第131話 帰る場所
「おとうさま。おとうさまはどこ……」
「クローディーヌ様、セザール様は」
「リュシー、おかしいよ。いつもいちばんまえで手をふっているのに、今日はどこにもいない」
「クローディーヌ様……」
「この家も随分と寂しくなったものね」
「いえ、クローディーヌ様。貴方の所為では……」
「分かってるわ。今になってだけど、理解した」
「セザール様は素晴らしい御方でした。しかし、それだけに悪い輩に敵が多かったのでしょう。今受けている嫌がらせや、王国中に出回っている虚偽の報道も、彼等の仕業でしょう」
「従者達を責めることはできないわ。お父様がいない今、この家はなんの頼りもないのです。脅しをかけられてまで、勤める必要はないもの」
「クローディーヌ様、私は最後まで貴方のそばに」
「ありがとう。リュシー」
「見て、リュシー!今年も士官学校で首席だったわ」
「流石です、クローディーヌ様」
「教官三人とも模擬戦をしたのだけど、相手にならなかったわ。これでお父様に一歩近づいたわね」
「……はい。そうですね。……あの、クローディーヌ様?」
「何?リュシー?」
「無理は、なさらないでくださいね。私は何も困ってなどいませんから」
「大丈夫よ。この家の名誉も、英雄の娘としての責務も、きっちり果たしてみせるから」
「クローディーヌ様………」
「ひっ、嫌っ!来ないで!」
「いたぞ、敵の隊長だ!逃がすな!」
「隊長!此処は引いてください!」
「引っ込んでろ!腰抜けの騎士共め!」
「逃げて……」
「追え!背中に一撃入れたが、少し浅かった!とどめを刺せ!」
「私のせいで味方が死んだ。私のせいで……」
「クローディーヌ様、あまり自分を責めては」
「あまつさえ、お父様の武名に泥を……。この背中の傷は、一生の恥だ……」
「クローディーヌ様……」
「はあっ!てやっ!」
「クローディーヌ様、これ以上は身体に障ります。どうかお休みください」
「いいのよリュシー。まだ大丈夫」
「ですが……」
「……はあっ!てやっ!」
もっと努力しなければ。皆を守れる、英雄になるために。
もっと剣を振るわなければ。父の名を守り、世界が英雄を忘れないようにするために。
もっと戦わなければ。そうでなければ、私の価値は……。
「それで?」
一人の男の顔が浮かぶ。いつも飄々として、それでいて時折寂しい目をする男だ。
「少なくとも貴方は生きのびた。それでいいじゃないですか」
彼は笑いながら、そう軽々と言ってのける。
その言葉に、私は救われた。
そこで夢は終わった。
肌にまとわりつく汗の不快さで、クローディーヌは目を覚ます。
かつて戦場から逃げ出したあの日のトラウマから、こういったことはよくあった。そのため朝はその不快な汗を流すことから始めなければならず、次第にそれが朝の習慣になった。
見ると机に突っ伏して寝ていたようだ。昨日どうも家に帰る気になれず、そのまま軍部の団長室にこもっていたのだった。リュシーに会えば、きっとまた甘えてしまうから。
(彼に初めて会ったあの日も、確かこんな朝だったわね)
クローディーヌは思い返すように立ち上がる。するとはらりとかけられていたタオルケットが落ちた。リュシーが心配してきてくれたのだろう。そして自分にかけてくれたのだ。
(本当に、私には過ぎたメイドだわ)
クローディーヌはそっとタオルケットを拾い上げ、畳んで机の上に置く。どこか不格好に畳まれたタオルケットは彼女の畳んだものと比べると雲泥の差だ。
「……シャワーでも浴びようかしら」
身体にまとわりつく汗は不快極まりない。それに十二騎士団の団長室にはシャワーまで備え付けてある。水道の整備も含め、ここまで用意する必要があるのかは甚だ疑問だが、有り余る予算で作ったのだろう。それは司令室をはじめとする豪華な備品を見ても十分過ぎるほどにうかがえた。
服を脱ぎ、シャワー室へと入る。思えば長い遠征ではシャワーを浴びることなどできなかった。一応第七騎士団は女性の団員も多いこともあり、皆身だしなみに気をつけて濡れタオルで身体を拭いたりはしていた。とはいえ汗や泥の匂いは取れるものではない。
ボタボタボタボタ……。
勢いよく流れるほどよく温かいお湯に、クローディーヌは身体を晒していく。
汗や泥がそぎ落とされていく感覚。戦いから解放され、自らが帰ってきたその感覚は表しがたいものがあった。
いつもであれば、だが。
「………………」
クローディーヌは顔を上げ、流れ出るシャワーが顔にかかっていく。
泣いてはいけない。ここで泣き出してしまえば、きっともう止まらなくなる。クローディーヌはじっと堪えて、シャワーのお湯を止めた。
髪を拭きながら、シャワー室を後にする。すると出てところで、リュシーが待っていた。
「……リュシー」
「お着替えをお持ちいたしました。クローディーヌ様」
リュシーはにっこりと笑って言う。それはいつもと変わらない、自分を救う笑顔であった。
そして感情が吹き出した。
「あ、あれ……」
涙が止まらない。涙がこぼれ落ちるのを見て、リュシーはそっとハンカチを差し出した。
「泣きたいときは泣いてもいいのですよ。戦場では英雄ですが、一度帰れば私にとっては今も変わらないクローディーヌ様です」
「リュシー……リュシー!」
クローディーヌはリュシーに抱きつき、そのまま声を押し殺して泣き続ける。泣き声が廊下に響いてはいけない。リュシーはそんなクローディーヌを強く抱きしめた。
「私……私……」
「アルベール様のことは、私も聞き及んでいます。何でも、帝国の軍人様だったとか」
「それで、もうどうしていいか分からなくて……」
リュシーはクローディーヌの背中を優しくさする。
今はまだ、時間が必要かもしれない。リュシーはそう思った。
彼との出会いは、自分ではもたらすことのできないものを彼女に与えている。それは自分からすれば少し妬ましい事実ではあるが、それでも彼女のその明るい笑顔が戻ったことを思えば些細なことであった。
(それなのに私の主人をここまで困らせて……。まったくひどい御方。……でも、きっと想いは同じなのでしょうね)
戦場の過酷さは、自分では想像もつかないほどなのだろう。彼女の数々の武勇伝は耳にしているが、それでも危険なことに変わりない。今回だって、本来であれば命を落としていたに違いない。
彼は確かに敵の人間だった。それでも、リュシーにとって重要な事は、今クローディーヌ・ランベールがこうして生きていることなのだ。
メイドの子として生まれ、クローディーヌが生まれた頃より世話役としてついてきた。始めは自分の運命に疑問を持ったりもしたが、セザールの死後、それぞれの大人達が離れていく中で、健気に生きる彼女を見捨てることはできなかった。
(クローディーヌ様を泣かせた責任は、きちんととってもらいますからね)
リュシーはクローディーヌをぎゅっと抱きしめたまま、窓から見える青空を見上げる。
彼女はきっと立ち上がるだろう。それだけ強いことを、自身がよく知っている。だからそのために一時休まる場所を、帰るべき家を、自分は守らなければならない。
世界がどれだけ彼女を英雄ともて囃しても、自分にとっては一人の少女でしかないのだ。
(きっと、彼もクローディーヌ様を英雄ではない普通の人として見てくれたんでしょうね。だからきっと、彼女の中でここまで大きな存在になったのでしょう)
うれしいような、腹立つような。リュシーはそんな風に考えながら、再びクローディーヌへと視線を戻す。
今しばらく待つとしよう。再び花が咲くその日まで。
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