもあった。自らの魔術に驕りにも近い自信があったのだ。


 敵の動きがゆっくりに見える。兵士の一人が、引き金を引いていくのが分かった。


 死、それを目の前にしたとき、人は何も考えられなくなる。ルイーゼは今、それを知った。


 パンッ。衝撃が自分の中を通り抜ける。しかしルイーゼがその目に見たものは、倒れていく敵兵の姿だった。


『……血は力なり』


 アルベルト・グライナーが敵兵に銃弾を撃ち込んでいく。そしてそれに続くように、彼の兵が敵に一斉射撃を浴びせた。


「かはっ」

「喋るな。普通なら致命傷だ」


 アルベルトが魔術で血を固め、ルイーゼは次第に呼吸を取り戻していく。今確かに撃たれたが、既に動けるようになっていた。


「俺が魔術を解けばまたすぐに傷口が開く。さっさと引くぞ」

「ゴホッ……。せめて、撃たれる前に助けられなかったの?」

「そこまで喋れるなら大丈夫だ」


 アルベルトは部下に指示を出し、担架でルイーゼを運ばせる。


「ここは任せる。一定の弾薬を撃ち尽くしたら、手榴弾を投げて撤退してくれ」

「「了解」」


 ルイーゼは薄れゆく意識の中、彼の背中をみつめる。


(これが……アルベルト・グライナー。カサンドラ将軍に勝利し、『天才』の血を引いた男)


 もっとも、普段の彼からそれを見出すのは難しい。どうして普段からそれができないのだろうか。


(まあ、今のところは、感謝……して……)


 ルイーゼは諦めたように息をはく。


 そしてそのまま眠るように、意識を手放していった。






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