第三部 報告:

第一章 絶望と諦めの底で

第132話 迷える羊

 







 俺は一体、何がしたいんだ?


 先日、ベルンハルトに問われた質問に、俺ははっきりと答えることができなかった。いや、時間が経った今でも、答えを出すことはできていない。


「自分の甘さ、か。それもそうかもしれない……」


 ベッドに横たわり、ただ呆然と天井を見る。妙に高いその天井はどうも落ち着かない。10年近い年月は、王国の安宿舎に慣れるのに十分であった。


(情……と言ってしまえばそれだけだが)


 彼女達、第七騎士団の放免を願い出たのは確かに自分だ。本来であれば、玉砕覚悟でアウレール隊に突撃させ、自分だけのうのうとベルンハルト旗下に戻ればいい。頭ではそう考えていた。


(しかし願い出たとはいえ、それを許したのは他でもないベルンハルト将軍だ)


 俺はあのときの状況を振り返る。


 あのとき、自分はいくらか見落としをしていた。ベルンハルト将軍が、自分の意見など無視して、クローディーヌ・ランベールを処刑してしまう可能性である。俺自身は一杯一杯で考えていなかったが、これは十分にあり得る話だった。


 そもそも帝国にとってクローディーヌの命は、喉から手が出るほどに欲しいものであった。ベルンハルトもそれを理解している。そんな中で、彼女を返してしまうことは利敵行為に他ならない。それなのに……何故?


(今、ベルンハルト将軍が帝国議会に呼ばれているのもそのためだろう。いくら前大戦の功労者といえど、今回の件は明らかに失敗だ)


 何か理由があったのだろうか。王国の英雄であり、自らの親友を屠った人間の娘。クローディーヌに手をかける理由は山ほどある。


 それに対し、彼女を生かす理由はどう考えても見つけようがなかった。











「ベルンハルト将軍、何か釈明はあるかね」


 帝国評議会議事堂。ベルンハルトに対して、議長が質問する。ベルンハルトは腕組みをしたまま、深々と椅子に座っていた。


「ベルンハルト将軍!議長の前だぞ!何様のつもりだ!」


 脇を見ると自分よりいくらか若い将校が叫んでいる。はっきりと見ずともそれがアウレール将軍であることはすぐに分かった。


「はて?何のことでしょうか」

「貴様っ!しらばっくれるつもりか!」

「まあ、待ちたまえ。アウレール将軍。……しかし、流石に何もなしという訳にはいくまいな」


 議長がそう言ってじっとベルンハルトを見る。ベルンハルトは少しばかり姿勢を正し、視線を合わせた。


「このたびの戦い……、デュッセ・ドルフ城塞の戦いにて貴軍は王国軍第七騎士団を捕虜とした。これは複数の筋から確認している。これは事実だね?」

「……はい。事実です」

「問題はその先だ。貴公はその第七騎士団を、その後すぐに解放したそうじゃないか。これはどういった了見かね?」

「四将軍には敵の処遇に関する決定権があるはずです。私はその権利を行使したに過ぎない」


 ベルンハルトの言葉に、アウレールが手を上げる。議長が発言を許可すると起立し、ベルンハルトの近くまで歩いてくる。


 そもそも何故こいつがここにいるのか。誰が連れてきたのかは知らないし、厄介なことこの上ない。しかし直接会うだけ話は早いだろう。ベルンハルトはそう考えることにした。


「議長。もうおわかりでしょう。彼は確実に、王国軍とつながっています。現に彼は密偵を送り込み、第七騎士団に潜入させていました」

「なんと!?」


 議長は知らされていなかったようだ。しかし、どうやらその近くにいるいくらかの議員は知っている様子であった。


(あの議員達もアウレールのお仲間か)


 ベルンハルトは下らないとばかり再び深く座り直す。それがアウレールにとっては気にくわないようであり、さらに語気を強めてくる。


「ベルンハルト将軍、貴方の部下は第七騎士団の副長でもあったそうだ。普通はスパイがあの若さでここまでの出世などできないはずです。……しかし、貴方が王国とつながっているとなれば話は別ですよね?」

「…………」


 馬鹿げている。ベルンハルトは素直にそう思った。


 情報を意図的に選択している。第七騎士団は元々騎士団の中でもっとも不遇な扱いを受けている最弱の騎士団だ。今のような活躍をしているのは、アルベルトが就任して以降の話である。彼がそれを知らないわけでもないだろう。


「沈黙は肯定とみなします。それに、他にも情報はあります」


 アウレールは流暢に第七騎士団が帝国に与えた損害を話していく。その損害を全て合わせたら帝国軍の総損害を越えてしまいそうな勢いだ。


 ひょっとして帝国は第七騎士団としか戦っていなかったのか。ベルンハルトはそう思ってしまいそうであった。



「で、あるからして、ベルンハルト将軍は……」

「……聞くに堪えんな」

「何っ!?」


 ベルンハルトはそう言うと、おもむろに立ち上がる。そして一枚の紙を取り出し、議長に渡した。


「これは……」

「私が送った密偵です。これでも彼が帝国を裏切るとお思いですか?」


 それはアルベルトの身分証明書。これまでひた隠しにし、士官学校に入校する際にも偽の身分証を使用してきたが、これは紛れもなく本物だった。


「アルベルト・グライナー……父は、あのフレドリック将軍ではないか!?」

「何だとっ!?」

「その通りです。訳あって私の部下として、これまで働いてもらっていました。二重スパイにならない、もっとも信用できる男ですので」


 他の議員達がざわめきだす。そりゃそうだ。年寄り共で、フレドリックの名を知らない奴はいない。議員達が今こうしてそのだらしなく肥えた腹を抱えられるのも、フレドリックがいたからこそなのだから。


「もう、話はいいでしょう」


 ベルンハルトはそう言って反転すると、ゆっくりと議場を後にする。しかしその去り際の背中に、議長が声をかけた。


「ベルンハルト将軍、少し待ってくれんか」

「……まだ、何か?」

「いや、話は分かった。だが、このままでは腹の収まりが悪い人もいるだろう。君も、そしてグライナー将軍のご子息も、疑われたままではよろしくないだろう」


 議長が話を続ける。


「現在一時的ではあるが王国の侵攻は止まっている。しかしこの機に乗じてまた西のノルマンドから兵が来ているとも聞く。既に船も出ているようだ」

「……成る程。分かりました」


 ベルンハルトは敬礼し、再び歩き出す。帝国評議会も腐りはじめてはいるが、最近代わったらしいこの議長はまだまともだった。


(確かに、戦果は疑惑を払拭するにはもってこいかもしれないな)


 しかし今の彼では、迷いのある彼では戦場で生き延びる保証はない。戦場は真摯でない人間を甘やかすほどぬるくはないのだ。


(私自身が共に出撃すれば問題はないが……。それはそれで帝都で問題がありそうだな)


 既に政局がきな臭くなっている。自分が離れるわけにはいかない。


 その時、ベルンハルトは一人の女性を思い出す。自分に借りがあり、それなりに部隊を動かせる人間だ。彼女に手伝ってもらえば、多少は生き延びる可能性も上がるだろう。それに、彼女も活躍の場を必要ともしているはずだ。


 ベルンハルトは部下を手招き、電報を出すように命じる。宛先は『魔侯将軍』、目的は『共闘要請』だ。


「少しはカサンドラの後継に働いてもらうとするか」


 ベルンハルトはそう呟くと、ゆったりとした足取りで自らの司令室へと戻っていった。



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