第130話 半端者の行方
「将軍、グライナー少佐を連れて参りました」
「ご苦労だ。シュタイガー大尉」
ベルンハルトがそう言うと、シュタイガーは敬礼し、部屋を後にする。今になっては俺の方が階級は上だが、それでもつい背筋を伸ばし敬礼してしまう自分がいた。
(士官学校での癖が未だに残ってやがる)
俺はそんな自分の行動を呆れたように感じながら、ベルンハルトの方に向き直る。
『鬼教官のシュタイガー』。かつて自分が士官学校時代に、しごきにしごき抜かれた相手であった。
「帝国にはもう慣れたか、アルベルト?」
「慣れるも何もまだ一日しか経ってませんよ」
俺は何を言っているんだとばかりに両手の平を広げて見せる。ベルンハルトは「そうだったな」と軽く笑った。俺はまだ父親の知り合いだからいいが、普通の兵士だったら怖くて冗談だとすら受け取れないだろう。
隻眼の将軍は普通にしていても尋常ではない覇気を放っていた。
「それで……」
俺が質問する。
「今回はどんな要件で?これからのことですか?」
ベルンハルトは何も言わず、その簡素な椅子に座る。
俺は促されるままに、机を挟んで対面に座った。
「グライナー少佐、君は囚人のジレンマというものを知っているか?」
ベルンハルトは足を組み、パイプをふかしながら尋ねてくる。
「ええ。かつて『美しき心』と称された天才学者が提唱した理論の一例ですよね」
俺はその話を思い出しながら答える。確か囚人のジレンマとはこうだったはずだ。
二人の共犯者が捕まった。しかし証拠がなく、自白させなければならない。そこで看守は二人を別々の部屋に分け、こう質問した。
「本来ならお前たちは懲役5年なんだが、もし2人とも黙秘したら、証拠不十分として減刑し、2人とも懲役2年だ」
「もし片方だけが自白したら、そいつはその場で釈放してやろう。この場合黙秘してた方は懲役10年だ」
「ただし、2人とも自白したら、判決どおり2人とも懲役5年だ」
この時、囚人は自白するべきか否か。
(この問題での合理的な答えは、確か『自白する』だったはずだ)
俺は頭の中で思考を巡らせる。勿論最善の答えが選べるのであれば、二人の囚人が『黙秘する』のが正しい。そうなればそれぞれ2年で出ることができ、合計で4年。他の選択肢だと合計では10年だ。
だがこの問題で厄介なのは相手が裏切るかもしれないという点だ。もし自分が黙秘して、相手が自白すれば自分だけが損をすることになる。10年の懲役、これは逃れたい。
(だが、相手の答えが分からなくても自分に最善な答えは選べる)
実はこの問題、相手の答えが分からなくても『自白する』ことで常に自分が得をするのである。
例えばもう一人が黙秘した場合、自分も黙秘したら懲役2年。一方で自白すれば懲役0年。
もう一人が自白した場合、自分が黙秘すれば懲役10年、自白すれば懲役5年だ。つまり相手がどっちを選ぼうが、自分だけの得を考えればノータイムで『自白する』を選択することが合理的なのである。
(だが人間の倫理観がそうはさせない。味方を売るという行為に嫌悪し、それをあえて選ばない人間もいる)
その究極が味方のために命を張る兵士達だろう。彼等は懸命に戦い、死んでいく。全員がこの意志を持てば、それは即ち最強の国家だろう。
一方で一部の人間達は、うまく戦場に行かないように立ち振る舞う。これは『自白する』囚人の典型だ。献身的な味方を犠牲に、まんまと自分へのリスクを減らそうとするのだ。
この考え方は軍において応用がきく。例えば一部の兵士が手を抜けば、兵士達の士気は一気に傾く。誰だって自分の周りで言い訳して戦わない奴がいたら、戦う気も失せる。
全員で戦えば勝利できたはずが、一部の戦わない人間の存在で、全体の戦う意志が消えるのである。
だからこそ軍の士気、そして鉄の規律は大切なのである。全員が戦う、つまりは『自白しない』と信じているから、命を捨てて戦える。そしてそれは全体として見たら最高の結果である勝利へとつながるのである。
時に団結した百人が、千人を打ち破る理由がこれである。
「それで」
俺はベルンハルト将軍に尋ねる。
「何が聞きたかったのですか?」
ベルンハルト将軍は俺の言葉を聞くと、静かに立ち上がって窓のそばへと歩いて行く。どこかフラフラとした様子が気になった。
「なあ、アルベルト」
「……何でしょうか」
俺は珍しいかつての呼ばれ方に少し驚く。しかしそんな感慨も次の言葉で消え失せた。
「お前は、何がしたいのだ?」
「っ!?」
ベルンハルトが振り返り、突き刺すような視線を向けてくる。彼の言わんとしていることはすぐに分かった。それが自分自身、一番突かれたくないことだからだ。
「何か不満ですか?これまで帝国に情報を流してきたのに」
「そうだな。よく聞いている。お陰で王国のこともかなり知れた」
「では何故……」
「くどいぞ、アルベルト」
ベルンハルトが言う。
「ならば何故、クローディーヌ・ランベールを殺さなかった」
「…………」
「情か?その割には味方さえも捨てていたように思えるな」
「…………」
「生き延びることを目的とする、そう言う割には矛盾点が多いのではないか?帝国の軍事技術も飛躍的に進歩した。クローディーヌ・ランベールを始末すれば、王国はすぐにでも瓦解する様に見えるが?」
正論だ。何一つ反論しようがない。
将軍は殺さなかったことを責めているのではない。そもそも責めてすらいない。責めてくれるのなら、ずっと楽だっただろう。
彼はどっちつかずな自分を指摘しているのだ。だからこそ「何をやっている」ではなく「何がしたいのか」と尋ねた。
俺は自分の一貫性の欠如を指摘され、無性に腹が立った。
強く拳を握る。自分でも気の迷いであることは分かっていた。
「……自分の甘さです」
俺は一度大きく息を吸い、そう答える。ベルンハルトはただ黙って聞いていた。
コンコン
誰かがドアをノックする。ベルンハルトが許可すると、先程退出したシュタイガーが入ってきた。
「将軍、そろそろ会議のお時間です」
「わかった。……グライナー少佐、時間をとって悪かった。しばらくゆっくりしてくれ」
ベルンハルトに言われ、俺は敬礼してその場を後にする。
「助かった」。そう思いたくはないが、そう考える自分がいることを否定できなかった。
「何もそこまでいじめることはなかったのではないですか?」
シュタイガーが言う。若さ故の葛藤を知らないほど、シュタイガーは若くはない。
「……ゴホゴホッ」
ベルンハルトが小さく咳き込む。シュタイガーはゆっくりと歩み寄った。
「大丈夫ですか?」
「ああ。少しむせてしまった」
「無理をなさらないでくだ……将軍っ!」
「静かにしろ。まだ彼の男が遠くまで行っていないかもしれない。……何も言うな」
ベルンハルトはそう言ってシュタイガーから差し出されたハンカチを受け取る。そして手にべっとりとついた血を拭き取った。
「もう少し時間をかけて諭し、導く手もあったが……。どうやらそんな暇はないようだ」
ベルンハルトはそう言いながら椅子に腰掛ける。時間がない。呪われたその血は、例え友人であれども確かに蝕んでいくようであった。
「……しかし親父によく似てきたな」
ベルンハルトは目を細める。
彼は彼の父に似て優秀だ。それは間違いない。だが一方で母譲りの情が強い部分があるのかもしれない。それは非合理的であるが希望でもあった。
ベルンハルトは小さく笑う。
是非とも彼の行く末を見たかったものだ。彼は自分の友人同様、未来を見いだせる人間の一人なのだから。
しかしそれが叶わないものであるということを、歴戦の猛将はよく理解していた。
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